ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

高校野球にひとこと、ふたこと その2

2012年07月29日 | 日記

(続き)

 高校野球を経験した人なら誰でも知っていることだが、このスポーツ界ほど理不尽な、非常識的なものはない。社会の常識から隔たっている。例年、選手や監督の不祥事が発覚し、その後始末についても、疑念を買うことが多いのだが、それらは子葉のことであり、高校球界の根本の問題の在処は別なところにある。

 例えば、1、2、事例をあげよう。

 部員達の先輩・後輩の上下関係が強固に固定されていて、練習以外の学校生活全般にわたり下位のものに過剰な負担がかかっている。中学を卒業したばかりの子供にとっては、それはほとんど苛めであり、暴力である。使い走りから始まり、練習場や用具の整備、加えて練習態度が悪い、生活態度が悪いというだけで制裁の対象となる。しかも個人ではなく、これが、下級生全体の問題とされる。

 個々人の学業や家庭生活の諸事情を全く関与させないというのも異常である。家庭の事情で部活を2~3日休みたいといった願いはほとんど聞き入れられない。部員を送り出している家庭では、家族全員の経済的・精神的犠牲によって選手を支えなければならない。

 こうした事態は、レギュラー選手レベルなら上級生からの嫉妬としてあり得ることかもしれない。しかし、補欠や補欠にもなれないような下部の部員のほうにより強い縛りとなって慣習化されている。特に部員数の多い有名高校の野球部に顕著である。

 その他、諸々ある。

 こうした問題の根本は何に由来しているのだろうか。

 私が考えるには、日本がスポーツを輸入した際、それを受け入れる役割を果たしたのが、学校・学生だったということにつきる。

 スポーツの発生に想いをいたせば分かることだが、もともとお金があって、自由な時間がとれるブルジョアの余暇活動だったのがスポーツである。それを学生という、いわばモラトリアムな青年に預けたわけだから、弊害が起こるのは当然である。学生は、外見的には自由だが、その内実は素寒貧、ブルジョワとはまったく違う存在だ。スポーツを愉しむというような基盤なんてありやしない。この落差・矛盾を繕うために、先に例を出したような理不尽な振る舞いが生じたのである。特に個人競技ではなく、野球というようなゲームスポーツだからこそ、その弊害がいっそう顕著になった。しかも人気スポーツとして新聞社などのパブリシティに援用されることによって、歪んだ形でいっそう内側に封じ込められた。これが現在の、戦後からの変わらぬ高校野球の姿である。

 このことの経緯は、より丁寧に説明する必要があるのだが、ここでの範囲外なので端折ります。

 で、学校スポーツは廃止すべきというのが、私の意見である。

 私達庶民の学校は主要学科だけで十分である。昔風にいえば、読み書きそろばん。音楽とか美術、家庭といったカリキュラムも外した方がいい。

 教科に入っているこれら文化的な活動は、現在では公共施設や民間施設で十分すぎるほど代替できている。昭和20年代の民主主義教育とは、時代や経済状況が違うのである。

 教師の負担を減らし、学校の再生(様々な問題が山積している)をはかるためにも、余分なカリキュラムは減らすべきだ。運動会などで、中高齢の女性教師が奮闘している姿を見ると本当に気の毒。あの「無法松」の映画に見る、明治時代の遺物そのものである。

 今後、体育の中に武道を取り入れることになるらしいが、スポーツという観点からしてみても、本末転倒も甚だしい、と思う。【彬】

 

 

 

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高校野球にひとこと、ふたこと

2012年07月27日 | 日記

 野球というのは愉しいスポーツである。チィーム人数が9人で、それだけ偶然性が高まるから勝負の行方が不確定だ。それに、体力や技術を必要とするのは、ピッチャーとキャッチャーくらいだから、どんな人でもゲームに参加することが出来る。日本人がみんなで愉しむにはもっともふさわしいと思える競技である。そのせいか、高校野球の人気は高い。

 夏、〈高校・野球〉のシーズンである。が、今年はオリンピックと重なり、例年通りの盛り上がりは期待できそうにない。

 しかし例年、朝日新聞とNHKは、なぜあんなに高校野球に熱をあげるのだろうか。かつて新聞の普及時、イベントとセットにして読者を獲得してきたパブリシティは、現在ほとんど無効になっているのではないか。高校野球のために新聞を購読する人なんていないし、NHKだって視聴率があがる訳ではあるまい。

 ならば、なにが高校野球を支えているのか。NHK得意の、故郷を離れた、二三男坊の、郷土愛なのか。だが、そんなものを、純真な高校生に仮構し、情動を煽る時代はもうとっくに終了していると思うのだが。

 それはそれとして、高校野球全国大会(甲子園大会)のスケジュールほど、スポーツをないがしろにしたものはない。

 たった1球場でトーナメントの全試合を消化するというのは、だれが見たって異常である。まず、1日4試合という使用に耐える球場の管理は不可能だということ。ピッチャーのプレートは通常一試合でガタガタになる。打席も同じである。そんな場所で正常なプレイは不可能だ。

 阪神地域で分散して開催し、大会日数を縮め、選手の負担を軽くすること、そして休養日を与えることが必須だ。ピッチャーの連投等あってはならない。

 こんなことはスポーツマンならば誰でも知っている。ところが、これが放置され、準々決勝から、決勝まで3日連投ということが起こっている。

 スポーツを愛する人にとっては哀しいことである。(続く) 【彬】

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高圧送電線に思う

2012年07月23日 | 日記

 常磐道を北上するとやがて連なった山々の山腹や頂上に、巨大な高圧送電線が見えてくる。東京電力・広野発電所から首都圏に送られる送電線である。おそらく福島原発からの電力もここを通ったかもしれない。

 JR中央線から分かれて青梅線に乗っていると、やがて川向うの山頂に送電用の巨大な鉄塔が敷設されているのが眼に入る。これはどこからどこに繋がっているものやら。

 新宿からの小田急線・柿生付近は住宅街の周辺に鉄塔がいくつも建って、町を覆っている。

 こうした自然を圧する光景は現代文明の偉容な姿なのか、あるいは異様な姿なのか。

 電力は安価で豊富に使えた方がよいに決まっている。が、こうした光景を目にするとどこかに矛盾があるようで心地が悪い。最近、よく言われる《地産地消》というのは電力こそ当てはめたいものだ。

 原子力にせよ、火力にせよ、発電工程には大量の冷却水が不可欠だそうで、従って、東京電力の火力発電所は房総半島から、川崎、横浜と湾岸に沿って建設されている。

 とはいえ、余熱は別な形で利用できないのだろうか。冷却水が不要になれば、内陸でも発電所の建設ができ、送電線も短くて、結果的に高圧である必要がなくなる。それこそ安全だ。

 そんな夢物語を描いてみる。もちろん、技術者たちはとっくの昔から、取り組んでいる課題だと思うが。【彬】

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アルガンオイル…神秘の香り

2012年07月22日 | 日記

アラブの春を経てしばらくたつ。これからのアラブ世界はどう変わるだろうか。

話が大きすぎる?…だろうか。

広いアラブ世界の中の、北アフリカの西の果てのモロッコ。映画ファンには、往年の名作「モロッコ」「カサブランカ」でご存知だろう。古いイスラム文化をよく残している国と言われるが、7世紀以降イスラム教の布教に伴うアラブ人が移住する前の先住民は、ベンベル人。今でもベンベル文化を残し、モロッコ固有の農産物として、アルガンの木の実の種からとれるアルガンオイルがある。最近、ヨーロッパの料理人達に見直されているというが、物好きな私には大変興味があった。

その作り方が面白い。

アルガンの木にヤギを登らせる。ヤギは木の実を食べ、種を吐き出す。その種を拾い集め、胚を取り出し、炒って香りをつけ、石臼で轢きオイルを搾り出す。手間がかかり大変高価である。

昨年、友人が旅行した際、無理を言って土産として買ってきてもらった。たいへん美味である。

このイスラム時代前からの香りが、この地域を支配してきた古代ローマ、ペルシャ、イスラム、トルコなど幾層にも重なる歴史を超えて、これからの複雑な世界とどう交わっていくのだろうか、という想像の糸を引く。【岩下賢治】

 

管理人から

偶蹄類のヤギが木に登れるだろうか。そういう噂なんだろうけど、岩下さん、ちょっと調べてください。

 

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新宿御苑散歩道

2012年07月18日 | 日記

 新宿御苑は代々木公園、明治神宮につながる都心一級の緑地帯である。この緑のおかげで都会の空気がどんなに休まることか。

 新宿御苑はかつては信州高遠藩の江戸屋敷あった。屋敷、といっても広大な敷地で、縁に沿って玉川上水が流れ、その途切れる場所が大木戸といって上水の重要な分水地であった。文字通り大きな木の門が建っていたのだろう、この門内で上水を管理監視していた訳である。

 この由緒ある地域に水流を復元しようという計画があって、2010年頃から工事が始まり、現在ほぼ完成している。

 正式名称は《玉川上水内藤新宿分水散歩道》である。

 若干距離が短いが、御苑の緑に覆われ、木漏れ日の下を散策するには恰好の場所である。水辺には様々な草花が移植され、ようやく根付いたかのよう。ヤブラン、ヒメシャガ、ホタルブクロ、セリ、セキショウ、ヤブコージ、キキョウ、ヤマユリ、ニリンソウ、ヒトリシズカなどなど。ただ残念なのは流れを覆う木々が、スダジイ、マテバシイといった巨木のため、草花が育つべき日照が遮られること。

 しかし、移植された草が悪戦しているところに、タケニグサ、ハンゲショウが勢いよく丈を延ばしている姿は一興である。

 JR新宿駅南口からすぐのところであるから、立ち寄られることをお勧めします。 【彬】

 

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