今日(2月16日)は、「天気図記念日」
1883(明治16)年の2月16日は、ドイツ人気象学者エリヴィン・クニッピングの指導のもと、7色刷りの日本初の天気図が作成された日だそうだ。天気図は1日1回発行されることになり、8月23日からは新橋と横浜の停車場に掲示された。
わが国の気象観測の歴史は、明治政府が、1871(明治4)年、工部省に測量司を置き、東京府下の三角測量を始めたが、測量師長はイギリス人のマクビーン( 明治元年に灯台建設のため来日、明治4年に工部省測量司に移る)で、その測量助師のジョイネルが明治政府に気象観測の必要性を建議したことにはじまり、以後、1872(明治5)年に日本初の気象観測所が函館に開設され、1875(明治8)年には気象庁の前身の東京気象台が現在の東京赤坂に設立され、地震観測と1日3回の気象観測を開始した。1887 (明治20)年、東京気象台を中央気象台と改称 。1924(大正13)年に天気図が新聞に掲載されるようになり、翌1925(大正15)年にはラジオの天気予報がはじまり、昭和28(1953)年にはテレビによる天気予報がスタートし、1977(昭和52)年、 静止気象衛星「ひまわり」が打ち上げ られ、今日の様な天気予報が行われるようになった。
ただ、おどろいたのは、その時、マクビーンも気象観測のために日本への招へいと気象器械の調達を依頼したシャーボーは、来日の際「日本は地震が多いと聞いたが、測点が移動しては困る。日本で測量をするにはまず地震観測が必要だ。」と考え、イタリア製の地震計を気象器械とともに持参したというのだ。当時から、外国人に日本の地震の多いことは良く知られていたんだよね~。だから、日本は地震対策は、確り、行っておかなければならず、特に、地震による家屋の倒壊を防ぐためにも、地震に強い建物を建てておかなければならないのに、昨年発覚した建物の構造設計偽造に始まる違法な建築などが見られるのには憤りを感じる。
気象庁の基本的な役割は、毎日の気象情報ならびに、地震、津波、火山活動など自然災害情報の提供にあり、毎日の気象情報は、農業、漁業、林業から、観光などのサービス産業にいたるまで、いまや経済活動に必要不可欠なものになっている。また、台風、大雨、地震、津波、火山活動などの自然災害に関する情報も、災害予防、避難などの対応に役立てられ、国民の生命や財産を守る上で重要な役割を果たしている。最近では、地球規模の環境問題が進行する中、地球温暖化、酸性雨、大気汚染などの環境観測のデータも収集されるようになっている。
1994(平成6)年には、前年の気象業務法の一部改正に伴う、第1回気象予報士試験を実施 し、翌年から、民間気象事業者による局地天気予報の自由化も された。今では、前からお天気予報で人気のあった森田正光さんやタレントの石原良純さんなどが資格を取り、各テレビ局の気象予報士も色々工夫した特色のある天気予報がされるようになった。
昔は天気予報も当たらなかったが、最近は、短期のものは、比較的良くあたるようになったと思う。しかし、それが長期予報になるとなかなか当たらない。今冬も長期予報では暖冬であったが、暖冬どころか極寒の日が続き、38豪雪並みの大雪で、多数の死者が出ている。
現在は、ひまわり6号による衛星軌道上からの雲などの観測、地上レーダーによる雲の観測のほかに、各地の気象台の気温や湿度、気圧測定などの情報を総合して、今後の気圧や雲などがどのように変化するかを予測するらしいが、これだけ、化学が発達しても、自然を予測するのは難しいのだよね。
昔、私達が子どもの頃は、よく、下駄を蹴り上げて落ちた形で天気を占っていた。上下が正しければ晴れ、逆さまなら雨。 今の子ども達が見ると非科学的だとあきれるだろうね。
平安時代、国家官僚であった陰陽師は、中務省の陰陽寮に属していた。その陰陽寮には天文観測をする場所があった。お天気も、陰陽師の占いに頼っていたのだろう。
以下参考に記している「ざいだん模様 江戸の天気予報士 平戸松浦薄に伝わる天気見伝書」によると、江戸時代、毎日毎日、雨の日も風邪の日も空を見るのを仕事にしていた1人の武士がいたそうだ。主君に命じられ、祖先から伝えられた観天望気の秘伝書が当たるか、当たらないかを10年に亘って検証したのだそうだ。幕末の伊能忠敬の地図作りじゃないが、これも大変なことだね~。
昔から、農民や漁師たちにとって、毎日の天気は今の時代以上に、生活にかかわる重要なことであったから、天気予報の無い時代は、長い間の経験で培われた多くの天気に関する俗信や諺などを、覚えやすく判りやすい言葉で作りだして子孫に伝えてきた。その中には、 「朝焼け雨、夕焼け晴れ」「月に暈なら雨」といった現在でも通用するものもある。このような、天気に関する民間伝承が、「観天望気」と呼ばれているものだ。何でも、局所予報に関しては、気象庁や民間気象予測機関が行う天気予報よりもこのような観天望気の方があたる確率が高いとのことだそうだよ。
昔からある、天気予報に関する言い伝えは多くある。皆さんはどれくらい知っているかな?以下参考の「昔からの言い伝えで天気を予想する 」や役に立つ「お天気百科」を見ると良い。
(画像は、ひまわり画像)
参考:
気象庁ホームページ
http://www.jma.go.jp/jma/index.html
気象庁 | 気象庁の歴史
http://www.kishou.go.jp/intro/gyomu/index2.html
ざいだん模様 江戸の天気予報士 平戸松浦薄に伝わる天気見伝書
http://nippon.zaidan.info/kinenkan/moyo/0001353/moyo_item.html
昔からの言い伝えで天気を予想する
http://www.geocities.jp/aozorakai2004/yohoushi3.html
役に立つ「お天気百科」
http://www.njwa.jp/weather/index04_a.htm
今日は何の日-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%97%A5_1%E6%9C%88
1883(明治16)年の2月16日は、ドイツ人気象学者エリヴィン・クニッピングの指導のもと、7色刷りの日本初の天気図が作成された日だそうだ。天気図は1日1回発行されることになり、8月23日からは新橋と横浜の停車場に掲示された。
わが国の気象観測の歴史は、明治政府が、1871(明治4)年、工部省に測量司を置き、東京府下の三角測量を始めたが、測量師長はイギリス人のマクビーン( 明治元年に灯台建設のため来日、明治4年に工部省測量司に移る)で、その測量助師のジョイネルが明治政府に気象観測の必要性を建議したことにはじまり、以後、1872(明治5)年に日本初の気象観測所が函館に開設され、1875(明治8)年には気象庁の前身の東京気象台が現在の東京赤坂に設立され、地震観測と1日3回の気象観測を開始した。1887 (明治20)年、東京気象台を中央気象台と改称 。1924(大正13)年に天気図が新聞に掲載されるようになり、翌1925(大正15)年にはラジオの天気予報がはじまり、昭和28(1953)年にはテレビによる天気予報がスタートし、1977(昭和52)年、 静止気象衛星「ひまわり」が打ち上げ られ、今日の様な天気予報が行われるようになった。
ただ、おどろいたのは、その時、マクビーンも気象観測のために日本への招へいと気象器械の調達を依頼したシャーボーは、来日の際「日本は地震が多いと聞いたが、測点が移動しては困る。日本で測量をするにはまず地震観測が必要だ。」と考え、イタリア製の地震計を気象器械とともに持参したというのだ。当時から、外国人に日本の地震の多いことは良く知られていたんだよね~。だから、日本は地震対策は、確り、行っておかなければならず、特に、地震による家屋の倒壊を防ぐためにも、地震に強い建物を建てておかなければならないのに、昨年発覚した建物の構造設計偽造に始まる違法な建築などが見られるのには憤りを感じる。
気象庁の基本的な役割は、毎日の気象情報ならびに、地震、津波、火山活動など自然災害情報の提供にあり、毎日の気象情報は、農業、漁業、林業から、観光などのサービス産業にいたるまで、いまや経済活動に必要不可欠なものになっている。また、台風、大雨、地震、津波、火山活動などの自然災害に関する情報も、災害予防、避難などの対応に役立てられ、国民の生命や財産を守る上で重要な役割を果たしている。最近では、地球規模の環境問題が進行する中、地球温暖化、酸性雨、大気汚染などの環境観測のデータも収集されるようになっている。
1994(平成6)年には、前年の気象業務法の一部改正に伴う、第1回気象予報士試験を実施 し、翌年から、民間気象事業者による局地天気予報の自由化も された。今では、前からお天気予報で人気のあった森田正光さんやタレントの石原良純さんなどが資格を取り、各テレビ局の気象予報士も色々工夫した特色のある天気予報がされるようになった。
昔は天気予報も当たらなかったが、最近は、短期のものは、比較的良くあたるようになったと思う。しかし、それが長期予報になるとなかなか当たらない。今冬も長期予報では暖冬であったが、暖冬どころか極寒の日が続き、38豪雪並みの大雪で、多数の死者が出ている。
現在は、ひまわり6号による衛星軌道上からの雲などの観測、地上レーダーによる雲の観測のほかに、各地の気象台の気温や湿度、気圧測定などの情報を総合して、今後の気圧や雲などがどのように変化するかを予測するらしいが、これだけ、化学が発達しても、自然を予測するのは難しいのだよね。
昔、私達が子どもの頃は、よく、下駄を蹴り上げて落ちた形で天気を占っていた。上下が正しければ晴れ、逆さまなら雨。 今の子ども達が見ると非科学的だとあきれるだろうね。
平安時代、国家官僚であった陰陽師は、中務省の陰陽寮に属していた。その陰陽寮には天文観測をする場所があった。お天気も、陰陽師の占いに頼っていたのだろう。
以下参考に記している「ざいだん模様 江戸の天気予報士 平戸松浦薄に伝わる天気見伝書」によると、江戸時代、毎日毎日、雨の日も風邪の日も空を見るのを仕事にしていた1人の武士がいたそうだ。主君に命じられ、祖先から伝えられた観天望気の秘伝書が当たるか、当たらないかを10年に亘って検証したのだそうだ。幕末の伊能忠敬の地図作りじゃないが、これも大変なことだね~。
昔から、農民や漁師たちにとって、毎日の天気は今の時代以上に、生活にかかわる重要なことであったから、天気予報の無い時代は、長い間の経験で培われた多くの天気に関する俗信や諺などを、覚えやすく判りやすい言葉で作りだして子孫に伝えてきた。その中には、 「朝焼け雨、夕焼け晴れ」「月に暈なら雨」といった現在でも通用するものもある。このような、天気に関する民間伝承が、「観天望気」と呼ばれているものだ。何でも、局所予報に関しては、気象庁や民間気象予測機関が行う天気予報よりもこのような観天望気の方があたる確率が高いとのことだそうだよ。
昔からある、天気予報に関する言い伝えは多くある。皆さんはどれくらい知っているかな?以下参考の「昔からの言い伝えで天気を予想する 」や役に立つ「お天気百科」を見ると良い。
(画像は、ひまわり画像)
参考:
気象庁ホームページ
http://www.jma.go.jp/jma/index.html
気象庁 | 気象庁の歴史
http://www.kishou.go.jp/intro/gyomu/index2.html
ざいだん模様 江戸の天気予報士 平戸松浦薄に伝わる天気見伝書
http://nippon.zaidan.info/kinenkan/moyo/0001353/moyo_item.html
昔からの言い伝えで天気を予想する
http://www.geocities.jp/aozorakai2004/yohoushi3.html
役に立つ「お天気百科」
http://www.njwa.jp/weather/index04_a.htm
今日は何の日-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%AE%E6%97%A5_1%E6%9C%88