創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

続・創価学会を斬る-5

2018-09-28 08:34:04 | Weblog

 <藤原弘達の“創価学会を斬る”シリーズ・2/7>(再・掲載)
続・創価学会を斬る  藤原 弘達  昭和46(1971)/12  日新報道

              ------(P.19)---(以下、本文)-------
◆ 学会・公明党の内側に何が起こったか
 神格化されてきた池田会長が“おわび”をするということは、学会にとっては破天荒のことであった。当然のこととして、それをするには並々ならぬ決意が必要であったろうし、これをいったいどのように表明したらいいか、といった戦術的苦悩もあったろう。ともかくこの“お詫び”を出すにあたってさまざまな配慮が働いたことは疑いがない。事実、多分の演出を含めて池田大作の人間的苦悩なるものを、学会の内外に知らすためと、事件の隠蔽のためにさまざまのマスコミエ作が行なわれたことはまぎれもないところなのだ。
 さて、その“お詫び”の発端となった“言論出版妨害問題”について、竹入委員長が“事実無根”とシラをきったのは四十五年一月五日のことであるが、この“事実無根”から池田会長の“猛省”まで、学会・公明党の内部でいったい何が起こったのであろうか。
 一言でいえば、「未曾有の混迷」が起こったと評しうる。公明党のほうは、周章狼狽して力メレオンのようにハレンチにくるくるとその立場を変え、学会のほうは池田会長の“お詫び”の準備のためにさまざまの手のこんだ陰謀をめぐらしたというように表現してもよいだろう。
 まず党についてみると、竹入委員長が“事実無根”とシラをきってから、わずか十日ほどしかたっていない一月十六日、早くも矢野書記長が言論抑圧問題でシラをきりつづけるのをかえって不利と悟ってか、あるいは真実をこれ以上隠蔽しつくせないと判断してか、いわゆる“接触の事実”を認めるにいたった。ところが矢野書記長は接触の事実を認めながら、他方でさまざまないい訳をしているのだ。例えば「客観的に正確な評価をしてほしい」とか、「出版時期について考慮できないかと、要望しただけで脅迫的なことはなかった」といったことをグチャグチャとくりかえしている。しかし、藤原行正都議会議員が私に接触したこと、一般書店についてその取扱いを考慮するよう要望した若干の事実がある、といったいわゆる“接触の事実”は認めざるをえなかったのである。
 いったい「選挙の時期を狙った出版ではないのか」「選挙妨害の意図があるのではないか」
 「出版時期について考慮できないのか」といった交渉の仕方が、まともな交渉と受取れるかどうか。それは別にしても書店に「取扱いを考慮しろ」と一種の脅しをかけているのだ。それが言論出版の妨害にならないのかどうか。「考慮しろ」とは事実上は売ることを「止めろ」ということにほかならない。そうした事実は彼としても認めざるをえなかったワケである。
                      ☆
 私が問題を提起して以来、これまでさまざまの創価学会・公明党の批判書が闇から闇へ葬られたり、さまざまの圧力をかけられたりしていたことが明るみにでてきた。そしてこの問題をまず共産党が大きくキャンペーンし、社会、民社両党も国会で追及するという方向を発表して、国会の論議の対象となったことは、これまた周知のところだ。
 だが、私や内藤国夫、あるいは社会、民社、共産三党などの批判に対して、公明党はいったいどれだけマトモに答え、それなりの反省をしたのか。
 後等は言論や出版を抑圧したことを反省するどころか、鈴木ー弘参議院議員などは、むしろ「泥にまみれても戦え」というようなことを述べているのだ。二月十四日(四十五年)の両院議員総会で衆議院議員の瀬野栄次郎は「泥仕合になるのは遺憾だが、もうやむをえまい。我々は共産党に関する攻撃材料をいくつも用意している。他党の事例も調査した。民社党の言論抑圧の事例もここにある。党執行部の勇断を求める。なんなら我々だけでもやりたい」と反擎強行論をぶっているのだ。
 また参議院議員の黒柳徹は「現状で国会審議が進めば“公明党いじめ”の国会になる。事実のない問題で政府に資料を要求するのなら、我々も野党議員のスキャンダルの事実を知っているので、政府に資料要求をしたい。共産党についても生活保護費の不正受袷など数限りなく問題はある。これらを究明するため全党をあげて調査特別委員会を作り、反撃に転ずるよう党執行部の勇断を求める」と発言している。
 そのほか岡本富夫、小川新一郎、大久保直彦、相沢武彦、林孝矩、二見伸明、田中昭二、近江已記夫(以上衆議院議員)、二宮文造、渋谷邦彦、宮崎正義、山田傲一、田代富士男、三木忠雄、多田省吾(以上参議院議員)等、公明党の国会議員のほとんどが問題を自分のこととして反省せず、“毒には毒をもって制せよ”、“泥には泥を投げ返せ”、“目には目を、歯には歯を”といった論法で執行部を突き上げているのだ。彼等は少しも問題の本質をつかんでいないばかりか、いささかも反省の色がみられなかったのである。
 これに対して執行部は、戦術的な配慮から、この問題は何といっても公明党に不利である、反撃が最善かどうか、それがどうもわからんということで、竹入、矢野等執行部は憤激する議員たちをともかく抑えたのである。(足立利昭『新生する公明党』一六〇~一六三ページ)
 こういった公明党議員の無反省な態度をもっとも的確に表現したのが一月十一日に創価学会学生部幹部会議でなされた渡部一郎代議士の発言である。彼は次の調子で言論出版妨害に対する批判、攻撃をせせら笑ったのである。
                      ☆
 社会党のうすバ力どもが調子にのつて、「言論の自由の問題は政治の問題であるから、われわれもとりあげたい」--このあいだからとくに百四十議席から九十に落ちたが、こたえているんだな。ひがぬいとる感じだな(笑い)。まだいいよ、九十あるじやないか。そのていどですんで感謝しなきゃいかん(笑い)。そうひがむなよ(笑い)。こっちなんかまだ四十七で我慢してるじやないか(笑い)。とにかくひがんだヘンな目つきして傷だらけの傷病兵みたいもんだ。ぼくらとすれ違うと、うらみがこもた目つきでみる(大笑い)。
 そこへ民社党が「あの問題はウチがいい出したものだ。言論の自由の問題は重要だ。この際徹底的に公明党をやつつけなきゃいかん」とかワイワイいう(笑い)。
 共産党をやっつけるのが立党の精神なら、民社党は共産党としっかりたたかうべきだ。それを公明党 とケン力して、どっちの味方なんだ。わけがわかんなくなる(笑い)。頭が宙返りしている。そんなんじゃしようがない。ほんとうの政治家とは思われない。気がちがっているとしか思われない(笑い)。
 それから自民党なんかにものをたのむほどうちは落ちぶれていませんよ。はっきりいっておくけど(長い拍手)。
 皆さんにわかってもらいたいんだけどうちは自民党に“貸し”はあるけど“借り”はないですよ(拍手)。“貸し”はいろいろあるけどね。さいきんは“角”とか“福”とかいう連中がつぎの総理になるそうなんだな。はっきりいっておくけど、両方とも“黒い霧”のヒモがちゃんとついてるんだ。導火線をうちはにぎっとるんだ(笑い)。いつだって火はつけられるんだ(笑いと拍手)。
 選挙があるから、がまんしているだけだ。それなのにいい調子になりやがってね。うちをおどかす片棒をかついでいるやつなんか、ようしゃせん。
 ようしゃせんとわれわれが怒るだけで、向こうはあわてちやってるんです。
 どうかこのさい公明党にたいして、創価学会にたいして、池田先生にたいして好意的な目つきをしておかないとオレの総理への道は落し穴をつくられてしまう(笑い)、時限爆弾をしかけられてしまう(笑い)。かれらの恐怖と脅威は毎日ふえる。それこそ顔面まっさおになって、毎日ふるえながら新聞をみているのは、自民党ですよ、ほんとに(笑い)。
 転じてマスコミに対しては「このばかばかしい事件、まるっきりウソとゴマカシとデマと中傷で固めた鼻紙みたいなもの」、「この間までガンガン書いていた新聞社が、止めてしまいました。何故止めたか。何かというと口を出す公明党か、これだけいわれても黙っているのは深いわけがあるのだろうといって、新聞記者が恐ろしくなってきたのであります」「こんなうるさいときにしゃべっても、仕様がない。静かになったときしやべる、いっべんにそのときに言つてやろうと待ち構えているのです」

 以上のようにやってのけたわけである。この発言はやはり後世の「記念」として残しておいてよい。彼等のアウトロウ的な脅迫型体質がハッキリとあらわれているといえるだろう。
  -----(25P)----つづく--

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 続・創価学会を斬る-4 | トップ | 続・創価学会を斬る-6 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事