ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

静岡県がへんだ

2022年09月27日 | 日記

              タマスダレ

 静岡県の様子がちょっと変だ。以前、熱海の土砂れで大きな災害に見舞われたが、今回の台風15号でも、静岡市で山崩れがあって送電塔が倒れ、水害あり、電気水道が止まるなど大惨事が起こっている。それにも拘らず自衛隊への緊急災害援助を即座に要請していない。要請は災害2日後の26日になってからという。川勝平太知事は、知事を4期勤めていて、県内の事情をよく知っているはずだが、どういう行政措置をとっているのだろうか。

 そんな中、私がよく閲覧するツイッターで気になる記事があったので、紹介する。投稿者は、東大教授の玉井克哉さん。論点はリニア新幹線の開通の遅れ。静岡県が大井川水源の工事に関連して工事をストップさせているのだ。

『中央リニアが開通して最も得をするのは、静岡県民。「駅がないから関係ない」というのは近視眼。東海道新幹線の駅が最も多い静岡県なのに、運行列車のほとんどを占める「のぞみ」の停車駅がない。リニアが「のぞみ」を代替すれば、「ひかり」「こだま」が増えるのよ。』

『あれが「リニア開業後は『ひかり』『こだま』を毎時4本以上にダイヤを変えよ」「すべての『ひかり』を静岡と浜松に停めよ」といった条件闘争ならば、感心はしないけど、理解はできる。でも、本気で遅らせにかかって、どうやら成功してしまった。静岡県民ほとんどの利益を損なって。 びっくりだ。』

『僕は名古屋や大阪に頻繁に行くこともないし、今の東海道新幹線で満足しているのだけれど、静岡県民の期待はさぞや大きかろう。たまに「のぞみ」に乗るたび、そう思っていた。  県知事が中央リニアの開通を遅らせて止まないのは、本当に意外だ。』

 まったくそのとおりと思う。静岡県は横に長い県で、東の伊豆と西の浜松では、県民意識がまったくちがうのだろう。それを統括する行政が機能していないのかもしれない。【彬】

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稲刈りの季節

2022年09月26日 | 日記

 9月25日(日)、ウオーキング練習を兼ね、三鷹市大沢の田んぼに出かけた。

 例年なら、今頃、稲刈りが済み、オダ掛け風景(稲の天日干し)が見られるのだが、このところ、台風、大雨に見舞われ、刈り取りはどうなっているのか、いろいろ想像しながら歩いた。

 さて、今日この日が、刈り入れの日であった。三鷹市の関係機関が主催する稲刈り体験教室であるが、参加するのは、子供(小学生)と親。教育の一環なのであろう。

 僕は、オダ掛け風景に何とも言えない、癒しを感じる。

 7年前までの14年間、仕事の関係で茨城に住んでいた。瑞穂の国の人間の本能なのか、当地水田での、田植え、稲の花、水田に生きる様々な生き物、そして、稲刈り、オダ掛け風景等、に心惹かれるものがあり、そのおりおり車を飛ばして眺めに行ったものだ。

 今日稲刈りに参加した子供たちは幸せな体験をしたと思う。彼らも瑞穂の国の人間なのだから。

     2022年9月25日   岩下賢治

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仲秋の名月

2022年09月15日 | 日記

 9月10日は仲秋の名月。僕の住まいの周辺で、月見の会があった。小金井公園でも、武蔵野公園でも。

 昼間曇りがちであったが、自宅から運よく、月見をすることが出来た。この、満月と言うのは、不思議な気持ちにしてくれるものでもある。美しいがゆえに不可解というか。

 だれでも様々な経験があるだろうが、僕の場合は、二つほど・・・・。

  • 随分前のこと、ある夜、友人数人と、どこかぶらぶらと歩いていた。おそらく何か夜遊びの帰りであろう。夜なのであるが、昼間の様に明るい。人家がなく、街灯もないところなのだが・・・・そのとき満月の夜であることにきがついた。異様に明るい夜、それは暑い程に。その夜は何かがかぶさってくるようで眠ることが出来なかった。
  • 10数年前こと。当時、茨城に住んでいた。山奥にある温泉につかり、車で自宅に向かうところ。東側の山の上に、満月が昇っていく。今まで見たこともない大きな月。

オレンジ色でフロントガラスに迫ってくるような。・・・・

 満月が昼間の様に明るいのは、街中ではないだろう。最近は明かりの無い、自然のなかを歩くことがなくとんと経験がない。

 水平線上を昇る満月が大きく見えるのは、錯覚で脳の問題らしい。

 冒頭の武蔵野公園の月見の会の会場は、「くじら山」という、海に浮かぶクジラの背のような丘あたりでやったらしい。僕が見たならば、錯覚ではなく、「想像力」で、タヌキやウサギの楽しい大宴会に見えてしまうだろう。

   2022年9月14日  岩下賢治

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太宰治「右大臣実朝」を読む

2022年09月09日 | 日記

        ホウチャクソウ=宝鐸、お寺の軒に吊るしてある飾りだそうです。

 久しぶりに小説を読んだ。標題の太宰の作品である。読みならがら思うことが次から次へと出てきた。順序を構わずに、いくつか列記したい。
 まず、鶴岡八幡宮の表記について。作品では鶴岳宮となっている。現行の鶴岡ではない。「岡」と「岳」ではどう違うのだろうか。「岡」はこんもりした小高いところといった意味だが、「岳」というと、もっと大きい山岳という意味になる。八幡宮は鎌倉の裏山を背負って建てられいて、当時は「岳」のような感じだったのではないか。鎌倉の山は、今は天園といってハイキングコースになっているが、三浦半島を貫く山陵で、頂上付近からは相模湾を見渡せる。交通不便の時代、岳と呼んでも良さそうな地形である。作品の典拠となっている歴史書「吾妻鏡」でも、鶴岳となっていて、太宰はこれを尊重したものと思われる。岳を岡に変えたのはいつ、なぜなのか、気になるところである。作品の背景には岳と呼ぶ大きな山野があるように思える。
 作品についてだが、出版されたのは昭和18年、戦争真っ最中である。そんな武の時代によくぞ書かれたものかと、思わずにはいられない。(当時、実朝が流行っていたらしい)
 またその表現形式のユニークさ。実朝に仕えた若き女官が、後日、出来事の一部始終を物語るという源氏物語由来の日本固有の方法をとっていること。さらに歴史書である吾妻鏡を逐一引いて歴史小説の形をとっていること。終章も歴史書を引用して終えている。この作品は、太宰自身、相当に自信があった作だと思えたのか、「鉄面皮」と題する一文を書き、作品の一部を自ら引きながら解説している。
 仮名遣いなど、現在の若者には読みづらいだろうが日本文学の一つの頂上のような作品である。
 参考までに「鉄面皮」の最後の一文を添付しておく。本文の「実朝」とまったく同じ文章である。
 
 その時将軍家は、私の気のせいか少し御不快の様に見受けられました。しばらくは何もおっしゃらず、例の如く少しお背中を丸くなさって伏目のまま、身動きもせず坐って居られましたが、やがてお顔を、もの憂そうにお挙げになり、
 学問ハオ好キデスカ
と、ちょっと案外のお尋ねをなさいました。
「はい。」と尼御台さまは、かわってお答えになりました。「このごろは神妙のようでございます。」
 無理カモシレマセヌガ
 とまた、うつむいて、低く呟くようにおっしゃって、
ソレダケガ生キル道デス

 (注・将軍家は実朝、尼御台は北条正子。尼御台に付き添われているのは、後年実朝を暗殺した幼い公暁)

 実朝は数奇な人生を送ったことと同時に、稀みる歌人で、金槐和歌集を残しているが、日本の文学界の巨匠である小林秀雄、吉本隆明両氏とも実朝を論じている。太宰のこの作品は、それらの評論を凌ぐ名作だと言っていい。
 今、NHKドラマで鎌倉が話題だが、実朝のこともぜひ掘り下げてほしいものだ。同時に源氏鎌倉三代も不思議な命運で、平安朝から続く王朝文化の末尾を彩る激しい流転と「アカルサハホロビノスガタ」でもあった。ついでに言えば、内藤湖南は日本の歴史を考える上で、室町以前は無視して良い、と言っている。鎌倉時代というのは現在に続く日本とは深く断絶する時代であったのである。【彬】

 

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エアコン、床冷房は不可能なのか

2022年09月05日 | 日記

                   アサガオ

 ようやく涼しい風が吹き始めたが、依然として暑い。クーラーなしにはとても過ごせない日々が続いている。
 そのクーラー(エアコン)だが、現行のものに異議がある。
 吹き出し口はどのメーカー、どの機種とも、天井か窓の上部に設置していて、高いところから、冷たい空気を吐き出し、冷気が部屋を循環する方法をとっている。そして吹き出し口は回転式になって、強さや方向を調整できるようにしている。冷たい空気は重いので、高いところから噴き出せば、自然と下の方に落ちてくるという考え方である。一理はあるのだが、実際に使用してみると、循環するよりも前に、冷たい空気が床部分に滞留して、足元だけが嫌に冷たくなる。靴下とか長ズボンを履いていないと、寒くてしようがない。家庭のクーラーだけでなく、大型のエアコンを設置している飲食店では、特にそうである。居酒屋などで、直噴する座席などに当たってしまうと最悪である。
 そこで思うのだが、冷たい空気を上部から噴き出すのではなく、最初から床部分に置くことはできないだろうか。空気の対流は、温度の違いがあれば起こる。冷気が上にあろうが、下にあろうが、関係はないはずだ。床部分に冷気があれば、温度差で室内の暖かい空気が上昇し、全体が穏やかな冷気に包まれるのではないか、と思う。コップのお湯を冷ますのに、氷を入れるのではなく、冷たい水を入れたバットに浸すのと同じ考えである。
 理屈に合っていると思うがどうだろうか? 
 エアコンのはきだし口が部屋の上部にあるのは、エアコン自体の問題ではなく、家の構造によるものではないか、などと思う。家具やいろいろな道具のせいで床面を確保できないのだろう。しかし、今日の暑さはそんなことを言っていられない。快適な室温が欲しい。床暖房のことを思えば、床冷房は不可能とは思えない。【彬】

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