ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

テロルの先をみること

2015年11月18日 | 日記

     

        知り合いから銀杏をいただきました。フライパンで焼き、秋を味わいました。

 テロルが吹きまくっている。やれ、話し合うべきだ、警備を強化せよ、力で屈服させよなど、識者といわれる人たちの声も様々だ。

 当事者のオランド大統領は、これは戦争だと宣言している。9.11の時のブッシュ大統領と同じだ。しかし、戦争の相手となるべきISというのは、実体が良く分からないし、宣言をしたものの戦いようがないのではないか。IS、イスラミックステート(state)というのは、イスラム教による施政理念と言ったようなことで、実体のある国家=ネーション(nation)ではない。首都を爆撃し、占領すれば終了というわけにはいかないのである。IS支配地域を爆撃するといっても、被害はその地の住民にすぎない。かつてベトナム戦争でゲリラ戦に苦戦した米軍とベトナム住民に想いが至る。

 テロリストたちは、現状に深く絶望し、自分の生命とテロルを交換している。将来に望みを持っていれば、話し合う余地はあるが、その願望さえ絶たれているからテロルに走るのだし、それを根絶するのは難しいと思う。

 問題なのは、中東地域がなぜこのように権力の錯綜した地帯になってしまったのか、ということ。明らかなのは、石油利権。この莫大な利権を欧米の石油資本が握り、これに一部の部族が絡むという仕組みを抜けること以外にテロルの収束はあり得ない。利権があるから、ISの活動も、武器と資金をどこからか調達できるのである。宗教的原理主義とか民主主義とか統治の方法の問題ではないのである。とはいえ、現在の石油利権手放す人は誰もいないし、新たに虎視眈々と狙っている人や組織が絶えることはない。

 テロリストと同じように、この問題を解決するには、ほとんど絶望せざるを得ない。

 私は先進社会が、石油依存から離脱することが、解決への遠いが近道だと思う。

 石油は化学物質の原料としてよりは、自動車や電力のエネルギー源としての利用が今や最大だ。地球温暖化とも絡むが、太陽光などの自然エネルギーの利用は言うまでもないが、トリウムを使った原子力も、欠くことのできない分野なのだと思っている。石油文明を早く乗り越えたい。【彬】

 

 

 

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深まる秋。小さな歴史の旅。

2015年11月13日 | 日記

 秋深まる11月。私は二つの小さな団体旅行をした。おもいがけず、それらが私の祖先に想いを馳せる旅となった。

 一つ目。
 11月8日・・・坂東市いわい将門マラソン大会に、ランニング仲間と参加した。
将門(まさかど)というのは、「平将門の乱」で知られる将門のこと。10世紀中頃、平安時代。中央政府に対抗し新政府を樹立しようと政庁を置いたのが、この茨城県坂東市。
さて、将門を討伐した中央側の武将が、田原藤太(たわらのとうた)。高校の日本史教科書では、藤原秀郷の名前ででてくる。私の父方の系図によると始祖は、田原藤太、となっている。私が幼少の頃、叔母が「うちの先祖は、たわらのとうた、なんだよ。」と、自慢げに話していたのを覚えている。もっとも、千年も前のことなのでお伽噺のようなものである。

 二つ目。
 11月10日・・・会社のOB会のメンバーと、八王子市鑓水地区の、「絹の道」周辺の遺跡巡りをした。八王子市は養蚕業がたいへん盛んだったところで、江戸時代末期から明治の初めまで、八王子市内で生産された生糸を輸出するのに、横浜まで運んだ道がこの「絹の道」。市の史跡として一部が当時のまま保存されている。そして、八王子は昔から織物業が盛んであった。母方の親は八王子で織物業を営んでいた。「絹の道資料館」に、江戸、明治以降の庶民の暮らしぶりを表す資料が展示されている。母がしてくれた自分の子供の頃の話と重なるところがある。

 この二つの団体旅行は、私が企画したものではないが、たまたま、私の父方母方それぞれの先祖に触れるものであった。
 ちょっとした小さな旅でも見るもの聴くものから様々の想いを感じることが出来れば大変充実したものになるものだ。

     絵は「絹の道」  2015年11月12日   岩下賢治

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廃校の跡地利用について

2015年11月05日 | 日記

          

                   ピラカンサが真っ赤が実をつけています。

 新宿区ではこの数年、小中学校の統廃合が進んだ。廃校になる学校が相次ぎ、結果として校舎・校庭の利用の仕方が、地域での課題となった。課題というのは大袈裟かもしれない。なにしろ、新宿のような雑漠、稠密密集地域に地域社会などというようなものは、とっくの昔に解体されていたから、地域の課題というより、行政の課題であった。しかし、形式的には統廃合は地域の課題であるので、名ばかりの町会やら関連団体が地域を代表するものとして、廃校の利用について意見を受け入れることになった。

 その結果、私の住んでいる四谷では、PTAと町会連合が、これを地域広場として活用するという具申をして、区から認められた。その運営は、すべてボランティアによるもので、結果として選ばれた広場の会長と事務局長の、まったく献身的な活躍によって、この種の施設の運営の模範ともなる成果をあげて今日に至っている。私もメンバーの一人として、週1回、この広場で2時間ほどお手伝いをしている。

 ところで、この地域広場はもう8年を経過し、10年目の借用の更新を迎える段階に至っている。先だって関係者が集まって、現状の報告検討会があった折、ちょうど施設を統括する立場にある区の出張所長も臨席していたものだから、この更新問題について私の考えを述べてみた。

 私が問題にしたのは、円満な更新の継続ではない。全く逆に、この種の公共施設を借用する場合、運営が順調だからといって、単に延長するべきではなく、一旦、地域社会に返還すべきではないか? 延長するとしても、再度、地域の意向を汲むべきだ、ということであった。

 いうもまでもなく、私の意見は全くの孤立無援、参会者からは何をとぼけたことを言っている、と一蹴されてしまった。

 希薄な地域社会にあって、そこに返還するというのが、まったく現実味がないことは百も承知だが、こうした手続きを重要視することこそ、地域社会を実体化していく上で不可欠なことではないのか、というのが私の考え方の動機であった。民主主義というのは中身も当然のことだが、形式を重視することが根本だ。無意味だと思っても、必要な手続きを経緯することが、偏りの歯止めになることを知るべきなのである。とくに箱物施設のような公共物にあっては。

 利用の定かでない公共の施設がつまらぬ既得権益となって、永続的に使用されるという事態はなんとしてもさけたいものだ。バブル期に建てられた施設などの利用に特にそう思う。【彬】

 

  

 

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