ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

関心をもってよく見ています

2018-06-07 07:50:17 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「納得の鍵」5月31日
 『「説得」より「納得」心がけて』という見出しの記事が掲載されました。高齢者ドライバーに免許返納を勧める難しさなどについての記事です。その中に、次のような記述がありました。『目がよく見えないとか、車の両側が傷だらけだとか、動作があまりにも遅くて後ろに車が数珠つなぎだとか、実際の問題があれば別ですが、高齢だから、という感覚的な抽象論では親だって納得しません』というものです。
 そして、納得を得られる方法として、ドライブレコーダーを活用して、『録画した画像を一緒に見て「一時停止していないよね」とか「これは信号無視だよ」などと確認します。免許返納ありきではなく、まずは長く運転してきた先輩として認めた上で、年を重ねて身体機能も衰えていく今後、どこに気をつければまだ運転できるかを話し合おうと言えばいいのです』と具体的に示しています。
 私はこの記事を読んで、教委勤務時代に担当した、「指導力不足研修」を思い出しました。研修の一環として、授業をさせ、校長などと一緒に参観し、その後の協議会で指導をするのですが、その場がまさに、高齢者の免許返納と共通しているのです。「指導力不足」とされた教員の多くが、中堅からベテランと言われる世代です。彼らには、長年教員を勤め上げてきたという自負心があります。一方で、授業が上手くいかなくなった、学級経営で躓く、子供の気持ちが分からなくなったなどという不安を感じてもいます。これは正しく高齢ドライバーの心情と同じです。
 そして、授業の問題点を指摘して授業力の改善を図ることになるわけですが、多くの校長は、「全然ダメなんだよ」「子供は退屈していたし、分かっていない子もいた」「前と変わっていないじゃないか」などと非難します。具体性がなく、「指導力不足教員」に対する苛立ちや低評価だけが感じられてしまいます。そして彼らは反発します。私はこんな不毛なやり取りを避けるために、授業後の協議会では、具体的な事実を指摘し、問題点と改善の方向性を示すことの必要性を根気強く校長らに説く続けていました。
 「先生が質問したとき、3人の児童が手を挙げていたのに、先生は指名せず、自分で答えを言って説明を続けましたね」「机間指導のとき、間違った答えをノートに書いていたAさんのノートを見たにもかかわらず、何の助言せずに通り過ぎてしまいましたね」「説明の途中で手を挙げて質問しようとした子供に対して、説明が終わってからね、と言いながら、説明が終わった後に質問の機会を与えませんでしたね」というように、授業記録に基づいて、具体的に問題点を指摘するようにしていたのです。具体的な指摘に対してすぐに「納得」したかといえば、そううまくはいきませんでしたが、少なくとも感情的な反発は避けることができたように思っています。
 具体的な事実を指摘することは、相手のことをよく見ていますよ、関心をもっていますよというメッセージになるのです。そのことを感じるからこそ、感情的な反発が減るのだと思います。そしてこうした考え方は、教員への指導場面だけでなく、実は、子供に対しても有効なのです。
 子供を叱ったり、褒めたりするとき、子供の言動をよく見て、具体的な言動を示し、その言動がどうして叱る対象になるのか、褒める価値があるのかと説明して、叱ったり褒めたりすることで、子供は納得し、行動を変えていくのです。つまり、教員はよく見、記録する人でなければならないのです。よく見ること、記録を積み重ねることなしに行われる評価は、偏見と言われるのです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする