ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

幻想的なホタル

2016年06月25日 | 日記

 自宅近くの野川に沿う遊歩道でのランニングの練習を終え、野川公園を眺める。梅雨の季節、遠くの森や林の緑がしっとりと豊かで小山のように見える。昨年まで、自然豊かな茨城県北西部に住んでいた僕だが、このような公園の風景でも自然の中にいる気分を満喫できる。だが、茨城と比べると何かが足りない。茨城では、梅雨から夏にかけての夜、ホタル観察ができた。東京に戻ってからはホタルを見ていない。

  茨城は水田が多いので、毎年ホタルが出る。実を言うと自然の中でホタルを見たのは、13年ほど前に茨城に転勤して初めてと記憶している。社宅のすぐ裏の田んぼで、また、隣町の合鴨農業を行っている水田で多くのホタルが観られ、わざわざ車で出かけたりした。ホタルの光が何処からともなく現れ、スーっと飛んで消えていくさまは、幻想的、儚さ、といった日本的美意識、心の琴線に触れるものがある。

  野川公園では、人工的にホタルが育つ環境を作り、ホタル観察会を開いているようだ。だが、昨年は個体数が少なく中止となった。今年は、特に話がない。ホタル観察を目的として、ホタルを育てるのは人間中心で、あまり好きではないが、出来たら野川公園で幻想的なホタルに会いたいとも思う。

 ところで、何年か前こんなことがあった。

 まだ寒く、ホタルの季節でない頃。僕は、たまたま、茨城から自宅に戻り野川公園あたりを散歩していた。すると、野川に通じる小さい水路の脇で、周囲を掃き清める美しい女性に出会った。その人の話では、「この水路で、梅雨の季節にホタルが出るんですよ。その季節になったらぜひ来てくださいね。」僕は「誰か餌のカワニナを放しているんですかね?」その人「さあーどうでしょか。」 

 その言葉に従い梅雨の季節に、昼間だが、ランニングコースの途中なので現場に赴いた。改めて見るとホタルに似合う美しい水路である。だがホタルが自然に発生することはないだろう。周囲にホタルが見られるとの広報もない。あの女性は誰だったのか。会ったこと自体が、何か幻想ではなかったかと不思議な気持ちにもなってきた。夜にその現場に行こうという気持ちが萎えてきた。そして、ホタルよりも、むしろそのホタル娘に再会したいと思うようになっていた。

 絵は水路で若い女性に会う。 2016年6月24日 岩下賢治     

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都知事、辞任

2016年06月16日 | 日記

    

 舛添要一東京都知事が辞任した。公費や政治資金の使い道に異議が出て、その釈明が広く理解されなかったためである。特にメディアスクラムによる追及が激しく、耐えられなかったようだ。議会での議論ではないから、辞めるに値しないと言った見解も、一部ネット上にはあったが、その釈明の仕方を見ると辞めるのが当然だと思う。

 舛添氏は気鋭の国際政治学者という触れ込みだった。だから知事になったら早速海外の主要都市に出向いて、都市外交などと言った活動を繰り返したのであろう。しかし政治学者として、政治の本質を追い求めたことがあるのなら、そうした都市外交とやらが、地方政治、特に自治体行政とどれほど縁遠いものであるか、すぐに理解できたはずである。学者と言うより、政治周りのエッセイストの類であったのだろう。

 次期知事を選出するにあたっては、自治体の行政は、国政とどう違うのか、ハッキリ理解している方を選びたい。偉ぶって、立憲主義だ、平和憲法遵守だ、アベノミックの破綻だ、弱者の救済だ、などと国政まがいの施政を訴える人は御免こうむりたい。言うまでのもなく、自治行政の基本はインフラの整備である。ゴミ処理、上下水道の完備、道路網の整備、農水産物市場の整備、保育施設の充実、等々。これらはいずれも地域住民の利害と絡んでくる。これらを調整する能力が地方行政長の職務であることを肝に命じたい。【彬】


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科学的な素養が足らない

2016年06月09日 | 日記

        拙い絵ですが、充電式乾電池です。

 私たちの身の回りは現代科学に覆われている。テレビ、パソコン、家電製品、電気水道、その他もろもろ。しかし私たちはそれらの科学的な仕組みは一切知らない。ただ、それらの製品の成果を甘受して利用しているだけである。もちろん、それで良い。理解しないと利用すべきではない、などというアナクロニズムには与したくない。パソコンや携帯電話など、その仕組みの理解には、全く程遠いが、でも大いに利用してしかるべき現代の利器である。

 とはいえ、あまりにも無知なことに気づいて愕然とすることがある。その一つが電気である。

 中学の理科に出てくるはずだが、電流を司るものとしての電圧、そして電流の流れとしての直流と交流、その関連がよく理解できていない。別に知らなくても差し障りはないのだが、現代社会を未来の方向に構想する時に、電気の基本はおおよそでもよいから、理解しておきたいものだ。コンセントの周りに、テレビからゲーム機器、パソコン、電話機などの配線がこんがらって、アダプターが何種類か熱を発している様子をみるにつけ、私たちは電気についての基本的な理解が進んでいないことに気がつくのだ.。普通に、 ECアダプターってなに? ECってどういう意味? 

 だが、調べても理解できない。私たちはそういう時代に生きているのである。

 科学との接点の取り方が難しい。それが、原発や地震の恐怖症につながっているのではないか。【彬】

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青春小説はいかがでしょうか?

2016年06月06日 | 日記

 先月5月初めから、ドイツの小説家ヘルマン・ヘッセの「青春は美し」を読み始め、そろそろ終わります。ドイツの文化を楽しみ少しでも理解しようとドイツ語の原文で読んでいます。1916年発表の、Shon ist die Jugend.です。

 物語は、故郷を出て学成り、自らの立場を固めた青年が、休暇を利用し久しぶりに故郷に戻り、家族や知人、旧友らと交流を描いたもので、故郷を思い青春をなつかしむ心がよく表れています。ヘッセの作品ほとんどが、故郷と幼少年期が主題として貫かれ、おおくが青春小説といえるのではないでしょうか。

  実をいうと僕は、ヘッセの作品が好きで、高校生時代に影響をうけ今の自分があるように感じています。自分の好きな作品を、原文で読むのは語学の勉強になることは、以前のブログでも書いた通りです。

 僕は、ドイツ語は自分の意思を、明確に理論的に伝えるのにいい言語だと思います。かなり長く、また引用文の含まれる込み入った文章であっても、それぞれの文章は、その始まりから、終わりまでが分離動詞などの活用で一括りになることがほとんどです。ですからどのように長く複雑な文章であっても、因数分解を解くように整理できます。

 ところで、最近、ネット上で、ドイツ語を学習する人口数が世界の中で上位に位置づけられることを知りました。おそらく、EUでのドイツ(メルケル首相)の指導力が評価されていることが背景にあると思います。

 さて、話はすこし飛んで、先日のG7伊勢志摩サミットについて。共通認識の一つが、「世界経済の先行き下方リスク」でした。安倍首相はこのあと、消費税増税延期を表明しました。それでは、社会保障費の財源はどうするのか。明確な回答はないのですが、民進党が提案している赤字国債発行は、NOということです。あくまでも想像ですが、G7サミットの席で、ドイツ、メルケル首相が、財政政策にあたり、規律は守るようにと強く理論的に主張したのではないかと思うのです。

  以前より世界経済バランスのなかで相対的に力がおちているようなEUですが、近現代の歴史を通して見ると、科学、政治、文化等で世界をけん引する力はヨーロッパ、EUは大きいのではないかと思います。そのなかでもドイツの地位は高いのではないでしょうか。

  絵は主人公が汽車で帰郷するところ。 2016年6月6日 岩下賢治

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