今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「二日灸,如月灸」の日

2006-02-02 | 記念日
2月2日は「二日灸,如月灸」の日だそうだ。
「大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書」によると二日灸(ふつかきゅう)は陰暦2月2日に据える灸。この日に据えると効能が倍あり、病気をせず、災難をのがれ、長寿を保つとされた。ふつかやいと。・・・とあった。俳句などの春の季語で、「春の灸」ともいうそうだ。もっとも、旧暦2月2日だと新暦では3月1日頃にになるようだが・・・(ここ参照)。
小林一茶の春の部の句にも「かくれ屋や猫にもすへる二日灸」(八番日記 )が有る。
灸に使う「もぐさ」は、よもぎの別名で艾(もぐさ)と表記し、「灸(きゆう)に使う、ヨモギの葉を乾燥して綿状にしたもの」とか。旧暦2月2日に灸を据えるところから二日灸と呼ばれているが、 灸を据える日は年2回、2月と8月にしている所が多く、昔は、結構一般的な風習だったようだ。二日灸はもともと節句の一種だったという説と中国の「天灸」から来ているという説がある。天灸は子供のおでこに×や+の印を書いて無病息災を願ったおまじない。日本の二日灸もこの日にお灸をすれば悪病災難に遭わずに元気に過ごせるという縁起を担いだおまじないだったようだ。
鍼灸治療の起源は古く、中国の殷王朝・周王朝(紀元前1500年~700年)時代の黄帝とその家臣が、幾多の問答をしながら、薬理の集積を編述したと云われる医学原典が世界最古の黄帝内経書の素問と霊枢(紀元前1200年頃)であり、この原典の霊枢編には鍼灸が詳しく記されているのだそうだ。
わが国には仏教の伝来とともに伝えられ、飛鳥時代の欽明天皇(552年)の時、中国呉の国から薬書・明堂図などの鍼灸医書が輸入されたのが最初だとか。以来、明治維新までは医学の中枢を担ってきたことだろう。
貝原益軒(1630-1714)の『養生訓』には、『脾胃(胃腸)が弱く、食が滞りやすい人は毎年2月・8月に灸をするとよい』とハッキリ書かれており、その理由も「脾胃が虚弱で食べ物が滞りやすく、またよく下痢をする人は、これは陽気が不足しているからである。こうした人は特に灸がよい。火気をもって土気を補うと、脾胃の陽気が発生して、循環がよくなり、食も停滞しないで、食欲も盛んになって元気が増える。」と書かれているそうだ。また灸をおく位置については、「天枢・水分・脾兪・腰眼・三里・京門・章門・天枢」への灸が効果的だと書かれているとのこと。
私は、お灸のことはよく知らないが、「三里」のツボだけは知っている。松尾芭蕉の「奥の細道」にも出てくる。
序文の「もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松嶋の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り・・・」
芭蕉がいよいよ旅に出る準備の一つとして三里のツボにお灸すえる。江戸時代には養生のためにお灸をするというのは常識になっていたようだ。足三里は胃のツボで、消化器の働きの調節、血液成分への好影響、呼吸機能の増大、免疫機能の活性化、内分泌系や自律神経系への影響など実に広範囲に渡る効用があるらしい。
「三里」は、中国に於ける」「3」という数字は天・地・人や上・中・下などのように「総て」を表しており、「里」とは「理」のことで「整理する」とか「すじみちをたてて治める」というような意味を持ち、三里というツボの名前は「身体全体(三)を調える(里)」という由来をもっているのだそうだ。三里というのは実に奥の深いツボだね。
そういえば、昔は、子どもが悪さをしたときなどよく、親が「悪い子はお灸を据えるよ」といって叱っていた。私も良くお灸をすえられた。今でも足の三里やお腹などに大きなお灸の痕が残っている。私は家ではおとなしかったので、悪さをした為のお灸ではなく、子供の頃胃腸などが弱かったらしくその治療のためと聞いている。
医学の発達した現代でも、症状によっては、お灸はよく効くと聞いているが、兎に角、お灸は熱く、痕が残るのが欠点であった。しかし、最近では、よくコマーシャルなどでも見るが熱さを緩和するために、もぐさと皮膚の間に色々なものをはさんで、熱が間接的に伝わるようにしたすえ方の間接灸も出来ている。しかし、お灸は、直接灸のほうが効果はあるらしく、プロの間では、直接灸でありながら、もぐさが八分くらい燃えて、熱さを感じるか感じないかその一瞬に、燃えているもぐさをつまみ消しながら皮膚から取り去る方法がとられている。 この方法だと痕も残らなくてよい。
このお灸に使うのが「もぐさ」であるが、滋賀県・伊吹山麓でとれる「伊吹もぐさ」が有名。この伊吹山麓の柏原宿にもぐさ屋「亀屋佐京」(伊吹堂)があり、江戸後期に、その店に「福助」と言う名の番頭がいたそうだ。その番頭福助が、誰もが知っているあの大きな頭と、背の低いからだに裃(かみしも)の礼装をして、深々とおじぎする伏見人形で知られる、福助足袋(たび)の登録商標「福助」のモデルだとも言われている。なんでも、番頭の福助は正直一途で、感謝の心を忘れず、常に客に真心で接したため、商売は大いに繁盛したそうで、この話を伏見の人形屋が聞き、福を招く縁起物として売りだすと、大流行して、どの商店の店先にも飾られるようになったという。現在も、亀屋の店頭には150年続くという(現代のものは二代目)巨大な福助像が祀られているそうだ。
また、この「亀屋佐京」のことは、落語にもなっている。興味のある方は、どうぞ。→「亀  佐/【上方落語】
(画像は数字の13のところが「足三里のツボ」以下参考のつぼ検索サイト「つぼのツボ」より)
参考:
小林老舗(もぐさ・灸用品 製造・販売)
http://www.biwa.ne.jp/~moxa/item/item6.html
帰来堂 
http://blog.livedoor.jp/kiraido/archives/cat_1036297.html#top
つぼ検索サイト「つぼのツボ」
http://www.tubonotubo.jp/search?from=detail&mode=result&md=4&tid=72
三井寺>連載>いのりの原景>異形神
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/prayer/119.htm
伊吹もぐさ亀屋佐京商店
http://www.ibukimoxa.jp/home.html
亀     佐/【上方落語メモ第3集】その108
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug108.htm