ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

曖昧なブランド

2024年01月25日 | 日記

                りんごとタンカン

 私はよくコンビニでカップ麺を買う。誰でもがそうだと思う。
 そのカップ麺だが、商品の表示が腑に落ちない。ブランド名=商標は、通常はメーカーが保有しているはずだが、その食品会社ではなく、コンビニ名になっているのだ。例えば、東洋水産というメーカーであるものが、セブンイレブンになっている。日清食品の天ぷらそばを買おうと思うと、セブンイレブンの天ぷらそばになっている。
 これはどういうことなのだろうか。
 流通業者の意向が強く、流通業者名でないと消費ルートに乗らなくなっているのだろうか。あるいは品質保証は流通業者が責任を持つということなのだろうか。
 食品に限らず、電気製品、衣料品、文房具、生花、等々、今やアマゾンや楽天とかいった販売者が全てを仕切っているように思う。
 私のような老人には、なんだか時代の進み方が変に思える。生産者と消費者の接点が、空虚なのである。だからネット上の安価に釣られ、例えば、靴、下着、衣料品など、不要不急な物品を買ってしまう。
 そんなことを漠然と考えているのだが、最近、私の住む街は、古い建物の改築が進んでいて、新しいビルがどんどんできる。そのビルにどんな店が入るのかと期待していると、結果はなんと、どこもコンビニである。それにドラッグストア。通りを隔てた目の前に、同じ店名の商店があるというのに。
 様々な小売店が消え、店頭で品定めをできるのは、コンビニだけ、というのはなんとも味気ない。これがネット時代の社会というのだろうか。【彬】

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2024年 大学入学共通テスト

2024年01月22日 | 日記

 1月13日、と、14日、大学入学共通テストが実施された。

 僕は、高校の参考書などで、理系、文系科目を、読んでいる。・・・勉強している。世の中の、様々な、課題、出来事などを見ていく場合、基本的な知識が必要と思っている。広い視野、様々な視点から考えることができる。・・・そのためにやっている。

 そんな流れの中で、毎年、共通テストのコピーを入手し、問題内容をみている。いわゆる文系の僕は、今まであえて、理系科目ばかりをトライしていたが、今年は、日本経済新聞に掲載されている、すべての、科目をみてみた。

 すなわち、文系は、英語、現代社会、地理B、世界史B、日本史B、国語。

 そして、理系は、生物、化学、生物基礎、数学I・数学A、数学Ⅱ・数学B、である。

 すべての科目が、量が多く、難しい、の一言。入試問題の目的は、学力をテストすることだが、同時に、受験者を選別する、ふるいにかけ、落とすこともあるだろう。

 高校の参考書を読み勉強したからと言って、通用するものではない。日経に掲載されている回答を参考に、回答までのたどり着くプロセスをチェックする。これら試験問題のなかに、自分にとって新発見が多く大変楽しくもある。ストレスがたまるも、ワクワクするような1週間であった。

 さて、入試問題にトライするということは、受験生の気持ちに近づけるのではないか。若い人たちと同じ目線に立てることは、これまた痛快でもある。

 絵は、自宅近くの東京農工大学の学生食堂風景。僕がよく利用する。

   2024年1月22日  岩下賢治

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半島と災害

2024年01月15日 | 日記

                 ローバイ

 今回の能登半島地震の被害状況では、地勢の特徴が大きく影響しているように思う。主要道路が半島の中央に敷設されているが、主な街道は海岸線に沿って切り開かれている。町や集落に向かうと後戻りするのが厄介だ。だから観光シーズンなどでは、すぐに渋滞が起こる。これは半島の特徴で、能登に限ったものではない。伊豆半島でも、三浦半島でも、房総半島でも同じだ。もっと大きな紀伊半島でも海岸線以外に主要な道路はない。こうした道路が寸断されたら、行き場がなくなり、孤立する。この、いわゆる「半島問題」は以前から指摘されていることであって、行政レベルでも何回か、報告書が作成されている。
 とはいえ、半島は当初から孤立していたわけではない。かつては文明の中継地として栄えた。例えば三浦半島は、ペリーの来航地であったし、函館、長崎もそうだ。能登は北前船の中継地で、輪島や珠洲は漆器類で有名だし、産業や文化的にも発展した地域であった。歴史家の網野善彦はこの地の産業の発展ぶりを発掘し、今までの農業中心の歴史観に大きなアンチテーゼを掲げたことで知られている。
 近代社会になり、交通が水運から鉄道の敷設により陸運に変わったことで、半島の果たす地理的な利便性が失われて、今や過疎の地になってしまった。
 今回の地震は、半島の果たす役割を再考するための、重要な契機になると思う。被災者の救援も急がれるが、能登に限らず半島の役割を追求していきたいものだ。日本は半島だらけである。自然災害も多い。そんな地域のインフラを支え、その特性をどう生かすか。大きな課題を背負ったように思う。【彬】

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復旧救助作業を知りたい

2024年01月09日 | 日記

           フリージアの一輪挿し

 能登大震災、大変な事態である。余震など、まだまだ収束しない。私たちはただ 情報をテレビや各種SNSに頼るだけで、その実態を理解することができない。
 大変な状況であることだけは分かる。
 でも、でも、肝心の復旧活動、救援活動が皆目、わからない。メディアから伝わってこないのである。
 骨身を削っているのは、各種復旧作業を寝食を忘れて取り組んでいる人たちだろう。例えば自衛隊の隊員、消防隊員、電力・ガス・水道の担当、、、そんな人たちはどんな作業を強いられているのか。それに知事をはじめ、自治体の職員の活動など。
 被災した人たちの、水がない、寒い、トイレが使えないなどの難儀な状況はテレビが連日報道している。しかし、肝心の、復旧に努めている人たちの献身的な活動が伝わってこない。それがなんとももどかしい。だから、粋がる政治家などが現地に行きたがるのである。
 災害対策を統括しているのは誰なのか。馳知事なのか。あるいは現場の救助隊なのか。馳知事については、わずかに交通規制=能登へ向かう車の制限要請が伝わっただけである。でも、現実はもっと錯綜しているに違いない。馳知事はほとんど睡眠をとっていないのではないか。そんな状況が全然伝わってこない。
 避難所などで、大変だ大変だと喚く前に、献身的活動をしている人たちのことを知りたい。【彬】

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災害救助隊が不可欠

2024年01月06日 | 日記

          新宿御苑・ラクウショウの気根

 新年早々、大きな災害・事故が立て続けて起きた。いうまでもなく、能登半島地震と羽田の航空機事故と。

 災害王国とはいえ、こんな時にこんな風に起きたのは前代未聞だろう。しかも、東日本大震災からようやく立ち直りつつある時に、である。

 阪神淡路大震災の時から言われているのは、大規模の災害には、通常の消防や災害防除の工夫、心構えでは、到底立ち向かえないということ。瓦礫の中から人命を救助するにも、今日の建築物に対して、人手ではどうにもならない。ボランティアなどで現場に行ってもどうにかなるものではない。かえって、足手纏である。

 また、水がない、食料がない、電気がない、トイレが使えないという状況。田舎だったら、火を焚いて、暖をとることもできる。排泄も野外でできないわけではない。ところが半ば都市化した地域では、電気、水道、道路というインフラの欠如は、致命的である。救助にしても道路が寸断されていては、物資も運べない。

 被害の対応には、何よりも重機が不可欠だ。道路を通す、水を運ぶ、倒れた建築物を取り除く、、、それらは重機なしには不可能だ。だからというわけではないが、災害に対しては自衛隊の出番となる。その自衛隊は知事の要請があって初めて出動が可能となる。それが民主国家の軍隊というものである。だが、自衛隊は軍隊である。救助隊ではない。救助の訓練を受けているわけではない。映像をみると、隊員たちの活動も何かぎこちなさそうだ。

 以前にも触れたことがあるが、私は災害に即座に対応できる《災害救助隊》の創設を切望する。国土を守るのが、政治の最大の役割なのだから、内閣府の直属とする。自衛隊に要請するのではなく、国家自身の出番なのである。

 災害救助隊は、日頃から各地域の災害を想定したシュミレーションを行うだろう。隊は、たとえば富士山の麓に、専用の空港を保持する。水や食料の備蓄する。いざという時、迅速に対応するためである。

 日本には、毎年、台風がやってくる。水害も多発する。大きな災害には自治体だけでは対応できない。現在の災害救助法は復興に対する援助であって、事後対応である。事前に準備をする制度こそ重要ではないか。民間の形式的な避難訓練では役にたたないのは明らかである。

 災害には、軍事とは別の訓練、装備が必要だろう。あるいは軍事と重複することがあるかもしれない。相互訓練が必要になるかもしれないが、肝心なのは、この指揮系統を内閣が持つということ。自然災害に対しては自治体ではなく、国が対応すべきである。【彬】

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