午後からの長い稽古。
オープニングダンスを直し、頭から流して見ていく。
やはり近藤絵理がぶれないようにするのが、当面の課題。
これは取り入れた方が良いと思った事があり、稽古で少し試す。
もう少し、うまく取り入れる方法を考えよう。
久しぶりの長い稽古のせいか、数名が疲れ気味。おいおい。
私はというと、何故だか結構元気。そういえば最近母に、
「お前、五月になると憂鬱だって毎年言ってるけど五月病なんじゃないの」
と言われて、なるほどいつも五月になるとおかしいもんな、と思った。
しかしそれも抜けたようだ。だってもうすぐ六月だもん。
制作と受付を手伝ってくれている中島緑ちゃんとぺんぺんが来た。
緑ちゃんがホールケーキを差し入れしてくれた。
何と、午前中の願いが叶ったではないか。
ホールケーキなんて、響きからして夢と魅力に溢れている。
開けてみると『グランプリおめでとう』の文字。
錦鯉のようにケーキに群がる皆。あっという間にこのザマである。
残りは、休憩中に他の作業をしていた中元志津と木村仁美の分。
美味しい物は、何ものにも勝る魔力を持っている。
ところで。
今日(昨日)の中日新聞夕刊に演劇評論家・安住恭子さんの劇評が掲載。
とても良い事を書いて頂きました。励みにして、もっともっと。
ふと。
ホールケーキの残骸を見ながら、残骸のことを思った。
残骸が語ることは明らかに多い。そこからは温もりや激しさや酷さが感じられる。
残骸は、時に残像を呼び起こす。残像はさらなる残像を呼び起こす。
残骸は沈黙しながら多弁であり、時に残骸になる過程よりも臨場感を持って迫ってくる。
だから残骸は残酷で、時に残骸なんか世の中から消えてなくなれば良いのにと感じるのである。