ヤンキー先生こと義家弘介さんのことは多くの国民が知っていると思います。多くの国民が知っているからこそ自民党は彼を参議院の比例代表の候補にしたのです。
これから書くことは僕の推測の部分もあるので、事実とは違うかもしれません。彼にはこうあって欲しかったという僕の希望みたいなものを書くので、異論は多々あると思いますが、そのあたりはあまり深く突っ込まないで下さい。
彼が元々ヤンキーで、荒れていて、それから北星学園余市高校に入学し、立ち直り、その経験を元に教師となり母校で教鞭をとっていたことは多くの人が知っていると思います。僕は彼を立派だと思いました。テレビですからある程度の脚色があるかもしれないと思いつつも、彼を立派だと思いました。
僕も教員免許を持ち、一度は教師になろうと思ったことがあったので、そのときには今考えればとても青臭い教育理念のようなものを持っていました。青臭くていいんです。青臭い考え方は若いときにしか持てません。青臭さも必要だと思っています。きっと彼も青臭い教育理念を胸に勉強し教師となり生徒と向き合っていたのだと思います。生徒の方もほかの教師にはない彼の経歴と青臭さに惹かれていたのだと思います。青臭さは彼の財産だったと思います。ただいつまでも青臭いままでいるわけにもいきませんから、その彼の貴重な経験と熱意の上に教師になってからの経験を積み上げていって、ずっと現役で教師をやっていくのだと思っていました。
ところがいつの間にか彼は北星余市高校を辞めて横浜市の教育委員になっていました。このところの経緯についてはよくわからないのですが、きっと彼がテレビに出て有名になったせいでやっかみとかひがみとかあり、それで高校を辞めてしまったのだと、このときはまだ彼に対して好意的な見方をしていました。そしていつかまた現役の教師としてどこかの学校で教鞭をとるものだと思っていました。
その考えが間違いだと気付いたのは彼が安倍首相が作った「教育再生会議」の委員になったときです。最初の感想は「何でこんなもの引き受けたの?」でした。この期に及んでも僕は彼が生涯現役教師でいるものだと思い込んでいたのです。ところがこのときすでに彼は教師でいることを止めていたのですね。教師に戻る気もなくなっていたのでしょう。職業選択は自由ですから彼がどのような仕事をしようが彼の自由ですし、それに対して僕が意見を言う立場にはないことはわかっています。ただ彼にはずっと現場の教師でいて欲しかったのです。「そんなのお前の勝手な思い込みだろ」と言われれば、そうです。僕の身勝手な思い込みなのです。
そもそもこの安倍首相が作った「教育再生会議」の意味がわかりません。今の日本の教育の現状が良くないということはわかります。どうにかしなくてはいけません。だからといって有識者と呼ばれる人たちを集めて会議室で「あーでもない、こーでもない」と話し合ったところで何かが解決するとは思えないのです。そしてこの会議と文部科学省との関係がよく理解できません。教育を再生するための公的な機関といえば文部科学省のはずです。その文部科学省を差し置いてこのような機関を設置するということは文部科学省が役立たずだと言っているのと同じなのではないでしょうか。
確かに文部科学省が推し進めてきた「ゆとり教育」というのが大失敗だったというのはおそらく間違いないと思います。僕は常々、このゆとり教育の実施中に学校に通っていた人たちに対して、「受けるべき教育を政府の愚策のせいで受けさせてもらえなかったのだから、これは明らかに教育を受ける権利の侵害です。一致団結して文部科学省を訴えればよい」と言っています。必要であるべき知識を教えてもらえなかったのですから、僕はこれは一種の犯罪だと思っています。でもそれだからといって文部科学省から独立した「教育再生会議」の設立にも納得はできません。もしどうしてもそういう会議を設置したいのであれば、まずは「教育再生会議」ではなくて「文部科学省再生会議」から立ち上げるべきだと思います。
結局安倍首相は教育を再生したいのではなく、教育を再生しているというパフォーマンスをしたかっただけだと思います。ですから会議を立ち上げることが重要なだけで、その会議に実効性があるかどうかなんてどうでもよかったわけです。ですからどうせメンバーも安倍首相のお気に入りの集まりで、イエスマンばかりだったはずです。本当に教育を再生しようという気がある人の集まりならば、この会議の設立自体に疑問を唱える人が1人くらいいても良さそうなものです。端からそんな気概のある人はいなかったでしょうから、実効性のある答申というよりは、安倍首相が気に入るような答申を出すための会議だったのです。この会議の立ち上げにも多額の税金が使われたでしょうから、「税金のムダ遣いをなくす」だのと耳あたりのよいことを言っているそばからムダ遣いをしていたわけです。
それはさておき、義家さんが教育再生委員になってからの言動を聞いていると、この人はそのうち自民党から立候補するかもしれないなと思っていました。彼の言葉は教師というよりもすでに教育評論家のようになっていて教育理論を語るようになっていたからです。そう思っていたら案の定、今回の参議院選挙に出馬というニュースが流れました。どうも予定としては次の衆議院議員選挙だったのではと思われるのですが、大仁田議員が立候補を取りやめたので、その後がまに立候補となったようです。どうせ安倍首相あたりから「あなたの教育に対する情熱と理論を是非政治の世界で生かしてください」なんて言われて、きっとその気になったのでしょう。でも自民党にしてみれば欲しいのは彼の教育の理念などではなく、彼の知名度だけです。ですから彼がヤンキーだろうがモンキーだろうが「金ピカ先生」だろうが「赤ペン先生」だろうが、国民への知名度があれば何だってよかったわけです。僕はそこが悲しいのです。
教育にはいろんな側面があって、例えばテストで良い点を取るとか、良い学校に入学するとか、そういういわゆる勉強にはある程度のノウハウとか理論があって、そういうものを持っている人が「カリスマ講師」などと呼ばれて生徒のテストの点数を上げています。またスポーツに関しても、例えば野球などでは優勝請負人みたいな人がいて、そういう人が監督になった学校の野球部はいきなり強くなって甲子園に出場したりします。こういう人は野球を強くするという独特のノウハウを持っているのだと思います。これも教育のひとつだと思います。ところが教育の中には理論だとかノウハウだとかではどうすることもできない部分もあると思うのです。例えば不登校の問題とか引きこもりの問題など、それらを解決できる理論など存在しないはずです。つまりテストの点数を上げるとか、志望校に合格するとか、野球で優勝するなどの結果のはっきりしているものは目的もはっきりしていますから、目標も立てやすいですし、おのずと理論とかノウハウが生まれてくるのでしょうから、こういう教育の方が簡単といえば語弊がありますが、わかりやすいと思うのです。
ところが今は目標や目的を持てない子供たちがたくさんいます。自分がどうしていいのかわからない迷子のような子供たちです。こういった子供たちをどのようにして指導していくかということが現代の教育の課題になっていると思うのです。義家さんのドラマが人々の共感を呼んだのも、彼の本がたくさん売れたのも、こういう迷子になっている子供たちがたくさんいたからではないでしょうか。そして彼らは「こういう人が世の中にはいるんだ」とか「サラリーマンのような先生じゃなく、こんな熱い先生もいるんだ」と勇気づけられたはずです。たとえ直接に彼の指導を受けられなくても、そういう人が日本の教育現場にはいるんだという事実だけで立ち直った子供もいたはずです。彼の書いた本をまるでバイブルのように胸に抱えていた子供もいたはずです。だから彼には教育現場にいて欲しかったのです。
彼は言うでしょう、「教師として救えられる子供は限られているが、政治家となり教育の制度を変えていけば多くの子供が救われる」と。ところが今の制度は政治家や官僚が作ったもので、その制度が完全に疲弊しているから教育再生が謳われているのです。もっといえば制度を作っている人たちが率先して悪いことをし、自分たちの私腹を肥やし、子供たちの悪い見本となっている世の中です。つまりいくら教育制度をあーでもない、こーでもないといじったところで、その教育制度を定めて行っている、立法制度や行政制度が変わらない限り絶対に良い方向へは向かいません。そして政治家や官僚が自分たちの首を自ら絞めるような制度改革を行うとは到底思えませんし、現実いつも政治制度改革とか公務員改革とか言葉だけは出てきても一向に変わらないのですから、これから先も変わることはないと思います。つまり彼がひとり政治家になったところで何も変わらないということです。それよりも彼がどこかの学校で、たとえ限られた人数の生徒しか指導できないとしても、彼が教育現場で先生をやっているということが、世の中の迷子になった子供たちに大きな影響を与えたと思うのです。
ところで現在言われている教育再生とは公教育の再生のことですよね。つまり公立の学校で起こっていることが主な対象になっていると思うのです。義家さんは先日テレビで「親学」ということを言っていました。つまり余裕があるのに給食費を払わない親、学校に無理難題を言いにくる親など、おかしな親が増えていると言っていました。これは事実です。それでこういうことの舞台はほとんどが公立の学校です。ところが現在の政治家の子供や孫、あるいは文部科学省の高級官僚の子供や孫、教育再生会議に招かれた人たちの子供や孫のうちどれだけの数の子供が公立学校に通っているでしょうか。あるいは若い政治家や若い官僚であれば、自らは公立学校に通ったのでしょうか。正確なデータを用意して書いているわけではなく、想像で書いているので間違っているかもしれませんが、ほとんどが私立の学校に通わせたり、通ってきていると思うのです。
現在、学校間の格差、つまり公立と私立の格差が広がっているように思います。以前は都市部だけでしたが、地方にも広がりつつあるように思います。経済的に余裕のある家庭は私立学校に子供を通わせて、そうでない家庭の子供が公立学校に行くという図式です。給食費もまともに支払わないようなおかしな家庭の子供と同じ学校に通わせるのはイヤだと思うようになるのは止められないように思うのです。この教育の格差をどうにかしないと将来とてもおかしなことになると思うのですが、誰もこのことには触れません。そりゃそうです。自分たちの子供や孫は私立に入れておいて、公立学校をどうしようかと議論しているのですから、まともな議論になるとは思えません。政治家や金持ちが自分の子供を公立学校に通わせないということが、すでに公立学校はもうどうすることもできなくなっているという証だと思うのです。どいつもこいつも自分たちは安全な場所に避難して、おかしくなっていく日本を高いところから見物しているように思うのです。
義家さんは公立学校からドロップアウトして、そこから立ち直った人です。そういう人でないと変えられない部分があったと思うのです。自らも高みの見物をしたかっただけなのでしょうか。最初から彼にとって先生とは成り上がるための道具だったとうがった見方もできます。でも僕はそうは思いません。最初は教師としての情熱を持っていたのが、テレビに出て有名になり、本を出してお金も入ったことで変わっていったのだと思います。彼自身は自分は何も変わっていないと思っていることでしょう。彼の特異な経歴や、熱い情熱は今の日本の教育現場にとっては貴重な財産だったと思うので、とても残念でなりません。教育評論家には教育はできませんし、政治家にも教育はできないのです。だから返す返すも残念です。大きなお世話だと云われれば大きなお世話です。
彼は自民党の比例代表から立候補しているので当選するのでしょう。「ヤンキーから国会議員へ」、立派です。でも政治家としての彼にどれだけの人が期待しているのでしょうか。何度も言いますが、自民党が彼に期待しているのはその知名度だけです。国民に飽きられてしまったら用無しです。これは過去のタレント議員やスポーツ選手出身の議員の例を出すまでもないでしょう。事実、プロレスラーの大仁田議員は「人寄せパンダ」が馬鹿馬鹿しくなって自民党を離党したのです。つまり彼にはその役割しか与えられなかったということです。
自民党が大勝した前回の衆議院議員選挙で当選した小泉チルドレンと呼ばれている人たちの議員生活ももうそれほど長くはなさそうです。安倍首相は早々に郵政造反組を復党させましたから、選挙区がかぶってしまう人たちはもう用無しです。もともと地盤のないチルドレンの皆さんは地盤のしっかりしている人たちには勝てません。「いい夢見させてもらったぜ」ということで次回はお払い箱です。いずれ義家さんも同じような運命をたどるのです。そのときに「俺はやっぱり教師だぜ」なんて言って教職に復帰したとしても誰も相手にしないと思うのです。そこのところはわかっているのでしょうか。
こんな風に考えてしまうと、何かとても悲しくなってしまいます。大人でも希望をなかなか見出せない世の中で、果たして子供たちが希望を見出せるのでしょうか。そこのところを政治家や官僚はどのように思っているのでしょうか。もう世の中は自民党が良いとか悪いとか、民主党がどうとかこうとか言っている場合ではないような気がします。すでに日本はいろんなことが末期症状で手が付けられないような状態になってきているように思うのです。もう対抗する政党の揚げ足取りをしている場合ではありません。もっと日本の未来を真剣に考えてもらいたいものです。
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