ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

コスモス

2018年09月24日 | 日記

 9月23日は秋分の日。僕の中の詩人の部分が、秋の「風情」、「花」を求めるので外出することにした。秋分の花と言えば、彼岸花だ。姿美しく絵になるのだが、子供の頃、墓場に咲く花、とか、歯っかけ婆さん、だとか言って敬遠していた。だから、今でも彼岸花、曼殊沙華、を見に行く気にはならない。ところで、植物の持つ毒素を、モグラ、ネズミ、虫、などが嫌うので、墓の周りに植える習慣があったのだそうだ。

 そうなると、コスモスの花だな。何年か前まで茨城に住んでいたが、里山をドライブするこの時期はコスモスの花を愛でることが多かったな。

 ランニングの練習のためよく出かける小金井公園。練習コースのすぐ隣に、コスモス畑がある。普段はほとんど関心もなかったが、この機会に行ってみた。何本かのアカシアの木を囲むように畑は広がる。白、ピンク、紫色、の花は、五分咲き。来月半ばの満開であろう時期には、コスモス祭りが開催される。

 しばらく、コスモスの群生を楽しみ、公園を散策し、初秋を満喫する。そして、秋の花は、コスモスだな、などと勝手に決めつけたりする。だが、なぜ、この花を、西洋人は、コスモス(宇宙)と名付けたのだろうか。ギリシア語の、同じ宇宙(コスモス)からきている。つまり、秩序、規律、をその花に見出したようだ。僕には群生が星の散らばりといわれれば了解できる。

 この日は、まだ夏の空気が混ざっているようで、蒸し暑さが残る。大変暑かったこの夏も過ぎ秋に移ろうとしている。この季節の変わり目の風情がいいのだ。

 絵は、小金井公園のコスモス畑。 

     2018年9月23日  岩下賢治

 

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自然災害が技術文明を変革する

2018年09月16日 | 日記

                 都会にもカヤツリグサが花をはさせています。

 自然災害が猛威を振るう中、電力の不足や通電の困難さが社会問題になっているが、SF的だが、思うことがある。(SFというと荒唐無稽な空想と思いがちだが、実はしごく科学的な思考をバックボーンにもった物語である)
 
 電気は保存ができないという特質をもっていいるので、発電所は必要電力を随時余分に発電していつでも需要に対処していけるように設計されている。しかも電力は送電する場合、大幅に漏出する。相当余分に送電しているらしく、山間や郊外に行くと、太い送電線がうんうん呻っている光景に出会う。自然の風景は台無しである。
 これは電力消費地に大規模な蓄電装置がないためである。電気自動車や携帯電話は高性能な蓄電装置を内蔵して、自分で電力を確保しているのだが、その容量は少量で、その都度充電しなければならないようになっている。そうした小規模の蓄電装置ではなく、大容量の蓄電装置が考えられないか、研究は進んでいるらしい。
 一時、マイナス絶対温度下では電力は漏出しないので、この超電導の化学式を実用化することが研究された。私たちはこの夢のような研究は頓挫したと教えられているのだが、実は徐々に研究は進行しているらしい。
 これが実現されれば、大容量の電力を貯蔵することができ、今日の電力に依存した技術文明は一気に変換されるような大変革になる。なにより被災地に電力が不足するというようなことはなくなるはず。
 話は飛ぶが、リニアモーターカーというのは、ある面、超電導装置を取り入れた機械だ。蓄電した電力を磁力に変換して走行する仕組みである。そして電力の保管には、超電導装置に頼っているようなのである。門外漢でその仕組みはよくわからないが、これがさらに実用化されれば、新幹線や地下鉄はすべてリニアモーターカーによって、運行されるようになるかもしれない。車両は電力による車輪走行ではなく、磁力によって車体を浮上して滑る。
 電力についてはさらに夢が膨らむ。それは無線で送電が可能ではないのか、ということ。これも相当に研究が進んでいるようで、電気自動車用の、短い距離でだが、無線での送電が可能のようになっている。SF的には発電所を宇宙空間に設置し、そこから地上に送電することが可能になるのだ。
 こんなことを今思うのは、最近の自然災害のせいである。
 災害や戦争というのは、良いにつけ悪いにつけ技術革命のモメントであった。世界中で引き起こされている自然災害の脅威に、技術革命が背中合わせでやってくるかもしれない。【彬】

 

 

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故郷は遠くにありて想うもの?

2018年09月12日 | 日記

 先日、あるテレビ番組で、栃木県と茨城県を流れる那珂川の紹介があった。その中で、大田原市のアユ漁の一つ、ヤナ漁が取りあげられていた。川に竹制の簀の子(すのこ)のような台を設置し、アユを導き入れる。台に乗り上げた魚は拾うように採れる。僕は、これを見て、ああこれだ、と思った。

 仕事の関係で、3年半前まで、13年間、茨城県に住んでいた。だから、ここは第二の故郷と思っている。自然豊かなところで、田んぼ、畑、川、などの景色が故郷のイメージとして記憶に残っている。特に那珂川は、川の流れや、対岸の風景、そして、そこに暮らす人たちが気に入って、四季を通じて訪れていた。そして、自宅から、車で50分ほどのところに、茂木町大瀬のヤナがある。ここは、7~10月の季節にヤナは観光用として設置されているが、那珂川のこの季節の風物詩であり僕の好きな故郷の景色となっている。

 ということで、このところ秋めいてきたところ、故郷を思い出すような風景をテレビでみてしまった。

 第二の故郷、茨城を離れ3年半。まだ「帰郷」をはたしていない。9月にはいり稲刈りの時期になった。刈り取られた稲の、天日干し、オダ掛け風景も目に浮かんでくる。だが、とくに用事がなければ帰ることもあるまい。・・・「故郷は遠くにありて想うもの。」想うだけで楽しいものだ。

 記憶を頼りに、大瀬のヤナを絵にしてみた。川にかかる橋の左側奥の道路は今頃コスモス街道となっているはずだ。

        2018年9月11日  岩下賢治

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災害と避難場所

2018年09月08日 | 日記

 山ぶどう

 この夏は、中国地方の集中豪雨から始まって、2度3度の大型台風、そして極め付けに北海道の大地震と自然災害が日本列島を立て続けて襲った。多くの生命に加え、桁外れの被害額になっているものと思う。
 被害に合わなかったわたし達は、ただ座視しているより他にない。
 そしていつものように、マスコミなどから災害対策が講じられるのだろう。が、以前にも触れたことがあるのだが、わたしは次の一点だけ提案したい。
 地域共同体の拠点としての、災害避難場所を作ること、である。現在各地で指定されている避難場所は公園などの緑地が主である。しかしそれは避難場所とは言え難い空き地である。
 各地の自治体には文化センターとか、しゃれた施設がつくられ、展覧会やコンサートなどが行われているのだが、そうした文化施設を作る前に、共同体の維持を目的としている自治体なのだから、最重要課題となるのは、いざという時の生活の安全を守る避難場所を作ること以外ない。そこで思う。昔から日本では学校が地域を集約する役割を果たしてきており、だから運動会でも学芸会でも、地域の父兄がたくさん集まって、鎮守のお祭り以上の賑わいをみせた。消防団の演習をはじめ、各種の選挙もみな学校施設を利用する。校長は首長と並ぶ尊敬される人物だった。この学校という施設組織を避難場所として充実させたいのである。
 都市化が進み、さらに私立の学校に通う子供が多くなったこともあって、公立学校の果たす役割は影が薄くなってきたように思える。そのうえ、少子化・広域化で、学校の統廃合が行われているのだが、学校を教育の場だけと狭くとらえずに、地域共同体のまとまりの場、すなわち防災避難場所を中心として、住民が各種の行事に活用できる多機能の場所として再生して欲しいのである。廃校跡地だけではない。現在の学校にもぜひ防災施設を併設し、学校の持つ機能を多様化したい。
 都市部でも学校の敷地は十分広い。この敷地には、少なくとも自前の発電設備(緊急用)が必須だ。そして水(校庭の地下に貯水池を設置)を確保し、簡易水洗トイレを作る。毛布や食料などの備蓄も必要だろう。
 現在でも学校が避難場所として利用されるのは承知している。しかし、映像などで紹介されているのを見ると、体育館のようなだだっ広い空間に布団を敷いているだけのようだ。体育館ではなく、なぜ教室を使わないのか。教室なら子供用とは言え、椅子や机がある。給食用の設備もどんどん開放すべきだ。
 学校併設の防災避難施設は、緊急時だけでなく、地域の集まりや会合にも利用され、夜間も管理人が常駐する。さらに看護婦=医療担当者も常駐し、健康相談の役目を負う。
 今日のわれわれの生活は複雑なインフラが支えている。そんな生活に最低限対応できる防災避難施設として学校を再設計再整備すること、それが新しい共同体の基盤となるのではないだろうか。【彬】
 

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久しぶりに飛行機に乗った

2018年09月02日 | 日記

シイノミが熟し始めています。おいしいのはスダジイ。

 飛行機に乗る機会はほとんどないのだが、先日、たまたま羽田から博多まで利用する機会があった。
 羽田発ANA7時25分発博多行である。乗機については事前に予約しており、当日は切符に交換するだけだから30分前に窓口に行けば十分だろうと自宅を出た。ところが、羽田に着くとANAの窓口には行列ができており、なかなか前に進めない。受付係が搭乗者のデータをコンピュータに必死に打ち込んでいるものの、なにが問題なのか、いくつかある窓口のそれぞれが、手間取っているのである。出発時間が迫ってきているもので、係の女性が私と同じ便に乗る人をピックアップして、窓口に優先して案内してくれた。また別の入場口では、乗り残しがないよう、女性の案内係が大声を張り上げている。搭乗口は実にあわただしい。
 羽田のような乗降客の多い飛行場では、毎日こうした光景が繰り広げられているのだろう。しかし、国際間や安全のためとはいえ、飛行機というのはどうしてこうも搭乗手続きが面倒なのか。
 空港の当事者・専門家たちが考えたすえの、現在の様相となっているのだろう。しかし、都市交通の一つとなった航空運輸にもかかわらず、私みたいな人からすると、この煩わしさはなんとかならないものなのかと、思う。  
 素人ながら私は次のようなことを考えた。利用者には出発時間が示されているが、この出発時間というのが曲者だ。出発時間というのは離陸時間、あるいはエプロンから滑走路に向かう時間なのか、あるいは機体のドアが閉まる時間なのか? 利用者によってもいろいろ解釈が違うだろう。また電車のようにホームに車両が到着し、出入り口が幾つかあるのと違って、エプロンから一人一人搭乗する飛行機には相応の時間がかかる。ところが利用者が目的の飛行機に乗るために、どのくらい時間がかかるのか、自分で予測しにくいシステムになっているように思う。
 私が思うには現在の出発時間という漠然とした言い方より、搭乗手続き(切符を確保)の締切時間を明示してもらったほうがいい。出発時間というのは、空港の状況とか気象状況とかによって、逐次、変化する流動的なものである。
 さらにいうと、機体の大きさも搭乗時間を左右していよう。私が乗ったのはボーイング70系統のジャンボ機で、座席は1列10名、そして40数列か、ほぼ満席だったから、乗員を含めるとおよそ450名が乗る。こんな多数の人が乗るのだからスムースにいっても全員が搭乗には相当な時間がかかる。この時間も考慮にいれたとき、出発時間を一様に表示することがはたして妥当かどうか。
 帰路は博多から成田だった。成田についても、いろいろ言いたいことがある。
 しかし、わたしの言い分の原因の多くは、飛行場を成田という内陸部に設立したこと、その設立に際しての反対の運動が激烈だったことの影響が出ているのだと思う。その経緯を知っている年代の私からすると複雑な思いがする。
 とはいえ、飛行場というのは、科学的にも、思想的にも、もっともっと考察の対象にすべき現代の交通課題だと思ったものである。【彬】

 

 

 

 

 

 

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