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ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

植樹祭で植えられた木

2025年06月03日 | 日記


         ガクアジサイ
  5月25日、第75回の植樹祭が埼玉県の秩父市で開催された。天皇、衆議院議長、埼玉県知事、農水相らの列席による恒例の行事である。もう75回を数える。
 植樹祭が開催さrた当初は、戦禍で荒廃した山野の回復を目指す行事で、大きな注目を浴びたものである。スギ、ヒノキ等の針葉樹は成長も早く、真っ直ぐに伸びるので、街の再興のは欠かせない建築材として、各地で植樹された。コウヤスギ、アキタスギなど、名木として今でもその名残を残している。林野の作業も機械化され、運搬のための森林鉄道が各地で敷設された。日本の戦後復興の主要な事業であった。
 しかし1980年代ごろからカナダやインドネシアからの輸入材が大量に出回るようになって林野事業は衰退するばかり。植樹されたスギ、ヒノキは放置され、その結果、花粉症という疾病を産むことになった。
 そして植林というのは、建築資材という経済的な需要から、自然や環境を守るという視座へと変わってきた。その結果、スギでは小花粉という花粉症を予防する品種改良も施されるようになった。
 スギ、ヒノキについては、台風などの自然災害の観点からも見直しが進んだ。根が浅く、大雨や地震などに弱いため、背の低い広葉樹にすべきとして、多くの里山で伐採、植え替えが行われた。
 針葉樹というのは北海道などの低温地帯の植物で、縄文期などは広葉樹に覆われていたはずという「照葉樹林文化」(佐々木高明)なども注目を集めたこともある。
 一方、日本の木材建築の伝統から、高野山のヒノキ、コウヤマキなどを保護する行政があり、江戸期には木曽五木と言って幕府が伐採を制限した樹木もあった。いずれもスギ、ヒノキの仲間である。
 以上のように、日本の植林については長い伝統があって、上記したものはその一端である。
 植樹祭に話を戻そう。
 樹木を育て、自然豊かな山地を涵養するという目的のこの行事は、少なくとも上記のような経緯を踏まえる必要があると思う。
 その上で今回天皇が植樹した樹種は
  ケヤキ スギ(少花粉) トチノキ
であり、種まきしたのは、
  ヒノキ(少花粉) アカシデ
である。
 体調のせいで欠席した皇后の植樹は
  ヒノキ(少花粉) コナラ  ヤマザクラ
が予定だった。
 いくら少花粉とはいえ、ヒノキ、スギが選ばれたのはなぜのだろうか。私には疑問である。樹種には様々な言い伝えや歴史が隠されている。それが日本の文化とつながっている。それを踏まえた上で、なぜこの樹種が選ばれたのか、それを知りたい。
 林野庁に問い合わせをすれば、植樹祭の全ての樹木が分かろうが、ネット上では明らかではない。祭りにとらわれることなく、植樹祭に選ばれた地域と樹木を一覧できることが、私たちの樹木についての理解を深めることに役立つはずである。【彬】
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米価の重要性とその仕組み

2025年05月26日 | 日記

         鉢植えのバラ
 米の高止まりが続いている。江藤農林相は責任を取らされ辞任した。前回に続いて私の感想を述べる。
 米価はなぜ高止まりしているのか、その原因を説明する言辞が出てこないばかりか、問題の所在がどこにあるのか、一向に明らかにされてこない。新任の進次郎農相は、備蓄米の随意入札というほとんど禁じ手のような施策で、この難局を乗り切ろうとしているようだ。随意入札というのは、売り手が価格をあらかじめ決めておいて、指定業者にだけ入札する権利を与える方法である。公共施設の建設に使われることがあるが、一般市場ではあり得ない方法である。
 本当の問題は何のか。米が不足しているから価格を押し上げているのか。
 そうではあるまい。2024,23.22年と凶作だったわけではない。備蓄を含め、米は十分に確保されている。放出すべき備蓄米は、十分に確保されているのだ。なのに、、、である。
 戦前から、米の生産、供給は日本の最大の問題だった。だから江戸期から明治期は米騒動という社会運動が発生した。それを制御したのが米の政府管理で、配給制度が敷かれ、今日まで根っこの部分で作用しているように思う。その名残は1900年代まで続き、米の価格は国会が決めていた。だから収穫期になると、国会周辺は地方から派遣された農協職員たちが連日のようにデモっていたものだ。純粋に市場経済になれば、価格はもっと合理的に決まるはずなのに、それをしないのは、米が日本文化の根幹だという通念があるからである。
 米市場を民間に解放すれば、多少の需要の増減があっても、それには十分対応できるはずだ。ところが巨大なコンツェルである農協に依存しているものだから、市場化は不可能となっている。一部売買は自由化されたが、この自主流通米も管理しているのは農協である。
 今日の米価は単純な需給ではなく、以上のような様々な要因が絡んでいる。だから、僅かの需要の変化で価格が大きく動くこともあり得る。それが今日の米問題であろう。不作でもないのに、急に高くなる。
 高止まっているのは、特に都市部である。都市部の人口はインバウンドによって増減が大きい。入国した外国人が、おにぎりなど、米食品を好んで食べるようになった。しかもアジア系の入国者が多く、コンビニの弁当類も人気である。量は少なくとも、これがバランスを崩す要因だ。
 需給を市場に任せれば、こうした少々の変化は、吸収されるはずだ。それが需給バランスというものだ。ところが米の需給は市場経済から離れている。スーパーで販売されてはいる米は、食品市場とは別の取引で決定されていて、特定の業者が納入を差配している。
 結局、どこをどうすればいいのか、はっきりはしない。小泉農相も大変だろう。
 この問題が解け実行解決できる人こそ、日本のスーパースターである。【彬】
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お米の値段が高止まり

2025年05月15日 | 日記

          ヤマボウシ
 お米が高い。品薄である。
 農水省が発表したところによると、

   スーパーでの米の平均価格(5キロあたり)

    2022~23年は  2000円前後
    2024から    2000円越えで
    2025の4/28~5/4 4214円

になっているという。なんとこの2〜3年で倍増である。
 私自身はお米を買う機会がないし、もともと我が家では米の消費量はほんの僅かなので、家計に及ぼす影響について実感はないのだが、若年層の家庭では大変だと思う。
 それはそれとして、なぜお米がこれほどに高騰しているのかについて、学者や関係者からの明確な説明がない。高騰している事実は実感できるのだが、その原因は何なのか。減反などと時代錯誤も甚だしい理由を述べる人もいる。
 価格は需給のバランスで成り立っている。米も例外ではない。これは近代社会では理の当然である。需要が増えれば価格が上がる。需要がなければ価格は下落する。これにどんな付加要素が加わるのかが問題だが、不作だったとか、異常気象とかなどの、外部要素は見当たらない。
 ならば何が影響しているのか。
 私は人口の増加だと思う。国民ではなく、在留外国人が大幅に増えていることが原因だと考えている。ヨーロッパ系でも米は食べるし、アジア系は米が主食である。
 インバウンド政策で外国人が大幅に増えている。この人たちの消費が米価を押し上げていると思うのである。主食という概念は海外にはないが、それでも米は食べる。カリホルニア米などを自由化して海外の安価な米を流通させるべきである。
 米の需要を日本の伝統に固着させる考え方は、間違っている。現代は食べ物に民族の区別はなくなっているのである。【彬】
 
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路地のサクランボ

2025年05月06日 | 日記


 先だって公園近くの路地を歩いていたら、植え込みにサクランボが実をつけているのを見つけた。
 手入れらしいことはされていないから、誰かが特に植えたものではないらしい。標識も立っていない。おそらく種類の違った桜を見るために植えたのであろう。ソメイヨシノではなく、山桜でもなく、明らかにサクランボの木である。
 まばらに実がついていて、赤く色づいていたので、3粒ほど失敬し、食べてみた。確かにサクランボの味がするが、酸味が強く美味しいとは言えない。まだ完熟していないせいかなあ、などと思う。
 路傍に足を踏み入り、写真を撮ったり、首を突っ込んだりして、興味深くこの木を眺めていても、通りすがりの誰もよってこない。声がけもしない。全く関心がないようだ。
 4、5日経って、同じ歩道を歩き、あのサクランボはどうなったかな、目を凝らしていると、以前と全く同じ状態。実がだいぶ赤らんで熟したようだ。同じように2粒ほど失敬していただいた。甘くなっている。熟したのである。
 手入れをしていないから、粒は小さいが、味に遜色はない。でもこのサクランボをなぜか歩行者は目もくれないのである。子供の頃、田舎に育って、実の成るものに目を凝らしていたことを思うと、なんとも言いようもない気持ちが残る。
 道ゆく人たちは、路地の植生には関心がないのである。だから草花の名前も知らない。
 それで木を大切にしよう、自然保護などと宣っていることの気がしれない。【彬】
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昭和の企業戦士

2025年05月03日 | 日記


 先日、僕の勤めていた会社の事業所のOB会が行われた。
 事業所のあった場所は、東京は日本橋のたもと、元東海銀行ビルの4フロアーを借りていた。そして、OB会の会場はすぐ近くの、レストラン東洋。現役当時もみなよく利用していた店。
参加したOBは、昭和の時代に活躍した、いわば「昭和の企業戦士」たち、65~85歳の35名ほど。外見は変わろうとも、当時の時代の熱っぽさのまま語りあう。
 今、日本橋界隈は大開発が行われ、まったくさま変わりしている。事業所のあったビルも解体され高層ビルに変わる。
 一方、レストラン東洋は現在も昔のままで、内装も、スタッフの振る舞いも、昭和の雰囲気をそのまま残している。この日は、懐かしい時代にタイムスリップしたような楽しい時を過ごした。
 会が終わり、外に出る。いきなり近未来的な高層ビルがのしかかってくる。時代のおおきなうねりが頭の中を吹き抜けた。
       2025年5月2日   岩下賢治 

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