東京サンシャインボーイズ『ショウ マスト ゴー オン』。
大学1年の時、先輩から借りたビデオを観て「あぁ、こんなお芝居がやりたいなぁ」と感銘を受けた作品である。
当時は周りにワンシチュエーション・コメディーを上演する演劇部や若手劇団がほとんどなかった。
「書く機会があるなら、コメディーを書いてみたい」
そして4年の冬、とうとうその想いを果たす事になる。
コメディーを愛する要素が自分の中にあったのは知っていた。
思えば中学2年の時『卒業生を送る会』のために書いたのが、生まれて初めての台本。明らかにコメディーだった。
なぜ自分が書く事になったのかは覚えてないが、かなりのお調子者だったのが一つの原因だろう。
『とんねるずのみなさんのおかげです』と『夢で逢えたら』というダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子出演の深夜コント番組を合体させたオリジナルストーリー。
その名も『みなさんで逢えたら』。安直である。
クラス全員に、番組の人気キャラを当てて書いた。『当て書き』なんてものは知るはずもなかった。
こんなバカをやってくれるかなぁと不安だったが、皆意外とノリノリ。団結力の高いクラスだった。
担任の斎藤先生も、自らの国語の時間を全て芝居の稽古に使わせてくれた。
立ち位置やらはけ口やらしきっていたのを思えば、あれが初演出と言えるだろう。
しかも自分は『ミドリ』と『ガララ・ニョロロ』の2役を掛け持ち。早替えあり。
演劇の「え」の字も知らないうちに、無謀にも作・演出・出演である。やり過ぎである。
舞台は大ウケ。まぁ、流行ものを利用したのだから当然である。
私の早替えは、赤いボディコンに長髪ヅラ、大きなほくろとノリ眉毛メイクから、白塗りで頬にウロコの警官になるという過酷なものだった。
袖で網タイツが脱げなくなり「マジやばい」と思ったが、東海林さんがうまいことアドリブで繋いでくれた。ありがとう、東海林さん。
ちなみに東海林さんの役は、ピッチリ七三、浜ちゃんがやっていたプチトマトというお父さんだった(ちなみに女子校だ)。
それから数ヶ月後、高校の演劇部の発表を観に行った際、舞台から飛んできた薔薇が自分の手中にスポッとおさまった事により、演劇部入りを決意。
そこから転落人生が…いや演劇人生が始まったのだった。
かなり遠回りしたが、何が言いたいのかと言うと、そんな私がコメディーを書き出す原動力となった『ショウ マスト ゴー オン』と再会したのだった。
前述した演劇雑誌『しんげき』で。
観た時に感じた気持ちが、鮮明に蘇る。
で、改めて感じさせられるのだ。
やる気とか、もしくは衝動とかね。
大学1年の時、先輩から借りたビデオを観て「あぁ、こんなお芝居がやりたいなぁ」と感銘を受けた作品である。
当時は周りにワンシチュエーション・コメディーを上演する演劇部や若手劇団がほとんどなかった。
「書く機会があるなら、コメディーを書いてみたい」
そして4年の冬、とうとうその想いを果たす事になる。
コメディーを愛する要素が自分の中にあったのは知っていた。
思えば中学2年の時『卒業生を送る会』のために書いたのが、生まれて初めての台本。明らかにコメディーだった。
なぜ自分が書く事になったのかは覚えてないが、かなりのお調子者だったのが一つの原因だろう。
『とんねるずのみなさんのおかげです』と『夢で逢えたら』というダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子出演の深夜コント番組を合体させたオリジナルストーリー。
その名も『みなさんで逢えたら』。安直である。
クラス全員に、番組の人気キャラを当てて書いた。『当て書き』なんてものは知るはずもなかった。
こんなバカをやってくれるかなぁと不安だったが、皆意外とノリノリ。団結力の高いクラスだった。
担任の斎藤先生も、自らの国語の時間を全て芝居の稽古に使わせてくれた。
立ち位置やらはけ口やらしきっていたのを思えば、あれが初演出と言えるだろう。
しかも自分は『ミドリ』と『ガララ・ニョロロ』の2役を掛け持ち。早替えあり。
演劇の「え」の字も知らないうちに、無謀にも作・演出・出演である。やり過ぎである。
舞台は大ウケ。まぁ、流行ものを利用したのだから当然である。
私の早替えは、赤いボディコンに長髪ヅラ、大きなほくろとノリ眉毛メイクから、白塗りで頬にウロコの警官になるという過酷なものだった。
袖で網タイツが脱げなくなり「マジやばい」と思ったが、東海林さんがうまいことアドリブで繋いでくれた。ありがとう、東海林さん。
ちなみに東海林さんの役は、ピッチリ七三、浜ちゃんがやっていたプチトマトというお父さんだった(ちなみに女子校だ)。
それから数ヶ月後、高校の演劇部の発表を観に行った際、舞台から飛んできた薔薇が自分の手中にスポッとおさまった事により、演劇部入りを決意。
そこから転落人生が…いや演劇人生が始まったのだった。
かなり遠回りしたが、何が言いたいのかと言うと、そんな私がコメディーを書き出す原動力となった『ショウ マスト ゴー オン』と再会したのだった。
前述した演劇雑誌『しんげき』で。
観た時に感じた気持ちが、鮮明に蘇る。
で、改めて感じさせられるのだ。
やる気とか、もしくは衝動とかね。