ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

ラーメン仕草

2023年11月29日 | 日記

          ジュズサンゴ

 私はラーメンが好きである。特に豚骨ラーメンのこってりしたもの。
 昔、友達を頼って福岡に行った折、地元の人気だという豚骨ラーメンを食べた時は、味も素っ気もなくなんと不味いものだと思ったものだが、今は逆に好物になった。
 私の味覚が発達したせいもあるかもしれないが、おそらく豚骨ラーメンが東京に出向くときに何か味の変更・追加があったのではないか、と思う。私の味覚の変化だけでは説明できそうもない。
 豚骨ラーメンで面白いのは刻んだキクラゲである。九条ネギの青みとこの黒いキクラゲで濃厚さが緩和されている。
 それはさておき、ラーメンを食べる時の仕草が気になる。私はツユが撥ねるので膝にハンカチを敷く。そうでないと油たっぷりの麺ツユがズボンに染み付いて抜けなくなる。丼の周りにもツユが撥ねるので、テッシューが欠かせない。
 ところがそんなふうに食べるのは私だけだ。みんなどうしているのだろうと、周りの人をみると、ほとんどの人が丼にかぶさって食べている。箸で麺を掬い上げるというより、口元を丼に近づけている。なるほど、これならツユがはねることはない。
 でも、なんだか、美しい姿には思えない。ラーメンという庶民的な食べ物にマナーなど言うべからずだろうが、気になる仕草である。同じ麺でも、日本蕎麦ならチョコを手に持って、麺を高々と伸ばして食べるのだが。【彬】

 

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パレスチナ自治政府って、何?

2023年11月19日 | 日記

                センリョウ

 ガザ問題で解せないのは、パレスチナの地の行政形態はどうなっているのか、ということ。形式的にはパレスチナ自治政府ということになっているが、その首長は誰なのか、議会=行政委員会はどういう構成をとっているのか。政府を名乗っているのだから、その指導者は実在しているはずである。そして、その人はなんと言っているのか、伝わってこない。

 戦闘は政府の手から離れ、全てハマスという自発的武力勢力が行なっていることというのか。ならば、自治政府としてハマスを支援するとか宥めるとか、なにかをするという方策があるはずだ。また越境しているイスラエルに対して、なんらかの対処するべきであろう。

 武器を使用しているのだから、それは何処で生産しているのか。あるいは激しい戦闘状況の中で、飲食をどのように摂っているのか。被害状況は伝わるのだが、多くの人たちは日常生活を送っているわけで、その人たちが右往左往する日常が伝わってこない。毎日が戦闘下、どんな生活をしているのか。住民はハマスとどう向き合っているのか。支援しているのか、匿っているのか。

 平和を希求するのは、人間の普遍的な願いである。強力な武力によって一般人にも多大な被害が及ぶからだ。近代戦争、現代の戦闘は武力が格段に強力になっているから、いっそう被害が拡大する。

 それなのに、戦闘の指導者の声、一般人の生活状況が、伝わってこないのである。病院などを破壊するイスラエルの非人道的な残虐行為を報道し、その戦闘を非難するだけだ。

 これは知的停滞という以外にない。こういう状況をだれがどのように統制しているのか。ハマスを内部に抱えるパレスチナ自治政府には、とにかく何かをアピールしてほしい。政府がどこに所在するかなど明らかにしては爆撃を喰らうだけだなどと逃げないでほしい。

 国際ジャーナリスト達といわれている人たちの出番である。

 

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カミユ「ペスト」、2回目の旅から帰る

2023年11月17日 | 日記

 このほど、カミユの「ペスト」La peste を読了しました。これで、2回目ですが、「夏の読書」として5月頃から読み始め時間がかかりました。9~10月は様々事情があり、本を手にすることが殆どできなかったのですが、先ずは一安心。

 カミユの文章、フランス語は僕にとっては難しく、登山に例えるなら、危険なルート、藪をかき分け、を限りなく繰り返し、迷うことばかりで、ようやく頂きに立ったという感じ。

 ペストいう病に襲われた、アルジェリア・オラン市民の恐怖、悲しみ、失望、そして、一筋の希望。・・・・今、現実の世界を見ると、多くの不条理の中にある。この小説は読むに値するものと言える。

 小説では、ペストは収束し、市民は普通の暮らしをとりもどした、という終わり方をしているが、カミユは最後に主人公の医師、Rieuxを介し次のように語っている。これが、本当にいいたかったこことだと思う。

 せっかくなので、まずフランス語で。

・・・la pest ne meurt ni ne disparait jamais, qu’il pendant des dizaines d’annees endormi dans les meubles et le linge,・・・・・・・le viendrait ou, pour le malheur et l’enseignemont des hommes, la peste reveillerait ses rats et enverrrait mourir dans une cite heureuse.

 次に日本語。

 ペストは死にもしないし、消えることもない。何十年もの間、家具や下着類の中で眠り続け、・・・・・いずれ、人間にとって不幸にも、また、教訓としても、ペストはネズミを遣わし、幸福な街に死をもたらすであろう。

 さて、絵は、ペストが収束し、医師Rieux(リユー)が、ベランダからオラン市を眺めている。収束を祝う花火が打ち上げられている。

   2023年11月17日   岩下賢治

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ガザ問題に一言

2023年11月12日 | 日記

            野菊

 辛い戦闘が続いています。問題の行き着く場所が見当たりません。見当外れかもしれませんが、以下、私が抱いている疑問です。
 単刀直入に言って、パレスチナの地の統治者は誰なのか、ということ。各種報道によると、ハマスではないことは明らかです。ハマスはパレスチナの地での統治者とは独立した政治運動隊で、以前だとPLO=パレスチナ解放戦線のような組織だと思う。PLOにしても彼の地を全面的に統治していたとも思えない。
 問題なのは、一体、どのような組織のどんな人たちが統治しているのだろうか。統治なしでは、水道や電気、病院などの公共的なインフラが経営できるわけがない。ところがその統治体がいっこうに明らかにされない。元はイギリスの信託統治であったらしいが、第二次世界大戦後はどうなっているものやら。停戦するにも、その当事者がわからないのである。ハマスとは戦闘しているが、彼らは統治者ではない。
 パレスチナの人民は当然税金を払っているいはず。その人たちが何百万人といるのだから、それを代表する統治組織があるはず。警察なり、その統治する人たちの姿が、形式的にあっても、一向に明らかないなっていないのである。停戦の相手とすべき統治組織が不明なのだから、交渉自体できない。もちろんイスラエル側が一方的に戦闘を止めることはできるが、、、。
 ガザの地は中東戦争の結果、イスラエルの信託統治になったのか。だとしても西岸地区を治める統治機構が全面に出て調停することはできる。
 パレスチナ、イスラエルは建国以来、難しい問題を抱えていることは承知している。前にも書いておいた。その上でだが、パレスチナの統治機構はどうなっているのかを、はっきりさせてもらいたいものだ。それがはっきりしないと戦闘は果てしなく続き、双方とも廃墟に至るまで続くことになる。元を糺せば、パレスチナを国家として再建する方途を誰がどのように保障することなのだが。【彬】

 

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ながら喰いの横行

2023年11月08日 | 日記

                    次郎柿

 「ながら族」がいるのだろう。スマホを離せない人たちが食事をし「ながら」画面から目を離さない。歩きながらスマホに夢中の人もいる。危険この上ない。電車の中、運転中もスマホを離せない。そんなに見たいものがあるのだろうか、と思う。スマホで写真を撮ることに夢中になり、橋から落下、死亡して人もいる。
 スマホと同時に、最近気になるのは、「ながら」飲食である。プラコップや缶ジュースを飲みながら歩く。お菓子、サンドイッチなどを歩きながら食べる。子どもではなく、いい大人がである。
 食べること、食事の仕方は、国々やいろいろな地域、あるいは各家庭で暗黙のマナーを内包しているものだ。日本だと箸の持ち方、器の置き方・持ち方、食べる順序、食事中のおしゃべり、食器の片付けなど。地域によって違うし、家庭内でも独特の雰囲気を持っているものだ。そうした食マナーで最も嫌われてきたのは、歩き喰いである。どんなに急いでいる時でも食べならは忌避されてきた。そんなタブーを歩き喰いはあっさり打ち破った、のか?
 発端は鎌倉の小町通りのような気がする。ここは歩き喰いのメッカのようで、狭い道を食べ歩く。道には飲食店が立ち並び、座って食べるところがないので、商品が歩き喰い仕様で売られている。それがこの一帯のファッションともなった。それが日本全国に広がったのだろう。
 ながら喰いは道ゆく人と接触し、他人を汚すことがないのだろうか。あるいは食べおわた器などどう始末しているのだろうか。
 食習慣には衣服に勝る、人間の最も根本的なマナーが含まれている。
 昔、テレビドラマで家庭の食風景が放映された時、問題となったのは新聞を読みながらの朝食であった。見苦しいという意見が多かったような記憶がある。ながら喰いは、気持ちのいい風俗ではない。【彬】

 

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