創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明のスキャンダル-12

2018-08-22 08:03:07 | Weblog

 <サイコパス・池田の“人脈・金脈・性脈”>
創価学会・公明党--スキャンダル・ウォッチング
     これでもあなたは信じますか   内藤国夫  (日新報道 1989/06)
    ------(P.63)---(以下、本文)-------

渡部 一郎・通子
     書記長、委員長の実力があるのに飼い殺し状態
 渡部一郎は、本来なら公明党の書記長、委員長を狙える力をもった男である。大久保直彦副委員長よりはるかに先輩だし、比絞にならない力量がある。  
 しかし、渡部は“陽の当たるポスト”につけない宿命を背負っているために、矢野前委員長の下で常任企画委員、中執、外交委員長、エイズ対策委員長など二流ポストに甘んじた。
 理由は、妻の通子のためである。数ある大作スキャンダルの中でも、大作・通子の関係はやはり別格的意味合いをもつ。
 夫の一郎はそれを知りつつ、あえて通子と結婚した。そして生まれた一人息子に、名付け親の大作から大作の次男と同じ城久の名を有難く頂戴した。
 「先生のお子さんと同じ名前を戴けて、私、夢を見ているような思い。幸せだわ」と通子は有頂天になったものである。
 夫の一郎の心境は複維だった。生まれた子が自分の血を引いているのか大作の子なのか、疑っていたからである。お産のため入院した通子の見舞いにも行かなかったし、男児が無事誕生の知らせに接しても、喜ぶどころか、知らせの使者、通子の柿の藤原郁子にモノを投げつける荒れようであった。
 このおどろおどろしい話は、いずれも大作スキャンダルが表面化するよりずっと以前のことである。
                      ☆
 池田はお手つき女性のお下げ渡しをする際の常套手段として、夫の一郎を衆院兵庫一区から立候補させ、既に八回の当選を重ねる代償を与えた。そして、妻の通子にも衆院東京一区の名門区から立候補のチャンスを与えた。通子は四万五千余票を集め堂々当選、ここに目出たく“オシドリ議員”が誕生した。昭和四十四年十二月のことである。その後、四十七年の総選挙で落選すると、今度は一郎と同じ兵庫県から参院に立候補させ当選させている。
 まだ、池田スキャンダルが周知の事実となる以前のこと。通子は池田との仲を隠すどころか、誇示してみせた。
 「池田先生に随順しなさい。そうすれば、私たち夫婦のようにオシドリ国会議員にもなれるのだから」
 同じ姉妹でも、姉の郁子は先生の意に添わなかった“罰当り”としていじめられ、妹の通子は身も心も捧げつくした模範人間として用いられる。学会内では知る人ぞ知る事実だったのである。
 ただし、噂が内にとどまっていれば、オシドリさんはずっと幸せだったし、夫の一郎は書記長、委員長コースを歩けたかもしれない。
 五十五年、池田スキャンダルが外部に徹底的に暴き出され、事情は一変した。
 通子は、一期限りで参院議員を辞めさせられた。党の婦人局長というポストも、婦人代表としてはイメージが悪すぎるだろうとの判断で、生活局長に左遷された。ダメージを受けたのは、夫の一郎も同じである。陽の当たるポストに就けば、なにかと池田スキャンダルの格好のタネにされる。後は飼い殺し、使い捨ての道が残されるだけ。
 照る日、曇る日、サマザマである。

多田 省吾・時子
      藤原行正夫婦の罵倒で辛うじて生きのびる
 夫の省吾は参議院議員。次の選挙では定年を前にして健康不安で退陣することが決まっているのに、昨年の党大会で副委員長に再選された。かなりの重用ぶりといえる。もっとも、矢野執行部の崩壊で、多田も副委員長ポストを外されてしまったが…。実はこの人も髮結いの亭主。
 というのも、夫人の時子は女子部時代、池田と特別の仲だった。池田の泊まる先々で池田の脇腹をさすったり、スプーンでメロンを食べさせたりといったことが、側近によって何十回となく目撃されている。省吾と結婚後も、池田と特別な関係を統けたのかどうか分からない。しかし結婚前は、デバートに池田夫人気取りで豪華な買い物にでかけたりしている。昭和四十年頃は、特に本部の女子職員の間で池田との特別な関係が取り沙汰され、羡ましがられたものである。
                      ☆
 渡部通子が月刊べン裁判で池田の女性スキヤンダルを否定する証人として出廷したのに対して、時子は出廷を断ったことで学会内では有名になった。当時、会長の北条浩は「時子は証人になりたがらない。時子は弱いんだ」と周囲に喋った。これは、暗に北条が時子と池田との関係を認めたことになる。
 時子は当時、婦人部の会合で「私は(池田との関係は)ありません。あったら、ありがたいんですけど」と発言している。
 事実を隠蔽するつもりが、逆に本心をさらけ出した格好だ。
 時子は現在、藤原行正の妻の郁子を、婦人部の会合でメッタクソに罵倒し続ける役目を負っている。かって、二人の仲は決して悪いものではなかった。悪口をいわせるのは、明らかに池田の差し金である。そのご褒美か、時子は最近、全国総合婦人部長に返り咲きを果たした。また、時子が郁子を罵倒すればするほど、夫の方も公明党で重用される。この夫婦、「スキャンダル話から池田先生を守る」ことで公明党内の地位を辛うじて保っているのだ。

松岡 資・雅子
     毛並みはいいが所詮は池田の操り人形
 慶応大学卒の資と千葉市内の開業医・相川病院院長の娘である雅子の結婚は、学会の中では珍しく毛並みのいい者同士の結婚だった。雅子は第一庶務出身。やはり、池田とのスキャンダルがウワサにのぼる。 上田雅ー副会長もかって、友人に「雅子は先生のお手つき女」と告白したことがある。
 資は、池田本仏化を積極的に推進し、池田に用いられた。若くして聖教新聞の編集総局長になり、学会の組織では副会長になった。新宿区の区長も経験。かなりのエリートコースを歩んでいる。だが、これも髮結い亭主の例を免れない。雅子は結婚後も、第一庶務付きだった。あまり表面には出てこないが、「池田先生に近い女性」ということだけで、学会内では知る人ぞ知る特別な存在である。
                      ☆
 吉田章子、上田京子、そして松岡雅子。言論問題が表面化し、池田が世間から隠れるようにしていた時、こういった女性たちはいつも池田のそばに侍っていた。今、学会内には紅梅会という婦人部人材育成グループがある。『聖教新聞」紙上にも最近、このグループの活動が報道されるようになった。婦人部の人材育成といっても、メンバーは第一庶務出身の婦人が殆ど。
 やはり、苦しい時には「お手つき女」を集めるのが池田のいつも変わらぬやり方である。
 資は池田の名で『日経新聞』に連載し、単行本にもなった『私の履歴書』の代作者。いくら多忙な毎日といっても、自分の履歴書ぐらい本人が書くか、せめて口述筆記させるのが、世間の常識というもの。そういえば、かって池田は富士短期大学の卒業論文も側近の桐村泰次に書かせた。池田の履歴そのものが脚色に満ちている。
  -----(29P)----つづく--
                          〈目次一覧は、本項第2回「H30/8/12」に登載〉

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