創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田の脱税・ピンハネ-74

2015-09-15 09:45:16 | Weblog

◆そこまで“脱税・ピンハネ”いいんかい…!!  (再)    
  *脱税・ピンハネの総合商社(寄付・会館・出版・墓園・民音・学校・宣伝・Etc)の池田創価(=公明党)
 *躁・鬱病の似非医者、ユスリ・タカリ・恫喝、役所と連携の生活保護利権は、池田創価(=公明党)
 *脱税・ピンハネの貧困ビジネス(露・闇市・薬の転売・他)利権も…共産党より池田創価(=公明党) 
 *池田創価(=公明党)のアメとムチで総体革命、司法・行政・警察・マスコミ・芸能・評論家・Etc
 *自民党国会議員の半数以上を支持する池田創価、国税等の脱税・ピンハネ黙認で、?十年…!!
 *池田創価の脱税・ピンハネ黙認は、政府・国税庁の憲法違反<89条・不作為の公金支出>ダ…!!
 *池田創価の脱税・ピンハネ課税+マイナンバー課税すれば…消費税なしで財政再建できる…!!

〇乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント<矢野絢也・2011/10・講談社…1,800¥>より
  ----------P321-----本文・ここから--
◆石田委員長の裹切り
 一〇月一二日、経済企画庁の総合計画局審議官になった坂本氏から久しぶりに電話があった。
「ルノワール事件のことをNHKが放送した。ルノワール事件については、国税と検察は共同で動いている訳ではない。しかし最後は国税に戻ってくる。国税は行方不明金だけを対象にして調べている訳ではない。検察は熱心に調べており、国税は八尋調書の線で進めている」
 脱税容疑で検察庁に容疑者を告発するかどうかを決めるのは国税庁だ。坂本氏が「最後は国税に?ってくる」と言つたのはその意味だろう。
 検察?が熱心に捜査しているとは困ったことだが、国税庁が八尋調書に従つて調査を進めていると聞いて安心した。八尋氏は国税庁の事情聴取に「金のやり取りと無関係」と主張しており、国税庁の調査がそれに従って進んでいる限り、八尋氏と学会には累が及ばないからだ。
 さっそく、秋谷氏に坂本氏の話を伝えると「国税が八尋調書の線だとありがたい」と喜び、情報の再確認を求めた。八尋氏からも「あの調書どおりで矢野さん、よろしくお願いします」と懇願された。
 同日、本山からの独立に向けた学会の現伏について、関西の学会幹部が連絡してきた。池田名誉会長はその前日の本部幹部会で「もう日蓮正宗とさよならしていいだろう」と宗門との決別を予告した。池田氏の発言は全国の学会の主な会館に同時中継された。
 この幹部は、懸案のご本尊問題について「学会は(宗門所蔵の)ご本尊は無視する方向。日蓮大聖人や昔の法主の別のご本尊を復刻する方向も検討されている」と語った。また学会の財源にもふれ、財源確保のために学会が以前にも増して墓苑事業に力を入れていく方針であること、既に滋賀に墓苑を作るために土地探しをしていること、滋賀の墓苑の土地探しでは学会内で黒い噂が出ていることなどを明かした。
 そのころ、政界では金丸氏の去就に注目が集まっていた。金丸氏は五億円闇献金問題の責任を取り、八月末に自民党副総裁を辞任していた。しかし東京地検特捜部が五億円闇献金事件の捜査を、本人への事情聴取もせずに上申書の提出だけで済ませた挙げ句、政治資金規正法違反容疑で略式起訴したことに世論は猛反発していた。いまでこそ政治資金規正法違反は重大視されているが、当時は形式犯とみなされていた。
 金丸氏は、竹下政権誕生時に右翼団体が竹下氏の首相就任の妨害活動を展開した「皇民党事件」でも注目を集めていた。
 皇民党事件は八七年秋に起きた。竹下氏のイメージダウンを図った皇民党の街宣活動を抑えるため、金丸氏は東京佐川急便の渡辺広康・元社長に解決策を依頼。渡辺元社長が街宣活動を抑え込んだという。
 また、この五億円闇献金事件と皇民党事件への対応を巡り、金丸、竹下、小沢の「金竹小」関係が崩れ、小沢氏が「金丸会長が大変なときに他人事のような顔をしていていいのか」と竹下氏を批判。小沢氏と竹下氏の亀裂が決定的になった。
 一〇月一三日、宮沢首相の側近が私にクレームをつけてきた。金丸、竹下両氏の問題は宮沢政権を直撃し政権は大揺れだった。公明党が問題を大きくする動きに出た場合、展開次第では政権崩壊につながりかねない。そうならないように公明党の石田、市川執行部の動きを私に抑えてほしいというのが宮沢側近の本音だった。
「金丸が議員辞職するらしい。金丸のところに竹下らが詰めかけ翻意させようとしている。だが小沢?市川ラインの関係で、公明党は竹下にきつい。金丸・竹下潰しで小沢と公明党が連携して動いていると見ている」
 首相側近がなじるように言った。私はビックリしながら「そんなことはない」と言下に否定したが、学会が竹下氏にあらぬ嫌疑をかけていたことを思い出し、「もしかしたら学会が竹下潰しで動いているのか」と不安になった。
 世論の激しい批判にさらされた金丸氏は一〇月一四日、遂に議員辞職に追い込まれ、竹下派会長も辞任。竹下派では後任の会長を巡り、会長代行の小沢氏のグルーブと反小沢の小渕副会長のグループが激しく対立し、年末の竹下派分裂に突き進む。
 一方、皇民党事件に関連して、金丸、竹下両氏の国会証人喚問を求める声が高まり、竹下氏に対して議員辞職を求める声が政界から沸き起こつた。
 竹下氏の議員辞職要求の先頭に立ったのは、こともあろうに学会への第一次税務調査潰しを竹下氏に頼んだ公明党の石田委員長だった。
 石田氏は一四日の記者会見で「総裁選への暴力団関与は、民主政治の根幹に関わる問題だ」として、竹下、金丸両氏の証人喚問による真相解明に全力を上げることを表明、あわせて竹下氏の進退に言及し「議員辞職に値する」と言い切った。野党党首が竹下氏に議員辞職を求めた
のは初めてで、これをきっかけに他の野党や自民党内からも竹下氏の議員辞職を求める声が相次いだ。
「公明党は竹下にきつい」という宮沢首相側近の指摘どおりの展開になったわけで、竹下氏の側近からさっそく私に抗議が来た。
「お宅の石田委員長がいちばん先に竹下辞任の口火を切ったが、どういうつもりか。恩知らずとはこのことを言うんだ」
 私は「マスコミに聞かれて、つい言ってしまったようだ」と苦しい弁明をしたが、私自身も石田氏の言動に腹を立てていた。私はすぐに竹下氏に連絡して謝罪した。石田発言によって追い詰められた竹下氏は不機嫌で「なぜ、よりによつて石田に言われなければならないのか」と憮然としていた。
 竹下氏に謝つた後、私は怒りを抑えて石田氏に電話をし「竹下さんと側近が〝なぜ石田が口火を切るのか。恩知らずだ〟と非常に立腹している」と状況を説明した。あのとき、石田氏は電話口で竹下氏に「恩は必ず返します」と必死に頼んでいたではないか。そう思うと、怒りが込み上げてきて叩きつけるように受話器を置いた。私は石田氏はじめ学会・公明党首脳たちの無礼な振る舞いが腹に据えかねた。大仰に言えば怒髪天を衝く思いだった。
 しばらくすると竹下氏から電話があった。竹下氏は、懸命に心を静めようとしているらしく、いつもの淡々とした口調に戻っていた。竹下氏は私と話す前に、学会の山崎副会長と話したという。
「山崎に私のほうから電話をして、自分の心境を話した。山崎は、石田に事情を聞いて連絡すると話していた。学会との関係は変えたくないと思つている」
 だが翌日になっても山崎副会長は竹下氏に電話一本かけなかったという。
 山崎氏は、学会の政治担当として、第二次税務調査をはじめ問題が起こるたびに竹下氏にすがっていた。池田名誉会長個人の脱税問題では、竹下氏の力添えで脱税をもみ消してもらい、山崎氏も竹下氏に感謝していた。
 ところが竹下氏が政治的に追い込まれるや態度を一変させ、助け舟を出すどころか逆に追い落としにかかつた。学会?公明党の首脳たちは冷酷、非情と言われても仕方がなかろう。
 当時は「あまりに冷酷ではないか」と憤慨したものだが、今となっては、それが学会の本質だと思つている。
 先にふれた「小沢が都知事選挙で頼みにきた。これで国税は大丈夫だ」という池田名誉会長の「発言」が事実とすれば、池田氏は小沢氏に都知事選の貸しをつくったおかげで国税問題が解決したと思い込んでいるのではないか。もし池田氏が小沢氏と気脈を通じていたとすると、私の知らないところで市川?小沢コンビが動いていたのかもしれない。市川氏が秋谷・八尋・矢野ラインの工作に無関心だったのは、そういった自負が、市川氏にあったからとも考えられる。
 言うまでもなく私は手柄話をしたくて本書を書いているのではない。私が自分の手帖を確認しながら細かに当時の模様を再現した目的は、学会の経理の実態とそのずさんさ、信仰の美名に隠れて国民の義務である納税すら軽視する悪辣な体質について世間に知っていただきたいと思ったからだ。
 既述のように、?日のように私は国税と話し合っていた。私の知り得る範囲では小沢氏が学会の国税問題で尽力したという話を耳にしたことがない。ならば池田氏の壮大な勘違いなのか。その後の政局転換を計算し尽くしての政治行動だったのかもしれない。池田氏は国税調査が一段落ついたとき、「やはり権力を取らなければ」と私につぶやいた。その願望実現のため一一コンビ」を持ち上げ、遂に細川政権で非自民連立政権を樹立するに至る。このシナリオを推進したのが「一一コンビ」だったのは事実である。もし、池田氏がそのような将来絵図を描きそれに基づいて動いていたとしたら、これはまさに政治的天才である。だがそのような周到な計画があった可能性はほとんどないと私は見ている。はっきり言えば、学会の路線は二転三転、毎日が行きあたりばったりの連続のように見えたからだ。
  ----------------改頁------327-つづく--

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