今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ふろしきの日

2006-02-23 | 記念日
今日(2月23日)は、「ふろしきの日」。
京都ふろしき会が制定。「つ(2)つ(2)み(3)」(包み)の語呂合せとか。
「風呂敷」は物を包んで持ち運ぶために用いられる正方形の四角い布で、古くは「平包み(ひらづつみ)」と言っていた。風呂敷の語源は、文字通り風呂に敷くから「風呂敷」で、衣服を脱ぎ着するのに床に敷いたことから転じてこの名がある。
日本の風呂も、仏教の伝来とともに中国から伝わったもので、はじめは宗教的な禊ぎや儀式にあった。我が国でも戦乱の治まるまでの時代は、入浴といえばお寺であった。寺院では僧侶だけでなく民衆への施浴もあった。中でも東大寺の大湯屋は、最大最古のもので、約100坪もあったようだ。湯屋とは沸かし湯を浴びて垢を洗い落とすところで、風呂は本来汗を流す蒸し風呂のことをいった。
室町時代の風呂は先にも述べた蒸し風呂の様なもので、蒸気を拡散させるために、「むしろ」「すのこ」「布」などが床に敷かれていたものがもともとの風呂敷の起源のようであるが、入浴者も当時は、白布の衣を身につけて、沐浴する習慣だったが、床に「ふろしき」を敷いてその上で衣服を着替えたものであった。
室町時代、足利義満が室町の館に大湯殿(おおゆどの)を建てた際、大名達が他の人の衣服と間違えないよう家紋入りの絹布に脱いだ衣服を包み、湯上りには、この絹布の上で身繕いをしたのが今で言う「ふろしき」の始まりといわれている。これが「風呂敷」と「平包」の間に位置するものと考えられる。江戸時代に入り、湯を張った銭湯が誕生し、庶民も気軽に湯に入れるようになった。 江戸庶民には敷物の上で、衣服を脱ぎ着するといった行儀のいいことはしなくなった。そしてこの頃より元来の”敷く”目的だった「風呂敷」が、しだいに「包む」目的に変ってきて、衣類や入浴用具を四角い木綿の布に”包む”ようになった。これが、現在の「ふろしき」に近いもので、風呂に敷く布のようなもので包むことから「風呂敷包み」や「風呂敷」と呼ばれるようになった。銭湯が発展したのに伴い、江戸時代の元禄頃から「平包(ひらつつみ)」に変り、「風呂敷」の呼称が一般に広まっていった。布を二幅から七幅まで継ぎ足して、荷物の運搬用に、また、布団などの大きいものも包むようになった。
今の「ふろしき」の”包む”というものに、日本独特の優れた文化を感じる。風呂に入る道具としてみただけでも、1枚で、衣類の持ち運びに使われ、又、脱衣かご代わりや、バスマットをも兼ねた優れものであったが、「ふろしき」には、”収納”面や、”運搬”面でも、 物の量・大きさ・形に自由に対応できる、たためるのでかさが張らない、多用途性(多目的性) がある、そして、再利用・別利用ができる など非常に多くの特性がある。
今、「ふろしき」のサイズは、一幅といわれる34cmを基本として、約8種類のサイズのものがあるそうだ。なぜ、基本が34cmかというと、一反に織りあげられた布を継ぎ足して作っていたために、着尺小幅の実寸(約36cm)から縫い代を引いた鯨尺の9寸(34cm)が基本となっているからだ。
江戸時代からの便利ものは使い方を覚えれば、本当に役にたつよ・・・。最近は、テレビなどでも、「ふろしき」の使い方など」放送していたが、以下参考の「ようこそふろしき研究会へ」などで、風呂敷の使い方などが色々紹介されてる。普段使わなくても、手頃なサイズのものを一寸、買物袋や旅行バッグなどに忍ばせておくと、とっても便利だよ。
(画像は風呂敷「絵本吾妻抉」。NHKデーター情報部編、ビィジュアル百科・江戸事情より)
 参考:
ふろしきの歴史(資料提供:東京ふろしき振興会)
http://wakomono.tafs.or.jp/furoshiki/rekisi.htm
ふろしき(風呂敷)資料室 >(宮井株式会社)
http://www.japan-furoshiki.jp/frame/f-rekishi.html
ようこそふろしき研究会へ
http://homepage2.nifty.com/furoshiki_sg/