ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

災害復興を都市計画の端緒に

2019年09月28日 | 日記

萩です。 

 九州から関東に至る今年の大型台風災害は、かつての伊勢湾台風に匹敵するほどの甚大さである。国からの激甚災害指定を受け、復旧は昼夜を選ばず進められているようだが、その際思うことがある。せっかくの機会だがら、これを契機にして今日の社会状況に応じた都市計画を進めてはどうか、と。

 被災者はそれどころではない、外部の人の勝手な思い込みだと言うかもしれない。しかし、関東大震災の時も、戦後復興の時も、都市計画は策定されたのだ。が、資金不足や対象地域が広すぎて思うように進められなかった。でも今日の先進的な土木技術、建築技術をもってすれば、限られた地域なら、理想的な地域社会が一気に推進できるのではないのか、と思う。問題は住民たちを説得し、それを推進するリーダーが存在するかどうかだ。

 シャッター街が象徴するように、地方都市、あるいは農村社会の問題は、交通インフラが現代の車社会に適応していないことである。その上、土地にしがみつく農村社会の名残を強く残していて、家々が分散していることが効率的な社会インフラを作る上の障害になっている。利便性を優先し、家々は一定地域に集合したい。そしてその中心を何にするかが地域の選択だ。庁舎など問題外である。私なら高齢化社会を念頭にした総合病院を中心に置く。その病院の周囲を家々と広い歩道が囲み、そしてより大きな地方都市に繋がる衛星地域にする。当然ながら電気、ガス、上下水道は完備される。住宅は戸建のほか、集合住宅が点在し、地域のまとまりを稠密にしていく‥‥などなど次々に思いは膨らんでいく。


 屋根瓦を飛ばされた家屋の復旧作業をテレビなどで見ると、複雑な思いがする。瓦屋根は半世紀前だと豊かさの象徴だった。今の建築技術なら、瓦は使わないだろう。土台も、地層を深く掘って、そこに鉄筋コンクリートを打ち、構造をしっかりしたものにするだろう。
 一年間、仮設住宅で我慢すれば、都市計画に基づいた立派な農村都市が完成するはずだ。


 今日、大都市であろうが、田舎の小都市とか、あるいは農村社会でも、電気、ガス、電波、上下水道は、必須のインフラストラクチャー。災害の中で、電気が問題になっているが、もっとも重要なのは、上下水道である。水道は通っても下水道が完備していない農村は多い。インフラの中で、電気は最上位なのは間違いないが、復興にあたっては、この下水処置のことをよくよく考慮してもらいたい。

 災害を契機に従来の都市のあり方、農村社会のあり方を作り直す、今日的な都市計画が望まれていると思う。その実現は難しいかもしれないが、平時の時から構想だけは持っていもらいたいものだ。【彬」

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2050年:地球はいかに克服したか。

2019年09月26日 | 日記

 米タイム誌の、9月23日号のタイトルは、2050:HOW EARTH SURVIVED.「2050年:地球はいか克服したか」である。

 現在、地球規模の課題である「温暖化問題」を特集した記事で、104ページ全てを費やしている。実は、1989年1月2日号に、PLANET OF THE YEAR、という同じ、「温暖化問題」を特集した記事を載せていたが、30年後の2019年今、さらに30年後の2050年の視点に立ち総括的に経緯などを載せている。

  記事内容は、実に多様だ。

 1. 有識者10名の意見、エッセー。

 2. 大陸ごとの状況、

  ①    北アメリカ、②南アメリカ、③アフリカ、④ヨーロッパ、⑤アジア、⑥オセアニア、⑦南極大陸

 3. 「温暖化問題」で活動する女性の活動 16名(この分野での女性の活躍は目覚ましい)

 4. 世界各国の子供たちの描いた絵16点。2050年の地球を描く。

 5. 参考資料として、国連IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の示す、温暖化克服のための諸施策、ロードマップ 6項目。

  1)天然ガス、石炭の段階的使用廃止。2)風力、太陽光の使用推進。3)原子力・ゼロカーボンとリスクを考慮し使用。4)CO2削減、年間300ギガトン。5)森林資源の減少を防ぐ。6)エネルギーの効率的使用

 さて、僕が心打たれたのは、1.の、或る有識者の意見、エッセーのなかの言葉、つまり、現在までの30年間の温暖化対策は足りていない。今、明確に言えるのは、「すぐに行動することが必要だ。そうすれば克服は可能になる。」である。これから30年後の2050年は「世界は挑戦し続けた、最悪の事態は避けられた。」である。

 最悪の事態は避けなければならない。・・・・農地の荒廃による生活基盤の喪失、移民、難民の増加。オセアニアの島国の水没。なによりも、35度~の中で人間は生活できるのか?

 絵は、TIME誌の表紙の概略スケッチ。

    2019年9月25日  岩下賢治

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荒れ狂った台風15号に思う

2019年09月15日 | 日記

  アオギリの実です。舟のようなサヤに実が 2~4個、つきます。

 台風15号が関東地方、ことのほか房総半島から千葉県を縦断して、大きな被害を与えている。上陸以来1週間も経つのに、未だ電力は復旧しておらず、場所によっては2週間、あるいは復旧のめども立たないところもあるという。

 私は千葉県出身。だから余計気になる。被害者への思いが募るばかりである。 

 災害を大きくしたのは、瞬間風速が50メートルを越すという勢力の大きかったことが最大の理由だが、問題の電力については、被害を大きくした理由が二つあると思われる。
 そのひとつは地形の特質である。
 房総半島・安房一帯は低い山陵地帯である。高い山がそびえていれば、山自体が台風をある程度防御する機能を果たしたであろう。しかし、低い山稜であるために、強風と大雨がこの山間を一気に通り抜け、木々をなぎ倒していった。その結果、山間部に設置された高圧線の鉄塔が強風と倒木でなぎ倒され、送電がストップした。

 もう一つの問題は千葉県の電力が東京湾側の発電所に全く頼っていることである。外房側には発電所がない。だから内房側より外房側に大きな被害が出ている。
 現代社会の最重要なインフラである電力が、特定地域に偏っていることの問題は、福島の原発事故で明らかになっている。関東地方の電力が遠い福島や新潟の原発に依存していたことが、問題を大きくしたのである。
 発電所は小型で良いから、近場にあることが大事だと思う。近場にあることによって、送電時の喪失電力の無駄が省け、いざという時の災害対策にも有効だ。
 改めて言うまでもないが、電力は現代社会の最重要なインフラである。電力なしには、水も食料も供給されない。そのためには送電システムの根本的な技術改革、例えば無線送電とか、さらには蓄電装置の開発などが喫緊の課題になるのだろう。
 理想をいえば、電力は空気のように自由に、安価に使用できるといい。そういった生活環境を追求していくことが将来社会の革新的な課題である。【彬】

訂正 台風は高さ15,000メートルほどの、筒状の渦巻きだそうです。だから山脈が台風を押しとどめる役割はないそうです。 訂正します。

  


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秋の入り口を楽しむ人たち

2019年09月10日 | 日記

 この9月の7日(土)と8日(日)小金井公園に、ランニングの練習に出かけた。まだ暑いので、200m×10本の短距離走になる。

 7日は、小金井公園走友会が主催する、公園内周回の、5時間走と、フルマラソンが開催されていた。大会のコースは、僕の練習コースと重なっていて、必然、参加者と一緒に走ることになる。当日は、快晴で気温30~34度。皆さん懸命に走っている。短距離の僕でさえ暑くて水をかぶるがことしばしばなのだが、大会参加者の皆さんは、暑さに耐えている。が、ランニングを楽しんでいるのが分かる。ちょうど水場で出会わせた、若い女性に「フルマラソンですか?」と尋ねると「いやまだまだ」との答え。その目は輝いていた。最近、僕は、無理せず、のんびりランニングだが、今日の参加者の走りを見ていると、「日本は元気だ。」と僕の体が叫んでいる。

 8日は、台風15号接近の影響でかなり蒸し暑い。インターバル練習を終えた頃、公園内の「いこいの広場」で、恒例の「セプテンバーコンサート」が始まるところ。11:00~16:00の予定で、プロ、アマ、様々なグループ、アーチストがステージに立つ。歌や楽器を使い、自分の思いを表現するのは素晴らしいことだと思う。僕は世間に流れる音楽に詳しくはないが、よいものは素直によいと感じる。発する側も受ける側も、「ひと皆、芸術家」なのだと思う。以前来たときは、16:00最後まで鑑賞したが、この日は用事があり昼前に席を離れた。

 9月に入ったところで、まだまだ夏の暑さを残すこのごろ。過ぎる夏を惜しみながらも、来る秋を期待するのである。

 絵は、5時間走、フルマラソンの様子。

     2019年9月9日  岩下賢治

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ヘイト、フェイク、 あるいはオオカミ少年

2019年09月07日 | 日記

  葛。秋の七草の一つ。

 SNS(ソーシャル・ネットワークキング・サービス)の急激な普及で、この便利なシステムをどう活用するか、あちこちでイザコザが起きているようだ。例えば、ありもしないことをあげつらって、特定の人をヘイトスピーチで晒したり、その反対に訴訟を起こされ賠償金を支払わせられたり。また嘘情報が大手を振るったりとか。思うに福島原発事故をめぐるさまざまなヘイト、あるいはフェイクは、8年経った今でさえ収束しないのは周知のとおり。

 こうした各種の情報が錯綜すると、たとえば災害時の情報では、被害を拡大することも心配され、これに注意を促す論説が、テレビや新聞などで取り上げられている。

 ところで、清水幾太郎は戦前、戦争下のデマ・噂の氾濫にイライラを募らせられた戦争情報関係からの依頼で、その対策について調査研究している。その結論として、デマは情報の不足から発生するとした。(「流言蜚語」岩波書店)。戦況が不利になり、人々の生活が逼迫してくると、デマはそれこそ千里を走るのだ。この結論は今でも生きていて、情報が過多だと言われている現在でも、特定の出来事に関する肝心の情報が不足していると、フェイクニュースが氾濫するのだと思う。森友問題など、そのいい例に違いない。

 私は、世の識者が言うように、SNSに抑制的になるよりは、数限りなく出回るミソもクソも一緒くたにしたような情報こそ大事なことだと思っている。事件や事実を巡る、本当の経緯というのは、なにが本物で、なにが虚偽なのか、その区別は簡単に腑分けできることではないのだ。虚報とみなされる発信も、発信者にしてみれば、その人なりにの訳あっての発信なのであって、まったくの虚偽でないのである。朝日新聞が長きに渡って伝え続けた、慰安婦に関する偽情報も、当事者は虚報として報じていたわけではあるまい。その記者本人には、それなりの根拠があったはずである。

 私たちは今まで口伝え以外に情報を伝えてる手段を持たなかったのだが、SNSのおかげで、自分の考えや見たことを自由に発信できるようになった。マスメディアを使っての、特定の人だけが独占していた情報も、SNSによってその歪みを正すことができるようになったのである。そのせいか、近年、テレビの視聴率は下がり、新聞の購読者は激減している。

 今やインスタグラムやユーチューブ、ツイッターなどで手軽に身の回りのことを発信できる。中にはどぎついものもあるが、それらはやがて淘汰されるであろう。だから良識ぶってSNSに抑制的な言説を唱える人たちに、私は異議を唱えたいのである。
 オオカミ少年の話がある。最後に羊が全滅しないためにも、オオカミ少年のような情報発信者には耳を傾けるべきなのだ。そして、その情報の真偽は、受け手たる私たちの成熟度が見極めるのだ。【彬】

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