ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

過剰ということ

2016年02月28日 | 日記

  

   我が家の狭い路地に咲く椿=新曙光、花期がながい。

 近くの公園の椿が、ずっと花をつけている。本来ならとっくに散っているのに。暖ったり、寒くなったり、天候の変化が激しいものだから、花期が長引いているらしい。期間を伸ばして、平均すると平年並みの温度に落ち着くのだろうが、平均値の背後に最大値と最小値が隠れていることを忘れないことだ。記録をみると、2月1日は最高温度が6.7度だったのに、14日には23度にもなっている。最大値と最小値のブレが大きいことは、大気中の何かが〈過剰〉に動いていることを示している。おそらく莫大な化石燃料の消費による二酸化炭素が原因なのだろう。
 過剰な動きは、株価にも見られる。日経平均は、日に日に300円~400円の変わりようだ。石油の取引価格も動きが激しい。この場合は、景気対策として、世界各地で低金利で大量の流動性がばらまかれたことが原因となっている。行き場がない〈過剰な〉マネーがグローバルな市場で、右往左往しているのだ。
〈過剰〉な動きは現状からの脱出の予兆のようにも思えるが、身の回りはもちろん、国家あるいは世界レベルでも、進むべき将来像は茫漠として闇の中だ。
 こういう時には、じっとしているほかはないのかもしれない。が、政界などは理念のない離合集散などの愚を繰り広げているようだ。
 付け加えるに、ラジオでの女性アナウンサー、キャスターの爆笑、哄笑がが気になる。特にNHKの午後の番組。名前は控えるが、ほとんどタガが外れたような笑いである。これも、放送界に蔓延している何か過剰なるものの反映なのか。【彬】

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東京の梅の花

2016年02月21日 | 日記

 

 長いこと暮らした茨城から自宅のある東京・小金井市に戻り2月の梅の花の季節を迎えた。以前、ブログ(2013年3月2日)で、茨城の梅の花は、当地にまだ残る茅葺屋根の家の庭先に立つ梅の木の風景が良い、書きました。が、東京ではそのようなものはないですね。小金井公園には梅園があり様々な種類の花を見られるものの、背景に建物か何かがないと風景として物足りないですね。 

 そんな中、2月中旬過ぎの暖かな日、自宅近くの、八重垣稲荷神社に参拝する機会がありました。その神社はこじんまりして、鳥居や幟旗(のぼりばた)、椅子、テーブルが朱色。下町情緒のある時代劇のセットのようなつくり。椅子やテーブルは茶店の店先の雰囲気、どこかの町娘と、商家の手代が逢引きしている場面なんか想像できる風景です。そして、鳥居の横に梅の木が立ち、この日はほぼ満開でした。

 梅の花と神社。これは、湯島天神、や、九州大宰府などが思い浮かびますが、僕にはちょっと大きすぎます。東京の梅の花。僕にとっては、自宅近くのこの稲荷神社と梅の花のセットがこの季節の風景になりそうです。 

 こういう時は、一句ひねりたくなる気分になるのですが、すでに昔の歌人の歌を宮司さんが梅の木に括り付けていました。 

   吾が苑に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも  大伴旅人

それではと、僕も一句詠みました。 

   春の陽に 誘われ愛でる 梅の花 におい身に着け さあ帰りなん  

春の良き日でした。

   絵は八重垣稲荷神社      2016年2月20日  岩下賢治

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移植した紅梅

2016年02月19日 | 日記

      

 ボランティアで手伝いをしている公共の施設で、害虫に蝕ばまわれほとんど枯れかかっていた紅梅があった。大きなヒマラヤスギの下の、日当たりのよくない場所に植えられていたのだった。誰が植えたのか。おせっかいとは思いながらも、掘り起こし移植した。病気のところは大胆に切り取った。3年経った。今年は新芽も出て、嬉しいことに鮮やかな花を咲かせるまでになった。

 年をとると植物に愛着が湧くようになる。路傍の草花や樹木に関心を寄せるようになるのだが、なぜなのか、その理由は自身でもよくわからない。

 植物学者で探検家の故中尾佐助さんによると、奈良・平安期には中国の影響を受けたが、日本は、江戸期には世界でトップになる花卉(かき)文化が育ったとされる。西洋からやってきた外交官や宣教師たちが日本の農家の庭先で花や樹木が愛でられている情景に感嘆した様子がレポートされているのは、東洋文庫などで、朧げながら読んだ記憶がある。

 先祖帰り(古典に帰る)というのは、思想の型の一つだが、植物に関心を寄せるようになるのは、日本人としてまんざらではないのではあろう。

 参考までに梅は中国が原産、奈良期に伝わった花である。【彬】

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恋愛小説はいかが?

2016年02月08日 | 日記

 先月から、小説を少し読んでいる。市立図書館から、特にテーマを決めずに、選ぶ基準は古典の名作で、肩の凝らない中編程度をと、4冊借りてきた。

 ①   西鶴の好色もの ②近松の心中もの ③一葉の人情もの ④ツルゲーネフの「初恋」

 こうしてみると、男と女に絡む作品ばかり。そしてみな面白く読み甲斐のあるもの。作家は、他者の立ち入りをはばかられる男女の世界から、物語の種を拾い上げ素晴らしい果実をつくり出す芸術家だ。

 今回読んだ、ツルゲーネフの「初恋」。恋愛小説の古典とされる名作。いままでそれほど興味がなかったが、教養のためと思い読んだ。素晴らしい作品。その後の高揚感は、僕の関心を、高校生の頃からの愛読書としている、類似した作品、アンドレ・ジイドの「狭き門」に導いていった。

  この「狭き門」はフランスの小説家アンドレ・ジイドが1909年に発表した作品。親族の不義、信仰と恋との板挟みの葛藤、そして恋人の死、などが盛り込まれた半自伝的小説。この度、山内義雄氏の翻訳で読み直しましたが、読後、またもや胸がつまり、目に涙があふれました。この作品は、いつかフランス語で読もうと原書を随分前に購入し本棚においています。

 小説家、石川淳氏は、「ジイドの文章は、一字一字にノミの閃き(ひらめき)を宿し、人の心の壁に刻みつける浮彫である。」と評した。ということで、今ようやく、素晴らしい原文をフランス語で味わおうという気持ちになり、勉強しながら読んでいます。

 さて話は少し飛ぶが、日本の英語教育について。

 読むことはともかくとして、会話と書く力が不十分であり、そのための教育に力を入れるとのこと。そのとおりではあると思います。それでも英語を読む力は大切。その力をつけるには興味、関心のある文学作品を読むのがいいのではないでしょうか。男と女の物語は誰でも好きでしょう。官能的な恋愛小説はいかがでしょうか?

  絵は、「狭き門」で主人公と恋人が再開する場面。

                   2016年2月7日  岩下賢治

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ヒゼンマユミ & 防災という足枷

2016年02月06日 | 日記

          ヒゼンマユミ

 小石川植物園で変わった木をみつけた。入園門の左手の塀際で、こんもりとした葉のなかに小さなミカンのような赤黄色い実をつけている木だ。なんだろう。さっそく受付の人に聞いてみた。この園は東大の農学部が管理しているので、受付の人とはいえ、植物の専門家なのである。「ああ、あれはマユミです」と即答。えっ、マユミって落葉の潅木ではないですか、大きな木だし、葉も青々している。そこで木の麓にいき、名札と確認してみた。確かにマユミと書いてある。が、ヒゼンという頭がついている。ヒゼンマユミというのだ。肥前で発見されたそうで、マユミと同じニシキギ科という。分類学も細部にいくと外見だけでは分からない複雑さがある。

 &

 防災という足枷

 新聞を見て驚いた。毎日新聞2月1日朝刊、「高台に限界集落」という見出しの記事。政府の震災復興構想会議が掲げた「創造的復興」の中核的な事業。だが現実には、高齢化と人口減少に拍車のかかる三陸沿岸に、防集は新たな限界集落をうみだした、と書かれている。上空からの写真が添えられていて、海岸の高台を削り取った場所に4軒の家が建てられている。

 この建設には、多額な助成金が注ぎ込まれているはずだ。しかし、このような住居に住もうとする人は、特別な人に違いない。漁業に従事する人は、多少危険でも海辺に住まうはずだ。そういう人達の意向にそぐわない机上の計画だから、復旧は遅々として進まないばかりか、いっそうの限界集落化が進むのである。防災という大義によって、漁港の周囲には海岸線が見えないほどの高い堤防が拵えられ地上は小高く盛り上げられるようになった。

 復旧の基本は地元の人達の意向だ。が、自治体やら行政機関は、何かの大義がないと予算がつかないのか、専門家などといった人を呼んで、法的に縛る。私には、防災という足枷が重くのしかかっているようにしか思えないのだ。【彬】

 

 

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