ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

見る目を曇らす

2014-02-11 07:16:18 | Weblog
「評価のバイヤス」2月5日
 『佐村河内さん曲別人作』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『被爆2世として生まれ、耳の聞こえない作曲家として知られる佐村河内守さん(50)の、代表曲「交響曲第1番 HIROSHIMA」などの楽曲について、十数年前から特定の別の人物が作曲してきたことが5日、分かった』ということです。 
 この時点では、佐村河内氏自身のコメントがないので詳細は分かりませんが、大変考えさせられる事件です。それは、評価のバイアスという点です。
 私は音楽には全くの素人ですが、曲の評価というのは純粋に音楽的観点からなされるべきだとは考えています。誰が創ろうと、曲が出来上がるまでにどのような経緯があろうと、それは楽曲の評価とは関わりがないはずだという考え方です。もちろん、代作を隠して発表する行為は非難されるべきです。しかし、そのことと楽曲自体の評価は別であるべきだと思うのです。しかし、「被爆2世」や「全聾」であることで注目を集め、マスコミが賛辞を贈るという図式の中で佐村河内氏の楽曲は人気を得てきました。
 そして、今回の代作が明らかになった途端、『クラシック音楽の専門家の間では、佐村河内さんの作品を評価できないとする声も多かった』などと報じ、掌を返すのです。これは、本質を見ずに付属的な事柄によって評価が左右されるという人間の性癖を表していると思うのです。また、その分野の専門家でさえ、周囲の素人が創り上げた物語には抵抗しにくいということをも表しています。
 私は、教委勤務時代、教員の服務に関わる職にいたため、多くの「偏向教育」を行う教員を目にしてきました。彼らの対する「評価」においても、授業の実態を見ずに、「創られた物語」に基づいて間違った人物像が造形されるのを悔しい思いで見つめていたものです。学習指導要領を無視して自分の関心のある食品添加物問題だけを取り上げて半年間も授業をし保護者と生徒から苦情が寄せられた教員は、「真に考える力を伸ばす教育の実践者」として全国紙の取り上げられましたし、社会科の時間に米軍基地問題に一学期間費やし、米国人の父親を持つ生徒の前で「米軍は世界最悪の殺人者」と非難し、その生徒を不登校に追い込んだ教員は、「権力に負けず真実に目を向かせる信念の教育者」として、某全国紙の紙面を飾りました。正に、佐村河内氏に対する対応と同じです。メディアが自分に都合がよいように創り上げた伝説に基づいて、評価の再生産をしているのです。おかげで、私は真の教育者を弾圧する権力の一員という立場に置かれてしまいました。
 これほど顕著な例ではなくても、保護者や子供による教員の評価には、こうした評価のバイヤスがついて回ります。生徒とともに泣き、ときには涙を流しながらの体罰も辞さずという厳しい指導で担当する部を全国大会出場に導いた教員が熱血先生という物語に包まれ、実は多くの生徒を傷つけ挫折させていたという大阪の事例も、周囲が創り上げた嘘の物語が教員の評価にバイヤスをかけ、真の姿を覆い隠し、犠牲者が出てしまったというものです。
 人は付属する物語から完全には自由になることはできないのに、専門家の評価を信用せずに間違った評価を下すということを忘れてはならないと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« もっと会議を | トップ | 西洋式と日本式 »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事