
ハナニラ
私は週一回、仲間と一緒に強めのジョギング、ほぼランニングに近い運動を10キロほど行っている。休み休みなので、時間にして1時間15分ほど。
ある時、信号待ちしている時、学生と思しき若者が近寄ってきて、「走るのが好きなんですか」と問うてきた。私は答えて「好きなんかじゃない」と返した。若者は怪訝な顔をしたが全く理解できない、という風だった。
考えてみれば、答えた私にも妥当な答えだとは思えない。では、私は辛い思いまでして、何のためにジョギングをしているのだろうか。健康のためだろうか。競技力を維持するためだろうか。運動後の快感を味わうためだろうか。いずれでもない。
答えようがないのだ。健康とか競技力とか、運動後の快感とか、いずれも結果に過ぎない。
じゃあ、なぜ私がジョギングをするのか。自分なりに答えを探してみた。簡単には答えが浮かんでこなかったが、探し当てたのは、「ルーティーン」ということだった。
食後、歯ブラシをするように、寝床に寝巻きを着て寝るように、衣服の下には下着を着るように、それと同じような日常の決まりなのだ。取り立てて理由があるわけではない。それが私のジョギングなのである。好き嫌いでは長続きはしない。ただ辛いだけである。
ジョギングのような活動がルーティーン化できるということこそ、生活文化の向上だと思う。変に目的化しない方がいい。スポーツや文芸は目的を持ってやるものではない。ルーティーンの中で己自身の課題を発見していくことこそ本物の生活文化だ。【彬】
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