喜劇な日々

名古屋の劇作家、鹿目由紀のほんの少しだけ喜劇的な毎日を、綴ります。

完成と雑思

2009-11-14 03:13:22 | 芝居のこと
『劇王Ⅶ』のチラシが出来上がってきました。来週あたりから各劇場にお目見えするかと思います。今回のチラシはタイトルまわりが、ずどどーんという感じです。ゴジラのテーマがぴったりです。モスラでもいいです。デザイナーさんに感謝。話は変わり、今日は迷った末ある事を決める。決めたからにはやるのみ。さらに話は変わり、稽古場に少し早めに行き、とみィとのやり取りの場面を稽古。松井にあれこれ言って貰い、なんとなく、少しずつ…。色んな方から頂いた言葉を胸に、これもまたやるのみ。『役』が少しずつ皮膚に浸透するのが、ようやく感じられてきた。でもまだまだこの肌ではないなぁ。行きつけの喫茶店でコーヒーをすすりながら目を通した週刊新潮に『相棒』の記事が載っていた。新しい相棒、及川光博さんについて。一見知的で含んでいて、なんだかかぶってそうな水谷豊さんとのコンビネーションでどうなるかと思ったが、まったく違う皮膚の質感を持っていて、絶妙のバランスとの記事。キャスティングの重要性とともに、皮膚への言及に心惹かれた。物体としての皮膚と精神としての皮膚、どちらがかけても成立しないという事か。だから面白いのだ。今回の主軸は『通す』ではなく『遊ぶ』なのだが、その度に違う皮膚を被れるのか。もしくは脱げるのか。やるのみです…。

関係ない話。属するとはなんぞや。属するとは地位のためでなく名誉のためでなく、泥くさくなるためのような気がしてならない。泥くさくなるとはなんぞや。取り繕わない事。ふと田舎の田園風景を思い浮かべる。外から見りゃ緑の絨毯が美しい。だけど汗水流して泥にまみれて、一度入ったら全然足が動かない。でも動かして植えていくしかない。そっちの方が美しいと感じたりもする。名前というのは借りるものじゃなくて、ぴたりと寄り添うもの。だから例えば、名前を貰って喜んでいるようではいけない。寄り添うための方法を模索する日々を紡ぐのだ。自分は田園に入るのが怖い性質だが、入ったら死なばもろともになっちまうようです。それもまた危険…。でも未練っていう感情が限りなく薄いので、なんとか生きていけてます。