ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

正月明けに長野県の諏訪に行ってきた。

2016年01月30日 | 日記

       絵は諏訪博物館の蛇体装飾付釣り手土器=縄文中期

 正月明けに長野県の諏訪に行ってきた。


 諏訪は自然の風景を含め、いろいろ考えさせることの多い場所である。名著「銅鐸」の著者である藤森栄一さんは、その書物の中で、「田圃の川はいつも水が一杯にあふれ、底には一年中、緑の紐のような川草が、しきつめたように繁り、その中を鮒やハヤが群れているのがすきとおってみえた。I の村は、その蛇行する川の中にはさまれていた」と諏訪の風景を描写している。
 私の今回の目的は諏訪博物館。ひょっとして、そこにススキや葦などの禾本科の植物の根に着く鉄屑のような塊であるカツ鉄鋼が、展示されているのではないか? と思ったからである。残念ながらそうしたものは、カケラもなかったのだが、藤森さんが書いている情景を彷彿される、幾筋にも蛇行する川べりには、葦の枯れた穂がびっしりと埋めつくされていた。
 諏訪湖は水深が浅く、過去に何度も洪水に見舞われている。それを防ぐために、湖から水を放出する土木工事が繰り返され、そして干拓が進んだ。かつては諏訪神社上社の前まで湖だったそうだ。湖から流れ出る出水口が急流で名高い天竜川の起点である。そんな地形によるのか、諏訪、塩尻、松本、飯田などの一帯は、大和朝廷の支配力・影響力が強くは及ばなかった地域とみられている。ということは、朝廷以前の、弥生、縄文の名残が数々の神事や遺構にかすかにか残されているということだ。その象徴が銅鐸であり鉄鐸なのである。

 このような古代学については、私のような素人はただ傍観する以外はないのだが、その雰囲気に触れたくて、冬の諏訪を訪れたのである。【彬】

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東京の冬・・・雪、そして寒さ。

2016年01月27日 | 日記

    

 この1月、日本各地が記録的な大雪と寒気に見舞われている。雪による交通事故など被害が多かった。まだ寒い日がつづく。被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます。 

 私の住む、東京都小金井市も10cm程の積雪となり、大いに迷惑ではあった。だが、その一方、雪景色は美しいとも感じるのです。茨城で13年暮らした後の、久しぶりの東京の雪なので、近くの雪景色を求め外出した。 

1.野川公園の雪景色。

 元はゴルフ場であったこの公園、開けた土地に木々が点在、また林をつくる。人気のない雪原を歩く。足元は、サク、サク、と踏みつけられる雪の音。時折、木の枝から風に吹かれて雪が舞う。雪国に入り込んだ気分。宮沢賢治が散策し「詩作」にふけるのもかくなるものか、と夢想もする。 

2.小金井公園内の江戸東京たてもの園。

 園内には、江戸、明治、大正、昭和にわたる時代の特徴を表す建物が、多数移設展示されている。その中で、明治~昭和の政治家、高橋是清(元総理大臣、大蔵大臣)の屋敷。僕は、大きな屋敷の庭を雪景色で見たいと思っていた。しばし美しさに心奪われ眺めるも・・・・雪は、・・・226事件と重なってしまう。昭和11年2月26日大雪の朝、事件は起きた。その現場は真にこの屋敷の2階であった。 

 さてその後、寒い気候が続くある日、ランニングの練習に出た。一応冬用のユニフォームを着ていたものの、風強く体が温まる間もなく冷えてくる。今までこんなことはあまりなかった。無理せず早めに帰宅した。

 テレビを点けると、全国都道府県対抗男子駅伝が行われている。開催地は、広島市で寒空の下。雪がちらつく中、選手はランニングシャツにパンツ。だが試合後のインタビューで「寒かった。」の話はなかった。若くて元気な人には寒さはにげていくのかな。それでは、と昔の自分のマラソン大会の記録を探してみる。フルマラソン(42.195km)を初めてサブスリー(2時間57分)で走った時の気温はマイナス0.5度であった。それでも寒いとは感じていなかった。元気だった。

 年が明けこの1月に東京の、「雪」と「寒」を味わうことになった。少々つらいものもあるが冬らしい寒中の季節感を楽しんだ。

    絵は高橋是清邸の雪景色の庭 

                2016年1月26日 岩下賢治

 

 

 

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私のお正月

2016年01月09日 | 日記

 お正月の過ごし方は人様々。休暇の取れる人、仕事をする人、安寧で迎えられる人、不安で年越しする人・・・。いずれにしても、正月は一つの節目。新年への踏み台となる。

 私の正月は、兄の家で兄弟とその親族の集まる新年会で始まる。久しぶりの集まりは毎年いろいろドラマがあるのですね。よく、テレビや映画であるあたりまえのストーリー。それでも飽きないもの。そんなものです。

 さて、今年の初詣は自宅近くの、小金井神社にて参拝しました。

 昔、私は初詣にはいかなかった。神頼みはしない、のような気持ちがあったようです。それでも、昨年までの13年間、茨城に住んでいましたが、会社の仕事として会社の人達と伴に新年安全祈願の参拝をしていました。その神社は、山里の豊かな自然の中にあり、冬の冷たい空気の中のたたずまいが大変気に入り、神社へのお参りが好きになったのですね。それで、初詣が習慣になったのですね。

 年末年始は、東京の日本橋界隈を散策するのが楽しみです。

 以前、私の勤める会社が日本橋近くにあり、20年間勤務していました。だから懐かしさもある。日本橋周辺は、この15~20年でものすごく変わりましたね。そんな中、昼食で老舗の洋食屋「たいめいけん」に入ろうとしたところ、平日の11時半前だというのに満席でさらに待つ人の長蛇の列。いいものは形を残すものですね

 丸善は東京に出たとき必ず寄るところです。明治2年創業、書籍や文具等、知的はものをそろえている。昔の丸善は少し敷居がたかかったようです。大正、昭和に活躍した小説家、梶井基次郎の代表作「檸檬」。そのなかに、丸善が描かれている。・・・(小説では、京都の丸善)丸善が好きでよく訪れていたが、このごろ憂鬱な時期が続きご無沙汰していた。ようやく入ることが出来たが好きな画集を手にとっても気分がすぐれない。手にしていた檸檬(レモン)を書棚に置いたまま外に出てしまう。そして、檸檬が爆発してしまったら面白いと想像する。・・・難しい小説ですが、私は、知的文化への強い憧れの裏腹の心理も描かれているように思えます。私も丸善に行くたびに知的興奮を感じます。

 私の正月は平凡でした。だが平凡でのんびりしたものだから新年への活力が蓄えられるように感じるのです。

 皆さまの新年が良い年でありますようお祈りします。 

       絵は小金井神社       2016年1月8日  岩下賢治

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わたしの初夢、その2

2016年01月07日 | 日記

      

             山茱萸(サンシュユ)が真っ赤な実をつけています。 


 初夢その2は、未来に対する夢想ではなく、過去への照射である。

 昨年来より百瀬高子さんの「御柱祭ー火と鉄の神と」(彩流社)を読んで、想像力を刺激されている。この本の主旨は日本の縄文期に諏訪湖を中心に、葦や葦の根に付着する高子小僧(カツ鉄鋼)を使った鉄文明が隆盛を誇ったという説である。鉄文明が日本に入ってきたのは青銅器以降で古墳時代後というのが定説だ。高瀬さんの考えは、こうした既存の学説に反旗を翻すもので、いまから4,000~5,000年前に日本には独自の鉄文明があったと、実証しているのである。

 鉄の使用は火と並んで人間にとってもっとも重要な革命だが、ふつう、今は滅んだヒッタイト人と結びつけて教えられており、我々の常識では受け入れられるものではないが、鉄文明が縄文期に栄えたというと、様々な夢想が広がってくる。

 例えば山岳文化。柳田國男的には山人の世界である。山人は焼畑農業と木々の加工で生計をたて、必要に応じ加工した鍋釜や木工品をもって麓の農民と交流を重ねっていったとされる。そうした生活が可能なのは、粗悪であっても鉄のような道具なしには、不可能のように思う。そのうえ、弥生=稲を栽培した定着農民と違って、移動するというのが、基本である。縄文=鉄は、各地のカツ鉄鋼を求めて、諏訪から松本、信濃川沿い、さらには東北各地へと、沢沿いに移動していったというのだ。

 私たちはいまだ、農村的な共同意識から抜け出せないでいる。農村を賛美し、大切にすることが、不文律の大典のように語れれているわけだ。農業をめぐるTTP交渉での異論も、ここにある。これは、農村を弥生的な定着文化として基礎づけていることに原因がある。日本が未来に向けて一歩踏み出すためには、この共同幻想から抜け出ることが避けてとおれぬ課題と思う。

 百瀬さんの説は学問的には難点があろうが、この考え方を敷衍していくと、今日の様々なアポリアが解けてくるようにも思えるのである。【彬】

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わたしの初夢

2016年01月03日 | 日記

    

 最近はやらなくなったが、子供に将来の世界を想像させるというのがあった。学年誌などが全国の子供達から応募し、絵に描いてもらうわけだが、無人の自動車が走ったり、カプセルで人間が空中を移動したり、テレビが紙のようになったり、などといったものであった。 

 現在、未来に対する想像力が膠着しているようにも感じるものだから、こうした試みを、子供ではなく、大人が本気で行ったほうがいいように思う。

 というのも、今日のデジタル化の進展が想像以上に進んでいるからである。たとえば、私が初めてワープロを手にしたのが、確か30歳前後だった。その後、ワープロからパソコンに至るデジタル革命で、我々の生活機材から、様々な産業の生産システムに至るまで激変するに至った。そして今日のスマホ時代。我々の世代は、この変化の波に置いていかれ、多くの人が脱落していった。ほんの4ー50年のことである。

 この激しいデジタル化による変化は、端からだとSF物語のよう見えるかもしれない。私たちの想像をはるかに超えているように思うのだ。だから、せめて我々も、かつての子供に倣って未来社会を夢想しよう。 

 そこで、いま私が一番に構想するのは、電力である。現在、電力に変わるエネルギーは発明発見されていない。だから電力は今後ますます需要を高める。そして日本では今年から電力の販売自由化が始まる。これは電力のあり方に決定的な変化を与えると思う。

 その方向はなにか。

①送電の無駄を省く研究が進むはずだ。

②その結果、最終的には電線が不要になるだろう。

③家庭や職場の電気機器類は、コードレスで電力を利用できるようになる。

④電車は電線なしで走るようになるだろう。

 そして肝心なことだが、電力を作る設備=発電所が遠隔地ではなく、需要に近い所に設置されるようになるはずだ。それは当然のことながら、地下最深部の安定した地盤に設営されるだろう。

 以上、初夢だが、しかし正夢になるには、ほんのすこしの時間ではないのか。【彬】

 

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