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ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

魅力ある遠いい国々

2015年03月27日 | 日記

 この3月に他界した母は、若い頃は苦労したが、余裕ができてからは父と旅を楽しんでいた。中国、東南アジア、カナダ、ヨーロッパなど、今の若い人並み以上であった。だが、中近東には行けなかった。エジプトに行きたかった、というのが悔いる言葉だったようだ。遠いい国だった。

 中近東のトルコ、アラブ諸国などの国は、一般の日本人にとって、遠くて、謎めき、エキゾチックで行ってみたいと思わせるものがあるだろう。だが、今の情勢ではそれは難しくなった。遠いい国々が一層遠くなりつつある。

 これらの国々は今イスラム文化圏であるが、それは8世紀以降のことである。その遥か昔にも素晴しい文化が栄えていた。

 例えば

 ①シリアについて。約2千年前の、古代ローマ帝国の時代、シリア砂漠の中央に、シルクロードの中継都市として、パルミラ王国が栄えていた。3キロ四方を城壁で囲み、人口5万人の当時としては最大級の都市で、王女ゼノビアの時代が絶頂期であった。現在、ギリシャ、ローマ様式の建造物の遺跡が世界遺産となっている。

 ②イラクについて。古代メソポタミア文明の中心であった。

 今、苦しい状況にあるシリア、イラク他の国々。遠い昔、これらを含む周辺の地域の人々の英知が素晴しい文化を創り出してきた。今の大変苦しい状況が、現在の英知ある人々の手によって克服されることを信じる。

 絵は、パルミラのベル神殿遺跡から、私が元の姿を想像したもの。     3月24日 岩下賢治

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被害者と加害者

2015年03月23日 | 日記

日本水仙がほころんでいます。

 醜悪な殺人事件がおきると、あれやこれやメディアが挙って事実関係を掻き乱して、加害者被害者双方とも世論とか風評に晒され、そして当事者の家族や親族は、悲惨な行く末となっていくのが、なんともおぞましい。

 出典は忘れたが、吉本隆明さんが親鸞を引いて、人が人を殺すというのは容易なことではなく、なんらかの必然なしには成せることではない、と言っていた。川崎の事件にしろ、淡路島の事件にしろ、そう思わざるを得ない。対面的に人を殺すというのは相当なコンフリクトがなければできないことなのである。

 おそらく加害者と言われている人と被害者となっている人との間には、憎しみと親しみが錯綜していたに違いなく、その結果としての事件であるのだから、どちらが被害者でどちらが加害者であるのか、一概に断定できる訳ではない。もちろん、法的には簡単なことなのであろう。直接的な加害者を極悪非道の人とすれば片がつく。

 難しい問題なので、深入りはできないが、我々としてはメディアの過剰な勧善懲悪には、一歩引いて考えたい。

 と同時に問題の状況から、人が普通に自立して生活するのが、非常に困難になっているということを示していないか、と思う。川崎の少年は加害者のグループに所属することで自分の存在を確認したかったのであろうし、淡路島の事件でも地域社会の中で、自分の位置を確保したかったに違いない。日本が維持してきた農村的な共同体意識が健在だった頃は、いわゆる道に外れたとしても、何らかの救済方法があったと思う。そういう出口のなさが今回のような事件に思うことである。

 詳しいことは分からないが、ただテレビ、新聞の騒ぎようだけには、だまされないようにしたい。私には、事件そのものを黙って飲み込む外にないのである。【彬】

 
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電線なしに送電が可能に

2015年03月16日 | 日記

トサミズキが早春に花を咲かせています。

 日本の風景の中で最も鬱陶しいのは、軒下に張り巡られた電線であり電柱である。その上空には高圧線があたりを圧している。今日のような高度に発達した電気製品や交通網が予測できなかった時代に、家屋が乱立して建てられたのだから致し方ないのであるが、エネルギーの元となる電気については、発電所と配電についてもっと工夫があってしかるべきだったと思う。福島の原発事故以来、特にそう思う。

 西洋の主要都市ではどうなっているのだろうか? 裏町はやはり送電線が錯綜しているのだろうか? 気になるところである。

 そんな折、朗報があった。電線なしに電気を送る装置が完成され、電気自動車に蓄電できるのだ。

 産經新聞によると「三菱重工業は12日、電気を無線で飛ばす技術の地上実証実験を行い、長距離の無線送電を実現したと発表した。今回、地上で10キロワットの電力を500メートル先までマイクロ波を使って無線で送電し、ロスはあるものの受電に成功した」という。

 理論的には古くから知られていたことなのであろう。今回は初歩的な成功なのかもしれないが、実現したことの影響は大きい。今後はどんどん進展していくに違いない。SF的には、発電所(原発や太陽光パネル)を宇宙に浮かせ、そこから送電してもらうことになるのだろう。【彬】

 
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眠くてたまらん

2015年03月12日 | 日記

眠気を誘う椅子 

 歳をとったせいか、近頃本を読んでいると、急に眠くなる。本に限らない。新聞やパソコンでもそうなる。本を読む能力、あるいは心理的な耐性が、衰弱してきているのだろうか? それはお前が元々頭が悪いからだ、という声も聞こえてきそうなのだが、全くのところ、この能力を不眠症の人にあげたくもなる。

 で、どういう状態で眠くなるのか、思い出してみる。最初はすらすら普通に読み進んでいけるのだが、第一段階の記述がほぼ終わって、次の段階に行こうとする時が危ないらしい。話の内容を反芻するかのように意識が混濁し、深い睡魔に襲われる。

 普通文章には、マンガもそうだが、起承転結というのがある。いい文章というのは特にそうで、そこに表現の機微がある。論理的な思考にも、正反合の行き戻りがある。この展開についていけなくなっているのだろう。なんとも情けない。

 現在四苦八苦しているのは、ベストセラーにもなっている「重力とはなにか」大栗博司・幻冬舎新書。著者によると、高校の同窓生だった友達を念頭に易しく書いたという。ベストセラーになるくらいだから平易な表現になっているのだろう。それなのに、睡魔が邪魔して先に進めないのである。

 勝手な言い草ですが、問題は小生に宿っている睡魔のせいではなく、書物の論理の展開に機微がないからではないかと溜飲を下げたい気もするのである。春の断章のひとつです。【彬】

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個人的体験

2015年03月11日 | 日記

 この3月初めに私の母が他界した。病で入院して、3か月後のことである。

 見舞いで面会する度、痛みに堪え苦しそうであった。どうにかしてこの苦痛から逃れることができないものか。私はいつも重い気持で病院を後にしていた。亡くなったすぐ後、対面した母の顔は霧が晴れたように穏やかで平和な表情に戻っていた。

 3日後、別れの時に見た顔はちがっていた。肉体から魂が離れていた。私は確信のようなものをもって思った。「魂が身体から離れただけだ。母はまだ魂としてどこかに存在している。」

 葬儀は浄土宗のもと行われ、母は導師に導かれ旅立っていった。

 私は導師に教えられる前から、母の魂が永遠に平和な世界に向かうと分かっていた。私は母が亡くなってすぐ後から母の魂としばらく共に過ごした。見送りはしたが、とてもいたたまれなくなって、しばらく後をついていった。周囲の景色は美しい自然の中のようであった。だが現世の自然とは違うように思えた。

 私は数日、休日をとり、人と会うのを控え、そして普通の生活に戻っていった。

                              2015年3月9日 岩下賢治

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