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ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

引越し

2025年08月12日 | 日記



当ブログ ぼくらの日記絵・絵心伝心は、

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引き続き、ご愛読、お願いします。
【彬】

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SNS時代の選挙

2025年07月15日 | 日記


           ゆり
 参議院議員選挙が近づいてきた。争点は物価高騰対策と減税、だとされている。生活感が滲み出たテーマだと、言えなくもない。
 しかし、日本が今、抱えている問題とは遠いのではないか、と私は思う。たとえばデフレ対策として発行されてきた膨大な赤字国債。つい最近までデフレ、デフレだと騒ぎ回っていたことはどこにいったのだろう。この国債の償還のために多額な予算を必要としている。
 一方、国民年金の赤字が問題となっている。国民年金は基礎年金として国民全員が入る仕組みになっているが、高齢者が多くなって支払いが滞るかもしれない事態に陥っている。そこで社会保険の一部を国民年金に流用しる案が浮上している。国民年金と社会保険のどこが違うのか。その違いを解決するどんな方法があるものやら。
 これら、いずれも税収に絡む問題である。とすると、今選挙の争点に減税というのはあり得ない。大変なポピュリズムである。
 ところがこうした主張は候補者たちからは伝わってこない。難しい問題は選挙の争点としてそぐわないのだろう。反面、ネット上では芸人まがいの演説や主張が上がっている。やれ、党首の額が小さい、誰々と不倫した、公認を取り消した、壇上の周りで踊り狂っている、看板を掲げて通行を妨害した、などなど。
 こういうような言辞は大手メディア上にはほとんど上がってこない。そのせいか参政党の勢いが止まらない、などの世論調査が出回っている。こうした動向をある識者はエコーチェンバーと呼んでいる。チェンバーすなわち閉ざされた室内でのエコー、木霊が響いているだけ、なのだと。開かれているようで、実は閉じているのがSNS上での選挙戦、これが今回の特徴である。一時、歴史学者の呉座勇一さんらを標的としたオープンレターというSNS騒動があったが、今回の選挙もほぼ同じような構造を持っているように思える。【彬】
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蝉が鳴かない

2025年07月08日 | 日記

       タケニグザ
 夏の暑さには蝉の鳴き声が付き物だ。田舎育ちの私には、染み付いているこの情景が、近頃では、暑さと蝉の鳴き声が一体化していないことが気がかりである。都会だからというわけではない。並木道の小さな小枝にも、アブラゼミやミンミンゼミがへばりついているのが、夏場の光景だ。ところが、みどり豊かな都会の一隅でさえ、今年は一向に蝉の鳴き声が聞こえてこない。
 通常、一番蝉のニイニイゼミが6月末の梅雨明け頃に鳴き始め、アブラゼミがジージーとがなり立てると夏休みになる、というのが普通の感覚である。
 ところが近年は、連日30度を超える暑さにも関わらず、蝉がが鳴かない。昆虫の本来の生態からすると、暑さと変態は、関係がないのかもしれない。
 ネット上に「校長通信」というのがあって、蝉の鳴き出しをつぎのように言っている。
 「例年、蝉の鳴き始めは7月の中旬頃といわれています。これは、暦で言うところの時期ではなく、むしろ気温が関係しているようです。30度を超えるような暑い日がやってくると、鳴き出すということのようです。幼虫として3年〜17年も地中で過ごし、夏になると地中から出てくるというメカニズムはどうなっているのか不思議です。」
 でも、現今の状況は、蝉の鳴き出しと暑さには関係がない、という証明をしているようにも思う。蝉にとっては、暑さがくるのが、早すぎるのだろうか。
 また、ヒグラシの鳴き出しも気になる。
 ヒグラシは夕方、涼しくなってから鳴くものと思っていたが、数年前から赤坂の御所の森の中では日中から鳴いている。
 蝉は地中生活が長い。蝉の変調は、地中の変調を暗示しているのではないか、などと思う暑さ続きである。【彬】

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参議院選に思う

2025年07月04日 | 日記

         キキョウ
 2025年7月3日、参議議員選挙が公示された。
 自民党を筆頭に、諸党派が乱立している。立憲民主党、国民民主党、維新の会、公明党、共産党、れいわ新撰組、社会民主党、参政党、保守党、その他、10党派を超える。党には党是があるから、それだけ異なった政策があるというわけだ。ところが、本当かどうかは解らないが、メディアが伝えるところだと、いずれの党も物価高が政策の焦点で、その対策として、消費税をさげろ、交付金を出せ、年金を改正しろ、、、等が主張されているという。
 もし、そうであるなら、10以上の党が乱立する必要はない。せいぜい、2~3の党で決着できる。しかも、そうした議論は衆議院のテーマだ。ところが多政党が乱立しているのは、なぜなのか。
 党派が乱立するのは、相応の根拠があるはずだ。
 政治学者に聞きたいところだが、私が思うに、政治的な課題が明瞭でないから細かなことで、候補者が乱立する。たとえば立憲民主党と国民民主党では、どこがどう違うのか。参政党と保守党ではどこが違うのか。社民党と共産党ではどこが違うのか。自民党と維新の会はどこが違うのか。そしてなにより、議員自身が政党を渡り歩いでいる。政治的な課題が曖昧となっているから、議員たちは自身が当選できる党派を渡り歩いていうのだ。それにSNSという政治状況が重なっている。
 物価高が今日の本当の課題になっているのか。コメが急激に値上がりしたことを騒ぎ立てているにすぎまい。それぞれの政党が課題としている物価対策というのは、何を指しているのだろうか。インフレ状況になっているというのか。初期インフレは好況を現す指標のひつつなのだが、、、、。
 あれやこれや思うのだが、参議院というは、いったい何か、ということである。 
 教科書風に言うと、「参議院は良識の府」となっている。
 衆議院の荒んだ議論を、良識の目で見直すというのが役割である。だからそこには党派の関与する余地はない。昔、NHKの「のど自慢」の司会だった宮田輝という人が参議院に立候補して話題になったが、その時の議論が良識というのが何なのか、ということであった。世界中で二院制が機能しているのはどんな国なのか。アメリカやイギリスは二院制をとっている。しかし、上院が果たす何かにつて明確な役割は伝わってこない。名誉議員のような人もいる。
 私は参議院はもっと議員数を縮小し、すべて全国区の比例にしたほうがいいと思う。そして予算執行状況を審査する場にしたい。議論は衆議院で尽くされているのだ。
 そんな観点からすると、現在の参議院選挙は見るにたえない。
 が、目を瞑って投票はしますが、私は。【彬】

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教育委員会の役割は?

2025年06月25日 | 日記

       シャクナゲ
 教育の無償化が政治の上で、問題になっている。高校生はおろか、大学生まで無償化せよ、という政党まで出現している。教育=国民の義務ならば、さもあらむと思うが、高等教育まで無償化=国家で面倒をみるというのは、教育の本義にはずれるのではないだろうか。年齢が一定をすぎれば、教わるというより自ら学ぶというのが、学問の本義だと思う。奨学金を工面するとか、費用は自分で都合をつける。
 教育の問題は、他にもいろいろ発生している。前回触れた、部活の外部委託もそう。また私立の乱立、それによる生徒の奪い合い。私の住んでいる地域では、少子化で統廃校になった箇所があるのに、今は児童数が増えすぎて公立小学校がパンク状態というところもある。マンション急増のため、1学年4クラス、という。人口動態を無視した学区制の影響で、子どもたちは通うべき学校を見つけるのに、四苦八苦だ。 
 そこで問題になるのは、教育全般を司る教育委員会の役割。教育委員会は教師の信任だけを行う機関ではないはずである。先生を選ぶことも大切だろうが、今日の教育環境がどういうことになっているのか、委員会の見解がまったく伝わってこない。
 PTAのあり方も問題だ。母親たちが仕事を持つことが多い今日、役員になる人がいない。そして全国組織から脱退するPTAもある。
 戦後制定された教育委員会の問題点を整理し、この機関の役割を再構築すること、地方行政のあり方として真剣に検討してもらいたものだ。東京都の都会議員の選挙の際に、特に思うことであった。【彬】
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