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吾輩は猫である を読んで

2009年07月24日 | 本との出逢い

 

 

 

 

 

 

皆さん、こんにちは。

本日は朝から、店頭車両を含む、4台の洗車を致しました。昨日に引き続き、良いお天気なので良かったです。

 

 

 

 

先日ブログに、『吾輩は猫である』を読んでいるという記事をアップしておりましたが、昨日全て読み終えました。

短いものなのかな?と思っていましたが、結構長い小説だったので、少しびっくりしております。

もう少し、昔の文学というものも勉強しなくてはいけないなと思いました。

 

夏目漱石氏の本を初めて読みましたが、さすが、夏目漱石氏ですね。少しの短い文も非常に知的で、知性に溢れています。

1970年頃(昭和45年頃)の本なので、何を言っているのか訳のわからないところや、何て書いてあるのかわからないところが多々あります。

夏目漱石氏ほどの、学識、見識のある方が、猫の目線で本を書く、というところが面白かったです。

ピッチャーに例えると、真っ直ぐがめちゃくちゃ速いのに、変化球で打ち取る。だから余計に、真っ直ぐが速く感じ、手も足も出ない、という。なかなか粋なことをしてくれますね。

 

今から40年ほど前に書かれた本にも係わらず、さも私達が今生きている現代を風刺しているかのような内容です。

さすが夏目漱石氏、先見の明があります。

「将来、こういう世の中になるであろう」と書かれていることが、奇しくも当たってます。因果なものです。

むしろ、私達が夏目漱石氏の書いたことに合わせているかのようです。

本当は思いっきり外れて欲しいことなのですが。

 

夏目氏がご健在だった頃にこの本を読んだ当時の方々は、どういう思いを抱いたのでしょうか?

恐らく、「そんな世の中になるはずがない」、「小説の中で言っていることだから、面白い発想をするな」、という思いを抱いたんじゃないかな、と思います。

そして、言っていることがあまりにも複雑で奇抜なため、かなりの異端児だったんではないかな、とも思います。

今読んでも、「この人変わってるなー」と思うぐらいですからね。

これが当時だったら、そりゃセンセーショナルな本だったことでしょう。

 

 

しかし、

私はこの本に気に入らないところがあります。

何が気に入らないって、結末がです。

私は個人的に、こういう結末を迎える本、こういう終わり方で締め括る本が嫌いです。

ソフトランディングならまだしも、ハードランディング過ぎる。ほぼ墜落のような状態で着陸しているようなものです。

乗客自身も嫌な気分になるし、傍で見ている方も嫌な気分になります。

すごく釈然としないまま本を読み終えました。

今でもなお、後味が悪いままです。

 

 

次は、宮沢賢治氏の「注文の多い料理店」を読みました。

あの発想の転換が面白いですね。奇抜です。

続いて、「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」を読むつもりでいます。

 

 

最後の結末に、私はがっかりです。

結末にメッセージを込めたのでしょうが、もう少し他の込め方はなかったのかな、と思います。

 

今私は、

「この娘めっちゃカワイイで」と言われたので紹介してもらい、実際に逢ったら、残念な結果に終わり、

「紹介して」と言った手前、すぐに帰る訳にも行かず、辛い数時間を耐え、ようやく開放され、

やっと帰れるという喜びと、さっきの数時間を返せという残念な気持ちが入り混じりながらハンドルを握り、

一人帰る車の中、のような心境です。

 

夜の国道がなお暗い。

対向車のヘッドライトが眩しい・・・・・・。

 

 

 

 

 

 


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