--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
・過日、私が投稿した“YouTubeの動画 ”が10数件一挙に削除されました。
・著作権侵害申立で“創価学会”から削除依頼によるものらしいです。
・今年は、自公一体政権20年、池田(生きる屍)の挫折10年!
・池田創価公明の最大の利権・東京都知事選・大阪都構想が面白い!
--宗教をかたる政教一体の欺罔・営利集団は、即刻解散せよ!!
創価学会・公明党をブッた斬る 藤原弘達 著(目次は第3回に掲載)
--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
…S60/10=1985年…〈日新報道〉
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独善的邪教に未来はない
◆ 大衆をなめるな、騙すな
仏教民主主義、人間性社会主義といったふうに、創価学会・公明党が口にする用語は、きわめて内容が暖昧だ。仏教と民主主義という近代思想概念をいとも簡単に貼り合わせたにすぎないのだから、もともと暖昧なはずである。
人間性社会主義にしても然り。これらも、創価学会式ニュースピークの一種である。
彼らは“人間”を口にしても、その人間とは、先のコメントにいう、個人としてではなく、「集団としての人間」(高木宏夫)であって、学会組織も、正本堂妙壇の如く集団処理の効率優先組織なのである。
人間にとって、神にせよ仏にせよ、なんらかの絶対的なものを求めようとする渇望は、人間のある限り、形はどうあろうと、存在し続けることだろう。貧困、病苦……諸々の煩悩のみが、神や仏、絶対的なものを求めさせるとは限らない。月世界から帰還した宇宙飛行士は、月世界で「自分の隣りに神を見た!」と告白している。
宗教の解釈は多様であり、そうあってよいものである。人間が人間らしく、その本来の姿のまま心のゆとりをもつための、いうならば心に栄養を与えるものであろう。宗教は人間の内面世界にこそ、その本来の在り処をもつものである。
巨大組織を頼み、金力を誇示する創価学会のその拠って立つところは、会員の数以外にない。御供養の大号令をかければ、億単位のカネの調達は易々たるものと豪語するのも、現世利益で洗脳した会員の数の上に成り立つことである。
しかも、組織の中枢に立つものは、今や池田大作に忠誠を誓う学会〝官僚〟として、会員大衆に対する支配機構を握っている。既成宗教は無論のこと、新興宗教においては、教団組織などは近代民主主義的組織ではない。宗教教団では、そもそも、下意上達の必要などないのである。上から下へおろしていく、トップ・ダウンでこと足りるし、権威で組織が守られている。
まだしも、大衆投資家の資産を集める株式会社の方が、形式的にもせよ株主総会があり、開かれた組織だろう。
こうした宗教教団組織の中で、現世主義、御利益第一主義、政治主義的創価学会の集団処理効率は、まさしく大衆を数としてしかみない徹底した独裁主義そのものである。しかも、本山・大石寺の権威の他に、自らを権威づけるためにさらに限りなく権力を必要とする。権力には、外に対する力と、内に向ける力の両面がある。
創価学会・公明党の複合組織においては、外への力としての権力志向が格段に強化された点で、まさにユニークなのだ。
外と上への権力志向は、池田大作・創価学会において自己目的化し、極限化しているといってよい。
謙虚に宗教の原点、内なる世界にたち戻ることができるか、それとも、あくなき外と上への権力追求の道を突っ走るか--まさに、この組織にとって運命の岐路に立つ日は迫っている。
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