ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

帝釈天を参詣

2023年04月30日 | 日記

              菖蒲

 一日、お誘いを受け、あの寅さんで有名な柴又の帝釈天を参詣してきました。
 寺社というのは普通、高台や山林に囲まれた幽閉な地に建立されるのが普通だが、帝釈天は浅草寺と同じで、普通に街中に、しかも江戸川の流域に建てられている。宗派は日蓮宗。日蓮だからお経は何妙法蓮華経のはずだが、お坊さんは何か別なお唱えをしていた。日蓮の中の法華経とか、別の流れかもしれない。でも私は宗教に関係ないので気にはならない。
 びっくりしたのは彫刻。有料の彫刻ギャラリーを巡ってみると、伽藍の東・北・西の全面に法華経説話由来の見事な像が彫られている。建物の裏側だから普通ならば目に付きにくい場所である。そんなところによくもまあ、、、といった具合である。でもこの彫刻、あまり話題にならない。また文化財として云々されることもない。なぜなのだろう。
 芸術的に見ると、出来があまり良くないのかもしれない。でも素人目には、大きな欄間のようで、硬い欅の一枚板に人物や動物、植物が彫り込まれていて見事である。一部埃をかぶっているのが、ご愛嬌でもあるが。
 また、後から建てられたという二天門が通常の仁王門の役割を担っていて立派である。ところが参詣者の多くがこの門を素通りしていく。手かざしすると門内に奥の方に仁王様が鎮座しているというのに。
 参詣者は多いのだが、このお寺さん、なんだか寅さんに乗っ取られたようにも思ったものである。【彬】

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あをによし奈良の都。

2023年04月27日 | 日記

 先日、大学時代の友人3人で、奈良旅行をした。共通の友人のお墓参りしたあとに、小さな観光旅行を楽しんだ。3人とも奈良は初めてで、寺巡りが中心。飛鳥寺、法隆寺、東大寺、興福寺、薬師寺・・・。

 旅というのは、有名観光地であれどこでも、その土地ならではの、風情を感じることが出来ればよい。奈良地方の穏やかな自然と、独特の瓦屋根の家。そしてそこに暮らす人々。

 また、今まで、よく知らなかったことを実際に見て、「なるほど」とおもうことがある。

 奈良公園は「鹿」で有名であるが、観光客の間に入り、鹿せんべいをねだる、可愛い動物だ。かれらがいなかったら奈良の楽しさは半減するんじゃないかとおもうほどの観光大使たちだ。彼らは飼育されているのではなく、野生動物なのだ。

 薬師寺では、ちょうど法話が行われていた。たくさんの信者が集まり、静かに僧侶の話を聞いている。ご婦人達は和服がほとんど。小雨なので簡易カッパをはおっている。集団が移動する時すごいエネルギーがこちらに伝わってくる。人の内からのエネルギー。宗教の力とまでも言わないが普通でないものが出ているように感じる。

 今回、飛鳥、奈良の時代に少し入り込める異次元を体験するいい旅であった。

     2023年4月26日   岩下賢治

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コンビニに公共トイレを

2023年04月24日 | 日記

              オオムラサキツツジ

 歳をとってくるとトイレが近くなる。出かける時は事前に欠かさずトイレを済ませていくのだが、それでも尿意が襲ってくることがある。やむをえずコンビニに駆け込んで、ただ用を足すのでは申し訳ないので、チョコレートなどを買う羽目になる。
 公共の場所や路傍から、トイレが撤去されたのは、確かオームのサリン事件からだと記憶している。駅の構内からもゴミ箱が撤去された。おかげで周囲は綺麗になったのは事実だが、年寄りには辛いこととなった。列車(急行など)のトイレも無くなった。
 ホントとに思うのだが、街中で清潔なトイレを気軽に使用できるようにならないものだろうか。
 一つの考えだが、至る所で営業しているコンビニエンス・ストア内に公共のトイレを設置し、その役割を担ってもらうことはできないだろうか。もちろん自治体が管理費(清掃費を含む)として資金を提供する。現在、公園などに点在する小さなトイレ小屋では、女性など夜間などは不安だろう。コンビニなら明るいし、店員はいるので安心だ。
 コンビニは今もトイレを解放してくれているが、もっと積極的に公共施設という看板を出し、活用できないかと思うのです。せっかく終夜営業しているコンビニエンスストアなのだから、単に便利だけでなく、もっとパブリックな役目を果たせないものなのか。現に銀行機能、役所への書類申請・受け取りなども行っている。荷物の受け渡しもコンビニ経由があってもいい。
 街の再編はコンビニからだと思う。統一地方選で新しく当選された議員の方、取り組んでみませんか。【彬】

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過剰な政治

2023年04月21日 | 日記

                 クレマチス

 この一年、立て続けに政治テロが実行された。実行犯は当然ながら現行政治に不満を持っているわけだ。

 で、若い人が政治に不満を持つというのはどういうことなのだろうか。本来、若者というのは、もっとも政治とは遠い存在であるはずではないのか。そんな人たちが、今、地方選挙の真っ只中で、政治家として立候補している。地方行政に不満があるということなのであろうか。しかし、私には政治家になりたいという気持ちがまったく理解できない。芸能人になりたいとか、就職先を求めるとかと同じ気持ちなのだろう。

 私たちは学校教育の中で、政治を身近かなものにすることが民主主義の一歩だと教えられてきた。でも、民主主義の本義は、政治や特定の権力から自由であるということであり、身近に感じるというものではない。

 だから自由な生活に足枷をかけるような政策に出会ったら、意義を申し立てる。現在の若者達がどんな不平不満を持ち、どんな足枷をかけられているというのか。地方選立候補者のパンフレットなどを読むと、自分の不平不満というよりは、年寄りや若い家族、あるいは性の差別に苦しんでいる人に福祉を届けるということが全面に出ている。なんとも他人事である。本人の切実感がまるでない。

 テロ実行の若者はどんな政治的欲求を持っていたものやら。

 本来、私たちは政治からはもっとも縁遠いところで、政治には依存せずに生活を送ることが理想である。しかし、人が集まれば公共空間が生じるので、そこでの利害の調整として政治が発生する。たとえば道路、電気や水道、学校や病院などといったものである。そうしたインフラ以外、政治が関与しないことがベストである。行政はなるべく小さく、それに依存しないほうがいい、と言うのが古代からの哲理である。これは保守的な思想でもなんでもない。

 ところが、いま福祉国家というのが理想だという誤解が広まっている。なにからなにまで政治がめんどうをみるという福祉国家論は社会主義国家の影の部分であることを忘れてはならない。【彬】

 

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温暖化は植物への恵

2023年04月16日 | 日記

              オオムラサキツツジ

 日差しが強くなってきた。関東で早くも夏日を記録したところもある。地球温暖化のせいといえばいいのだろうか。
 温暖化というと、何か悪しき方向に進んでいるかのような言説が横行しているのだが、その恩恵を存分に受けているものがある。植物である。
 今東京はオオムラサキツツジが満開である。こんなに一気に満開になることはなかった。他にもシャガ、パンジー、ハナミズキ、モッコウバラなど、至る所で花盛り。また、街路の植え込みに放置されている枇杷も多くの実をつけている。
 私の個人的なことを言えば、地域のひろば(廃校の跡地)で植物の面倒を見ているのだが、念願だった藤についに花がついた。手入れをするようになって、かれこれ7年は経つのだが、素人の悲しさ、なかなか咲いてくれず、時折1〜2房が垂れる程度だったのが、今年はなんと数十房が垂れ下がっている。紫色に色づくには、あと十日ほどかかるだろうが、見事な光景が待ち遠しい。これも温暖化のおかげだ、と思っている。
 また、自宅の柿もたくさんの花芽をつけている。筍も出来がいい。故郷から頂いたものは、形といい、大きさといい、見事なもので、味も絶品である。
 これも気候に関係している。温暖化、歓迎である。
 また、縄文期は気候が温暖でなければ、成立しない。北海道にも縄文期の遺跡がある。温かったのである。【彬】

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