ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

多発する自然災害に困惑

2019年10月30日 | 日記

泥水になぎ倒された河川敷のコスモスが、ところどころでかろうじて咲いている。

 大型の台風が2度にわたり、本土を襲い、空前の被害を列島にもたらした。
 私たちはただなすすべなく、避難するより手がないのだが、地震を含め、大火、大雪など巨大な自然エネルギーに対して、何か対策対応することが出来ないのか、想いがいろいろ巡ってくる。
 環境庁では今、気象変動に対する総合的な対策として、農漁業や治水、山林対策などにわたって具体策を取りまとめているようだが、しかし、その視点は、温暖化による旱魃とか緩やかな変動に対する対策となっていて、今回の台風のような巨大な自然災害に対するものではない。
 古来、強烈な自然災害は人々の生活様式や文化を根本から変えてきた。その最大のものは、日本だと寒冷化による縄文時代の消滅、そして海外では例えばアイルランド民の移住だろう。近年、アメリカ大陸では冬場、森林火災が長期にわたって頻発しているが、森林乾燥地帯のこの災害が今後、アメリカ民の生活のあり方を変えていく要素になるかもしれない。
 私は今回の台風被害が拡大した最大の原因は、農耕社会の生産様式、生活様式の残存のせい、と思っている。堤防の近くの低地に住居を構えること、山間地の急斜面に家を構えること、など農耕社会の名残である。なぜ、人々はそうした土地に住まうのかといえば、農業がしやすく、開墾による分家を増やすのに適しているからである。現在、その末裔たちは農業を営んでいなくとも、代々の土地から離れられないのだ。
 災害に対しては、ただ防災という観点だけではなく、今日の経済社会制度に応じた住まいのあり方を、先祖代々を引き継ぐ土地神話から離脱して、工業化技術社会に即した地域づくりに転換すべきだと思う。それが遠い将来のための生活様式の道標になるのではないか。
 例えば、建物の仕組みや構造である。普通、家は南東面を大切にし、日差しをいっぱい受ける形になっている。ところが台風は南東・南西からの強風である。だからこの面の家屋は、車のフロント面のように傾斜させることができないか。また、大量の積雪に対しては建物は、高層に伸びるより、逆に地下に潜るような対策がよいのではないか。水に対しては、地盤の強固な高台に移るとか。 
 そして何より、地域のインフラを整備することが大切だ。特に電気である。電気は遠地からの送電ではなく、近場の発電が絶対だと思う。それだけ被害が少ない。
 台風19号の後、私は友人と荒川の上流の鴻巣にコスモスを見に出かけた。もちろん、広い河川敷の花は丸ごと流されて見る影もないのだが、堤防は何年か前から補強されており、決壊することはなかった。日頃のそうした土木は重要だと思うが、同時に巨大な自然災害に耐えるのではなく、受け入れることができる生活様式が今後の方途ではないだろうか。
 災害に強い都内に住む立場から、自分の出身地の災害のことを想像するこのごろである。【彬】

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令和の時代へ

2019年10月26日 | 日記

 10月22日、即位礼正殿の儀が執り行われ、令和天皇により内外に向け即位が宣明された。

 即位にかかわる儀式は、テレビ中継され、僕もその一部を拝見した。まことに、歴史絵巻、平安時代の王朝世界にタイムスリップしたようである。日本の君主継承は世界に例がない長い歴史がある。格式の高い、型式美、様式美、を伝え続けてきたことに驚き、敬服するのみである。

 それで、皇居を外からでも見たくなり、数日後、都心へ出る機会があったので、脚をのばし皇居桜田門を訪れた。というのは、昔、毎月一度は、皇居の周りを走っていた。そのスタート地点が桜田門であり、僕には皇居といえば桜田門のことなのだ。周回の歩道は、今多くのランナーが走っている。市民ランナーの聖地なのだな。以前、茨城県に住んでいたころ、知り合いになった市民ランナーが、東京に出かけ皇居で走ることが、憧れだ、と話していたのを思い出す。

 さらに、皇居前広場に向かう。そして、二重橋を眺める。多くの観光客は殆どが海外からの人。僕も、改めて、こうして眺めるのは初めてのことだ。歴史の重みを感じる素晴らしい景色だ。

 帰路、新鮮な空気が頭の中を流れる。これからの時代は、我々の努力で築いていくのだという気持ちに満たされていた。

 せっかく来たので、二重橋を描いておいた。

   2019年10月25日  岩下賢治

 

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災害避難のあり方に思う

2019年10月16日 | 日記

   我が家の柿が色づいてきました。

 台風など自然災害が差し迫った時、自治体から避難指示が出ますが、私たちは実際どう対処すればよいのだろうか。その具体像が私には、よく掴めない。
 いくつか分からないことがあるのだ。
 第一は災害時における自分の居所を特定できない不安である。地下鉄の中かもしれないし、外出中かもしれない。自宅にいることは稀なのではないのか。そして帰宅困難になった時、家族との連絡はどうするのがよいのだろうか。台風の場合は進路と時間がある程度特定できるが、地震や何かの暴発などの時はどうなのか、と思う。
 第二は避難場所にはどんなものを持参したら良いのだろうか。避難日数にもよるだろうが、毛布や飲食物の提供はあるらしいのだが、衣類や洗面具など日用品は必要なのだろうか。また、貴重品や医薬品、各種重要書類は持っていくべきなのかどうか。
 第三は避難に際して、自宅の管理はどうすべきなのか。鍵はかけた方がよいのか、どうか。施錠してしまうと、例えば救急隊などの対応処置ができなくなり、また鍵の紛失の場合も困る。車などはどうしておいた方がいいのか。
 第四は身支度はどうすべきなのか。衣服、靴、手袋、帽子、刃物、自分用のカップ類などどうすべきか。
などなど、次々、思い浮かぶ。実際の避難者の方には、どういうものが必要で、どう対処したか、ぜひ教えてほしいものだ。
 と同時に避難所の方からも指示が欲しい。何々を持参すべきか、と。
 また、小中学校の体育館などが避難場所として使われているが、そこにはコインロッカーを是非設置しておいて欲しいものだ。貴重品や鍵などを持参しているはずだからである。また、体育館は、床下がコンクリートで固めているために、床が硬く、底冷えがする。避難場所として最も不適切な場所だと思えるのだ。

 この際だから、避難場所に指定されている場所は、応急のための備蓄だけで済ますことなく、あり方そのものを作り直すべきだと思う。
 その際、考慮すべきは電源である。何台かの携帯用の発電機を用意するだけでは物足らない。電力会社と協力して、小型の発電所を常設稼働できるようにできないだろうか。そんな発電所がれば、災害の時ばかりでなく、地域の祭りや通常の冷房、給食などにも活用できる。
 そして、こうした場所は緊急時の避難だけに限定せず、おのずから常時活用できる地域センターにしたらよい。昔のことだが、村々には地域の詰所があって、小さいながら火の用心とか、人々の必要物を保管する場所になっていたものだ。
 人口減で統廃合になる学校が多いが、そうした公共の場所こそ、地域に根ざした防災空間=地域センターに作り直すことを目指すべきではないのか。【彬】

 

 

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秋の「武蔵野」を歩く

2019年10月13日 | 日記

 10月に入ったある日、予定通りの練習日、小金井公園で200m ×10本の短距離インターバルを終えた。この日は、暑さも去り、心地よい空気に誘われ公園内を散策してみたくなった。そして、いつか来たことのある、或る場所に脚は向かう。

 公園の南側に、公用の敷地と民間の敷地がパッチワークように混在しているところがある。民間の敷地は、主に畑である。その中を長さ300mほどの道がまっすぐに通る。舗装されていないむき出しの土で、農道のようだ。そこを歩く。栗林は収穫の時期。様々な野菜が栽培されている。農機具などが、放り出されていて、人の働く匂いがしてくるようだ。時折通り過ぎる人は、農作業をする人なのか。その風景は、何か懐かしく、これが僕の心の中にある「武蔵野の風景」なのかとも思う。

 国木田独歩の、名作「武蔵野」の中の一節「・・・・畑とても数里に続くものなく、林の周囲は畑、畑の三方は林、というような具合で・・・・ただ乱雑に入り組んでいるかと思えば、たちまち野に出るようである、・・・・それが武蔵野に一種の特色を与えていて、自然あり、生活あり・・・。」僕も同感する。

 今見ているのは、まだ緑濃い夏のようなのだが、秋が進み、これが紅葉の季節となり、そして冬に向かう、そのあたりが、武蔵野の趣のある風景になる。冬の雪もまた凛とした美しいものになるだろう。折りに触れ訪れてみよう。

   2019年10月12日   岩下賢治

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