喜劇な日々

名古屋の劇作家、鹿目由紀のほんの少しだけ喜劇的な毎日を、綴ります。

ちゃんと

2011-10-22 17:07:29 | 文章とか
ちゃんと生きるのは難しい。
ちゃんと進むのは難しい。
ちゃんとするのは難しい。
ちゃんと、という考え方は難しい。
ちゃんと、じゃなくて一字変えて、
ひゃんと、にしてみる。
この間の抜けた感じが、あたしには合っている。
だから、ひゃんと生きる事にする。
ひゃんと、ひゃんと。

なんでもないのうた

2010-05-02 03:27:23 | 文章とか
なんでもないは、なんでもある。
なんでもないは、なんでもある。
なんでもある、に気付いて欲しくて、
なんでもない、の呪文を唱え続ける。
なんでもない、なんでもない、
なんでもない、なんでもない。
繰り返し唱えるたびに、
女の子は悪い魔女になっていく。
良い子になりたいと願いながら、
どんどん悪い魔女になっていく。
魔女だらけの世の中には、
呪文があふれている。
なんでもない、なんでもない。
なんでもないは、なんでもある。
なんでもあるも、なんでもある。
あのね、なんでもないなんてこと、
あるわけないの。
あのね、いい加減、
気付いてよね。

好きな季節になる

2009-09-01 08:12:05 | 文章とか
淀みない青空とともに秋がやってきた。一番好きな季節がやってきた。栗松茸秋刀魚読書秋色の服涼やか切なげうろこ雲紅葉散歩鈴虫夜長の秋である。秋の思い出が次から次へと蘇り、気分を晴れやかにも切なくもさせる。秋にはその魔力がある。秋にはその魅力がある。今年もまた、秋ごとに蘇るような思い出が生まれるのだろうか。不思議なもので、夏の気持ちは昨日気分転換にやってみた線香花火の玉とともにぽたりと消えて無くなった。夏には夏の気持ち、秋には秋の気持ち、そうして四季に左右されながら、これからも生きていくのだろう。四季だけでない、左右される出来事が沢山あり過ぎるので、私は今日もゆらゆらと流されていくのだろう。そしてなによりゆらゆらと流されるのは、案外嫌いじゃないのだ。

欲しい言葉

2009-08-01 01:55:48 | 文章とか
時々、喉から手が出るほどに欲しい言葉、というのがあって、それは「欲しい言葉だ」と気付いた瞬間には絶対に手に入らなくて、すっかり「もうどうでもいいや」と思い始めた頃に突然手に入ったりするもんだから、ひゃっ。とびっくりして、欲しかった言葉なのか分からなくなってしまったりするのですが、後になってよくよく噛みしめてみるとやっぱり間違いなく喉から手が出るほどに欲しい言葉だったので、だいぶ経ってから「ああ良かった」と、しみじみふんわり、としたりするのですが、一度でいいから「欲しい言葉だ」と気付いた瞬間に、ぴたりとその言葉を貰ってみたいのです。けれど贅沢は言いません。どんなタイミングだとしても、貰えた事に変わりない。贅沢ばかり言ってたら贅沢に慣れて、喉から手が出るほどに欲しい言葉を、勝手にどんどん増やしていくだけですから。それに、忘れた頃に貰える方が、しみじみふんわり、としたりする量が多いという可能性はあるのです。だからなんでしょうか。私は可能性という言葉が大好きです。

あっちこっちそっち

2009-06-17 16:52:54 | 文章とか
ぞびぞびぞ~というのを知っている人も少なくなってきたのだろうか。もしくは『こまったさん』シリーズか『ズッコケ』シリーズか。鍵ばあさんも好きだったという話がしたかったのではなく、今日はあっちこっちに行っているという話です。昼、授業が終わった後、大道具のあるものを見るために松井組に同行。ある違うものに関してのイメージが湧く。大道具を観に行くとたまに別のなにかが閃く事がある。夕方、キンコーズで事務作業を少し片付けて、今から大須へ。登澤氏の衣装を確認しに行く。今日は稽古後、flower-plant花植さんと恒例の照明打ち合わせ。今回は明け方までかからないと良いが、納得行くまで話して明け方になるならそれはそれで本望である。とはいえ明日は早朝、『ねがいごとパズル』の巡回公演を観るため半田の小学校に行く予定。電車で寝るのもありだが、乗り間違え率が高いので気を抜いてはいけない気がする。絶対そんな気がする。ところで今日、子ども4人がレジ横のお菓子コーナーでガムやら飴やらを真剣に選んでいて、思わず「そこのスーパーソーダガムがうまいよ」と言ってやりたくなったが、余計なお世話かもしれんと思い、ぐっとこらえた。ちなみにスーパーコーラガムもうまいよ。シュワシュワだよ。

龍宮城に連れてって

2009-01-30 13:08:48 | 文章とか
ニシキオリさんが朝から活発に泳ぎまくっていた。別に助けたわけでもないが、ふと龍宮城に連れてってくれないかなぁと思った。タイやヒラメの舞い踊りが見たくなった。乙姫さまがどれほどの美女なのか確認したくなった。玉手箱は貰いたくないが、貰ったら開けてしまうんだろうなぁという予想はついた。私の性格的なものである。昨日は気付いたら眠っていて、ドリフの夢を見た。私は志村目線だった。志村は大変だなぁと思った。志村は悉く痛い。身体が。だけど志村から見た世界は悪くなかった。しばらくして、おぼっちゃまくんが凄いんじゃなくて、おぼっちゃまくんを乗せても平気なピエールが凄いんだろうなぁとしみじみ思った。そんな徒然を巡らせながら、今日がもう半分終わっている事に気付く。休みたくて休んだ午前中なのに、どうしてこうも罪悪感に苛まれるのか。一生、宿題を出され続けるような感覚で暮らしていくのか。宿題は嫌いだ。そもそも宿題をまともにやれたタメシがないのだ。龍宮城には宿題があるのか知らないが、今は無性に乙姫と話したい。

2008-12-03 01:55:06 | 文章とか
綺麗な風景を観た時、面白い人を見た時、くだらない事を思いついた時、いたずら心が働いた時、自分が自分じゃないような気がした時、自分はやっぱり自分だと気付いた時、テレビを観ている時、うまく行かなかった時、うまく行っちゃった時、ハレの日、美味しいものが食べたいと思い立った時、人肌が恋しくなった時、面白い夢を見てしまった時、なんともいえない夢を見てしまった時、自分に才能のかけらも感じない時、すすめたい漫画を見つけた時、唸る映画を見つけた時、冬、春、夏、秋、あの店のラーメンをどうしてもすすりたいと思った時、暗い道を歩いている時、可愛い花を見つけた時、感想を聞きたいと思った時、意見して欲しいと思った時、誰かとなにかしている時、誰かの辛さを受け止めてしまった時、知りたくない事を知った時、知りたくない事を積極的に知った時、行きたい所を見つけた時、寝る前、起きてすぐ、勇気が欲しい時、美味しいお酒が飲みたい時、鍋がやりたい時、ただただ歩きたい時、ただただじっとしていたい時、必ず一番に会いたいからと言って必ず一番に会えるとは限らないのは、良いのかもしれない。

お祈りします

2008-08-03 11:21:28 | 文章とか
赤塚不二夫さんが亡くなった。かなりショックです。
ぬけさく先生とも結婚したかったが、バカボンのパパとも結婚したかった。
要するに、おバカさんが好きなんですな。
「しょうがないなぁ」と言って、笑っていたいんです。
ご冥福をお祈りします。大好きなお酒、飲んでくださいね。
以前、野田聖子に似てると言われて「ホントかぁ?」と思っていた。
が、テレビで改めて観ると確かに少し似ている。声の低いのとかパタリロ感とか。
彼女の方がパタリロのキリリとした顔で、私はギャグ顔の方なんですけど。

あがいてから飲むのだ

2008-06-30 17:46:31 | 文章とか
土日は朝から晩まで稽古だった。文字通りの朝から晩まで。我が役の稽古がなかなかできないのは仕方ない事なので、それなりに色々と考えてみる。考えてみて、はたと思い当たる。考えれば良いにしろ悪いにしろなにかには当たるということか。今日は昼から積み込み。今回のセットはとにかく重いんです。重たいんです。いや気分的なものじゃなく物量的にね。みんなお疲れ様。最後まであがいてみよう。あがいてあがいてあがいてみよう。あの人も身体に鞭打って頑張っているのだ。私も頑張ろう。という呪文をかけてみる。ところで舞台監督の井上知也さんから凄く素敵な物を頂いた。これは一生愛用ですな。ありがとうございます。本日、来年の話だが大役を仰せつかる。今から来年の事で緊張しても仕方ないのだが、緊張するものはするので仕方ない。ビールが美味い季節だ。黒エビスが最高です。おつまみはできればそら豆とほたるいかの沖漬けがよろしい。コンビニで手に入れるならミミガーとかつぶ貝とか。公演が終わったら、ビール飲んで焼酎飲んで、ぐでんぐでんになるまで飲んでしまいたいです。迷惑はかけたくないので、一人でね。コーヒーは相変わらず一日一杯。

素敵なカケラ

2008-02-22 02:09:35 | 文章とか
今日、道を歩いていたら、素敵なカケラを拾いました。
一見すると、ゴツゴツしていて薄汚れていて。
けれど良く見ると、やっぱり素敵なカケラでした。
素敵なカケラだから、ゴツゴツしていようが薄汚れていようが。
どんな道を歩いていても、自然と目に飛び込んできます。
カケラというのは、どこかにはまらなくてはならないのですが。
はまるところは本当は、一つしかないのですが。
どこに、はまっていたとしても、素敵なものは素敵なカケラ。
たとえ、はまっていなかったとしても、素敵なものは素敵なカケラ。
素敵なカケラは、素敵なカケラなのです。
それは、見まごう事のない、唯一無二の真実。
どんな道を歩いていても、私はカケラを見つけます。
どんな夢を見ていても、私はカケラの夢を見ます。