ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

目の前の高齢社会

2014年01月27日 | 日記

 近年、友人やその関係者が病床にあったり、死亡したり、といったことが相次いで憂鬱である。70を越えると普通ではないよ、というのが口癖の友人がいるが、高齢というのは避けることの出来ない重荷である。小生は幸い健康ではあるものの、否が応でも今日の超高齢化社会について、考えざるをえなくなっている。

 老人問題というと、普通は老人福祉とか介護や医療とかになる。それだけならば十分にお金があり、福祉制度がしっかりしていれば解決することになるが、問題の根本はそんなことにはないように思う。

 本当の問題は、死に向かうことを、どのように考えるかということである。事故などは別にして、死は自分ひとりでは実行できない。現実的にはこの処置はまったく家族内でこなされており、法的にも家族法によって「扶養の義務」が明記されている。しかし、今日の老老介護の問題などをみるに、家族が扶養の義務を負うというのは限界である。そして今後ますます寿命が伸びる。吉本隆明さんは将来寿命は120歳まで伸びると明言している。120と言うのは一説によれば遺伝子をタンパク質にコピーできる限界回数ということらしい。そうなっては家族の扶養は無理だ。

 論理が飛躍するが、将来、老人問題を解決するには、現状の家族を解体する以外にないように思う。死は個人で迎えるのだから、一定の老人に達したら離婚して家族の桎梏から離れる以外に無いのではないか。そのために、個人から成り立つ老人の共同社会=施設をつくる。ただし、それまでの家族意識(対幻想)をどう始末するのか、という問題が当然起きる。

 でも、難しいな。老人問題はむつかしい。でも切実であることには変わりない。【彬】

 

 絵にしたのはヤドクガエル=南米に生息する猛毒を持つカエルである。村上龍「半島を出よ」で教わった。

 

 

 

 

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「絵」を楽しむこと

2014年01月16日 | 日記

私は絵が好きである。

子供の頃から描くのも好きだし、感心のある画家の展覧会には出かける。小、中、高校と、学校の絵の授業はたのしみであった。ブランクがあった後、15年前から趣味として続けている。

 絵を鑑賞する、という点からいうと、対象には好みというのがある。好き、という感覚は、観ていると現実を離れ別世界に入っていくような、心に自然と熱いものがたまっていく感じ、一言で言うと「癒し」に近い。

 私の一番好きな画家は①アンドリュー・ワイエス、そしてその次は②フェルメール、を挙げておこう。①は、アメリカの画家で、5年ほど前、90歳で亡くなった。②は、オランダの画家で、400年ほど前の人。日本でも人気がある。

絵の鑑賞法として、模写があると思う。模写することで、様々な点から、絵を良く観ることができる。画家に近づける、……ように思う。また模写は、絵の勉強の一つの方法でもあるし、巨匠の作品を模写して売ることを職業としている人もいる。

私は①も②も、模写しようとしたことがある。似せようとして頑張るが、紙の上に現れるものは意図したものとかけ離れている。だが、切りのいいところで終りにする。小さな挫折感はあるものの、一つの絵を鑑賞しえたのだ、という軽い満足感が残る。

この正月休みに、フェルメールをいくつか模写した。「青いターバンの娘」を3点、と「レースを編む女」。彼の人物画の特徴は、顔。見る人の心にフワーっとした幸福感が残る。

絵は「レースを編む女」を模写しようとした、結果です。

 1月14日 岩下賢治

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