ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

パンデミック、対策より認定の基準を

2020年02月28日 | 日記

 ユキヤナギが咲き始めました。

 自民党・安倍内閣は、武漢ウイルスの蔓延を阻止するために、大きな対策を打ち出した。
①音楽やスポーツなど、人が大勢集まるイベントの開催を抑制すること
②春休み前の学校を休校にすること
③マスクをかけることなどインフル対策と同じように日頃の衛生管理に気をつけること
 こうした対策を打ち出したのは、日本でのウイルス感染が、山場に達したことからの判断だと思われる。
 実施は各事業体や自治体に任されることのなるのだろうが、中国のような独裁国家ではないので、その実施にあたっては、私たち国民自身の判断が重要になってくる。
 私自身は前にも書いたように、あまり深刻にならずに、メディアなどの情報は横目に見るくらいがちょうど良いのではないかと思っている。
 とはいえ、国が一定の方針を立てたということは極めて重大である。行政府は、それに対してどういう覚悟があるのか、と思う。
 私は、そうしたパンデミックの可能性を判断したデータを知りたい。この判断を決定した情報はなんなのか、それを開示してほしい。感染者が増えると判断した理由はなんなのか。
 私自身の生活環境の中では、感染が広がる予兆のような事象は何もないのだ。行政府がこうした判断を恣意的に決定することこそ、それこそ憲法の原理、将来国家のあり方に反するものなのだ。これは重要な問題である。

 おそらく、この重要性は、メディアでは無視されるだろうな。【彬】

 
 

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ゲーテが魅せられたファンタジー

2020年02月23日 | 日記

 2019年7月4日付け、自分のブログ「18世紀ドイツの旅から帰る」の続きになります。

 ゲーテの、Die Leiden des jungen Werther、「若きウェルテルの悩み」を昨年暮れから読み直し、今終わりに近づいています。ドイツ語はムズカシク、表現方法はスバラシク、何度でも読みたくなる作品です。

 ところで、終わり近くに、ウェルテルがロッテに、「オシアンの歌」を詠んで聞かせる段がある。この「オシアンの歌」は18世紀のスコットランドの作家ジェイムス・マクファーソンが、古代スコットランドの英雄譜を長編叙事詩として1760年に紹介したもので、その内容が悲劇的で幻想的で美しく、ヨーロッパ中で大変評判になり各国語に翻訳され、ナポレオン、そして、ゲーテ、やシラーなドイツロマン派の作家に愛読された。ゲーテはこれをドイツ語に訳し発表した。ウェルテルが詠んで聞かせる詩は、7ページにわたり披露されている。僕は、何故、ウェルテル、つまり、ゲーテが、この「オシアンの歌」にこだわるのか解らなかったが、その後いろいろ調べると執筆当時のゲーテの心理状態は、まさのこの歌にある、夢想、憐憫の情、と同じであったようだ。

 ところで、人を魅了する、文芸作品、絵画、の多くは幻想的な表現方法、つまりファンタジーの要素をもっているようだ。ゲーテといえば、「ファウスト」だがこれもファンタジーの表現方法をとっている、と思う。

 現在では、文芸作品のみならず、ヒットする映画作品はずばりファンタジーが多い。ジブリのアニメ。スターウォーズ。アナと雪の女王、・・・・など。絵は、古代スコットランドの盲目の詩人オシアンが娘のマルヴィーナに物語を聞かせているところ。マルヴィーナはこれを後世に伝えていく。

   2020年2月22日  岩下賢治

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武漢ウイルス、雨が降れば収まるだろう

2020年02月20日 | 日記

我が家の椿・春曙光が満開

 ウイルスは目に見えないから、各種メディア上には、すき勝手に言辞をろうする輩が登場してくる。専門家といわれている人たちも例外ではない。感染学者の岩田健太郎氏はダイアモンド・プリンセスに乗船し、そのわずかな2時間余りの調査活動をもとに防疫体制を批判するメッセージをYouTube上に流し、ネット上で炎上している。やれやれだ。 

 問題なのは、ウイルスに対する向き合い方なのだが、新型だという以外、肝心のその正体は分かっていない。症状からは、インフルエンザの一種らしいといわれている。まだワクチンがないのだから、私たちは、インフルエンザとして通常の風邪対策と同じように、暖かくして寒さを防ぎ、体力を温存する以外にない。やれマスクだ、手洗い消毒だ、などと連日騒ぎ立てるメディアに対しては横目にするくらいで、平静を保つのベストだと思う。

 ところで、気づいたことがある。武漢は中国の内陸地帯で、しかもモンスーン気候という。12月から2月は、冬の乾季真っ只中。感染が進むわけだ。この季節が過ぎ、雨が降り、気温が上昇すれば、このウイルスも自然と収まるのではないか、と思う。目に見えないものの解決は、最終的には自然界での自然決着を待つよりない。

 北京もそうだが、中国の中核都市は、工業都市であり労働者人口が密に集まっている。そのせいか、空気の汚染が進み、冬場は格好のウイルスの発生する環境になっているように思う。雨が降って湿度があがれば、同時にウイルスの活動も鎮まると思うのである。

 もちろん日本での感染力も、3月後半になって、春の雨が降るようになれば、収まるものと思う。そしてワクチンが開発され、このウイルス騒動も一件落着となるはずである。【彬】

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無知を晒しますが・・・

2020年02月13日 | 日記

いま盛りのミニ・シクラメン

 誰でもがそうだろうが、武漢コロナウィルスの動静が気になって仕方ない。情報の統制が効いている国だから実情がどうなっているのか、私たちはただ想像する以外にない。と同時に日本についてでも同じで、知りたいことが伝わってこない。特に係留されたままの豪華客船。SNS界隈では、外野の気安さがあるのか、やいのやいや、というのは聞こえてくるのだが、実際の船のことについては肝心なことが分からない。
 このダイヤモンドプリンセスで分からないことは次の点だ。
 まず、この船は誰が所有してどこの国のものなのか、ということ。ネット上で調べると船籍はイギリスとなっている。船籍というのは、自由にどこにでも登録できる。税金の安いところに登録するのが普通で、例えばパナマ船籍などというのはその代表だろう。だが、この船の所有者は誰なのか。当然法人が所有していると思うが、調べてみると、馴染みがない団体がでてくる。そして船主である当事者=社長の名前は誰なのか、そして現今の事態に対して何を言い、何かをしたいのか、さっぱり伝わってこない。
 また、船というのは公海に出ると、特定の国の支配から離脱し、船長が一切を仕切ることになる。人命を預かるわけだから当然で一種の治外法権、大変な権力、権限を持つ。おそらく特定の港に入港しても、船長は絶大な力を持つものと思われるのだが、この豪華客船の船長は、名前さえ伝わってこない。なぜなのだろうか。
 入港後は当事国の管理に置かれるから、日本国が仕切ることになると思うのだが、日本の衛生関係の検査官、あるいはその他の検査官が船内に立ち入って調べる、といったことがなされていないようにも思える。
 このように分からないことが多い。
 あるいはこうした疑問はみんな分かっていて、知らないのは世界をめぐるクルーズのような豪華船に関して私が無知だからだろうか。
 そんな分からなさを棚上げして、日本は衛生船を持つべきだ、などとまことしやかに語る人たちもいる。私は置いてきぼりをされているのだろうか。

【彬】

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絵のモチーフ「難破船」

2020年02月10日 | 日記

 3月に自分の所属する絵画愛好会が展示会を開くので、僕は作品を3点用意した。その中の1点は、「氷に囲まれた難破船」とした。北極海で遭難した帆船が朽ち果て、氷に囲まれている絵だ。このようなモチーフはアマチュアの作品展ではあまりみない。

 何故、難破船の絵にしたのか。廃墟、廃屋、遺跡、などは、眺めていると、活き活きとしていた栄華の時代に思いをはせ、歴史のロマンを感じる、ということもある。なるほど、廃墟を巡る観光ツアーにはロマンを求める参加者が多くあつまるようだ。僕もそう思うが、なにより、捨てられたもの、朽ちたもの、それそのものに「美」があると思う。絵を描く目的の一つは「美」を追求することだろうが、毎回脚を運ぶ、日展にも、遺跡、廃墟、廃船、に「美」を見出しモチーフにした作品をよくみる。

 僕はずいぶん前から、難破船を絵にしたいと思っていた。嵐など海難に遭遇し、海底に沈んだ船。大航海時代の交易船、船内には金銀財宝が眠っている。タイタニック号、その姿を想像すると背筋がゾクゾクする。19世紀の、ヨーロッパ、ロシアなどでは難破船の絵画が多く制作されている。今回のぼくの作品はそれらの絵画を参考に、想像して難破し北極の氷に囲まれた帆船を描いたもの。

 ところで、難破船の絵などは、暗く、悲劇的で一般にはあまり歓迎されないかもしれない。客間はもちろん、居間にも飾らないだろう。好きな時に取り出し眺めるようなものだ。

 少し話を発展させると、ものごとは、上下、左右、があり成立する。富める者と貧しい者、強い者と弱い者、など常に相反するものが存在する。そしてそれぞれに、意味がある。真理というか「美」がある、と思うのだ。難破船には負のイメージがあるが絵には「美」を感じる。

 絵は「氷に囲まれた難破船」の概略スケッチ。出展作品ではありません。

     2020年2月9日  岩下賢治

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