ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

内容に偏る議論

2018-06-04 07:41:20 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「内容偏重」5月29日
 一つのテーマについて3人の識者が見解を述べる『論点』、今回のテーマは『歴史教育のあり方』でした。高等学校の学習指導要領で「歴史総合」が設けられてことを受けての特集です。
 東北大教授小田中直樹氏は、『目的にかなわない項目は大胆に切り捨てる勇気をもつべきだ』と主張なさっています。実に的を射た指摘です。また、『「戦争」や「民族」といった議論や視点が分かれるようなテーマを取り上げ』『結果からさかのぼってその原因を探る形で学習を行う』『自分が歴史上の人物になったと仮定して、事態にどう対応するか考えさせる』などの授業イメージを示されてもいます。これも適切な提案です。もっとも、小学校では既に行われている取り組みですが。
 また、信州大特任教授久保亨氏は、『重要なのが現代史の中で「戦争」をどう取り上げるかだ』と問題提起なさっています。全く同感です。私はこのブログで、主権者教育は第一次世界大戦やヒトラーと欧米首脳の対応などを学ぶことが不可欠だと主張してきました。戦争に至る道筋を学び、戦争という悲劇を避けるための行動を知ることこそが、主権者として求められるという考えからの主張でしたが、久保氏の問題提起はそれに通じるものだと思います。
 それにもまして重要な問題提起は、久保氏の『2単位という限られた時間の中で、「アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)」という授業手法をどの程度取り入れることができるか』という指摘です。今回の学習指導要領改訂においては、「歴史総合」の目標、内容については、かなり突っ込んだ話し合いが行われてきたという印象をもっています。歴史の専門家や文科省の担当者などが社会の変化や要請を踏まえ、議論を進めてきたという印象です。
 一方で、授業の専門家の意見が反映されているのか、という点では疑問が残ります。講義型ではなく探究・問題解決型の授業とはどのようなもので、どのような条件の下で成り立つのかという点について、きちんと理解していない方々が、「アクティブ・ラーニング」という概念を持ち出すだけで素通りしてしまったという印象なのです。
 教材の開発、教員の授業力などの要素が重要になるのは当然ですが、それらは教委や学校レベルの創意工夫や努力に左右される部分が大きいのに対し、探究・問題解決型の学習に必須那条件である授業時間は、文科省レベルでしか対応できないのです。探究・問題解決型の授業は時間が掛かるのです。学習が一直線に進むのではなく、途中で分岐したり、試行錯誤の結果元に戻ったり、別のテーマが避けて通れなくなったり、新たな課題が浮上したり、というようの予定外のことが起きるのです。逆に言えば、きれいに予定通りに進むような授業は、仮に上辺は探究・問題解決型授業に見えても、教員が強引に一つの結論に導いている授業なのです。
 歴史「教育」についての議論には、内容や目的だけでなく、授業という営みそのものの専門家の識見を生かさなければいけなかったのです。今からでも授業時間数についての見直しを進め、次期改訂期前に、小幅改訂を実施すべきです。まだ少数派ですが、授業改善に取り組んでいる一部の高校教員を積極的の登用して。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする