ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

秘密保護法論議について言う

2013年11月30日 | 日記

 

 公園の銀杏が黄金に輝き、広場が落ち葉で埋まっています。

 

 本年11月27日、国家安全保障会議(日本版NSCと称される)が成立しました。
 これは旧来の安全保障会議を改組するもので、安全保障関係の情報を首相の元に一括管理するというものである。つまり機密情報の管理=権力の一極化である。いままでは機密情報は外務省とか防衛省とか、各官庁別に管理されていたのだが、この部所を創設し、外務省、防衛省などから主要な役人が招集され、早速、部局が作られることになった。
 ところで、この法案の成立までには、紆余曲折があった。
 ウィキペディアによると、
「2006年、第1次安倍内閣の行政改革として国家安全保障会議(日本版NSCと称される)の創設を提唱されていた。これはアメリカ合衆国との政策協議において、米国NSCとの継続的協議を行える組織を設けるように要請されたことがきっかけであると報道された[要出典]。このたたき台として、国家安全保障に関する官邸機能強化会議が時の首相・安倍晋三を議長として発足した。議員には、小池百合子首相補佐官(安全保障担当)、塩崎恭久官房長官のほか、岡崎久彦元駐タイ大使、小川和久、森本敏拓殖大教授、柳井俊二前駐米大使、北岡伸一東大教授、佐々淳行元内閣安全保障室長、佐藤謙元防衛事務次官、塩川正十郎元官房長官、先崎一前統合幕僚長が任命された。会議は2007年2月をめどとして2週間に1回の会議を設けて議論を行っていく予定であったが、同年12月、福田康夫により撤回が決定された。」
 であって、この組織変革は、日本の戦後体制(あいまいな表現このうえないが)に上書きする法体系である。つまりアメリカとの軍事的な機密を共有するための、組織替えなのである。
 この法案に賛成したのは、自民党、公明党、民主党、みんなの党、日本維新の会である。
 ところで、今日ジャーナリズムで連日議論になっている秘密保護法は、このNSCの下部となる法案である。だから国家安全保障会議が設立されれば秘密保護法は必然となる。日米間ばかりか、NSCにとっては軍事的な秘密の指定はあたりまえのことになるのである。だから論理的にいって、民主党などが秘密保護法の反対なとといっているのは、まったく矛盾しているのである。この党は軍事以外の分野への波及を懸念しているようだが、もしそうなら枝葉にすぎる。
 私は今回の秘密保護法に反対である。が、表現の自由の侵害だとか、国民の知る権利の侵害だとか、というような理由ではない。そんなものはジャーナリズムを上目遣いで見ている評論家とか名前ばかりの記者あがりのタレントだけだ。
 私が反対なのは、国家安全保障会議の設立についてである。
 国家は、特に軍事的なことについては特に公開すべきである。なぜなら、軍事は海外に対する圧力のように見えるが、本質的には国民に対する強制力としてしか機能しないからである。こんなことはちゃんと歴史は勉強した人には常識である。民主党が弱者の国民を代表していると自負しているのなら、秘密保護法ではなく、国家安全保障会議の法案でなぜ反対しなかったのか。
 私は老体だが必要なら身を挺する気持ちはあるが、今の反対の論拠にはまったく唾棄する以外にない。【彬】

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風速90mの大災害に思う

2013年11月18日 | 日記

 透明な硝子の器が、光を受けて影をつくっている様が、印象深かったので絵にしてみました。素人ぶり、笑ってください。

 フィリピン・レイテ島を横断した台風30号は、風速がなんと90mという想像すらできない暴威をふるったようだ。被害は甚大で4,000名近くが亡くなったとされている。当然アメリカを始め、周辺各国は支援を送っている。日本も例外ではなく、自衛隊1,000名が送られたと報じられた。

 で、思うのだが、災害の支援に行くのに軍隊(自衛隊)でなければならないのだろうか。日頃、軍事訓練を積み、装備もしっかりしていて能力的にはこれに勝るものはないから、効率面で言えば疑問の余地はない。が、フィリピンの人から見れば、どうなのだろう。支援とはいえ、外国の軍隊が圧倒的な力で駐留するのである。侵略されると思うに違いない。

 私は、東北大災害の時に、バスをチャーターしてほんの些細な支援に向かった経験があるが、高速のパーキングエリアで自衛隊の通信車両と遭遇したことがあった。そして、その姿になんとも偉容で異様な感覚を抱いた。通信隊の車両でさえそうなのだから、本体の装甲車など人を寄せ付けない雰囲気をもっているのだと思う。国内でさえそう感じたのだから、異国の人にとっては、なおさらのはずである。

 災害支援は、災害支援組織を新設し、そこが活動するように願いたい。国内でも同じである。自衛隊の中に組み込んでもいいと思う。とにかく軍隊が前面に出て力を誇示するのは、願い下げたい。  【彬】

 

 

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常陸の秋ソバ

2013年11月11日 | 日記

 茨城でのソバの話。

 最近ソバを食べることが多くなった。以前は、ソバは食事の内に入らないと、相手にしなかったが、今は、よく食べる。ソバが旨いと思えるようになったのは茨城にきてからである。

 会社の近くにソバ工房がある。そこのソバは美味しい。私の乏しい経験の中では一番美味しいソバである。ご主人とは縁があり会社の祭を開催する度に、ソバの屋台をだしてもらっている。

 私はランニングのインターバル練習を月に一度はやるが、コースは久慈川沿いの舗装された散策路。練習後の食事は、必ず川沿いの公営ソバ屋である。ここも旨い。

 ソバは、茨城の名産である。隣町、常陸太田市の金砂郷(かなさごう)のソバ。地元の人は日本一旨いソバだと言っているが、それには理由がある。毎年、秋の「金砂郷ソバ祭」には、全国から旨いソバが集まる。茨城のソバが一番よく売れるのだ。

 ソバの国内生産量は、北海道が一位、二位が茨城である。北海道のソバは夏に収穫する。茨城は「常陸の秋ソバ」と言って、秋に収穫する。

 茨城・常陸大宮市の9~10月初めの風物詩にソバのお花畑がある。白い小さな花が広がる風景には眼を奪われる。先日、会社近くのソバ畑を見ながら車を走らせた。経験はないが、北海道の大地をドライブすればこのような爽快感であろう。これも茨城の楽しみである。

 絵は会社近くの、9月29日の、満開のソバの花畑。11月に入った今は、実をつけ収穫をまつ。      11月6日 岩下賢治

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キンカン

2013年11月05日 | 日記

 鉢植えにしたキンカンの幼木に実がついた。まだ青い。その青さが葉の濃い緑の葉の中軸に鎮座している。柑橘系の植物は照葉で、雨上がりなどは特に瑞々しくて、心が洗われる感じがする。絵がうまく描けるといいのだが。 

 今、ある人のツイッターから示唆を受け、法的言語について、考えている。

 テキストとなるのは吉本隆明「書物の解体学」の中のモーリスブランショの項である。この本は昔買っていたが、あまりにも難しすぎて、というか、解体の対象になっているフランス文学や精神分析の書物など、著者や書名だけを遠くから眺めていただけだから、当時は取り付く島もなかったのだ。

 しかし、ツイッター氏の示唆を受け、今読んでみると、腑に落ちることが書かれている。

 この一章の中に「言葉と法」という箇条があって、日頃、もやもやしていたことがなにかヒントになる文章になっているのである。カフカについて論じているが、論旨についていうと、カフカの作品は変身にしろ、城、判決にしろ、日常の感覚が法的な(国家権力)言葉で普遍化される時の異和が、暗喩として表現されているのだ、というのである。

 私らはあの東北大災害、そして原発事故に立ち向かって、多くの識者の説諭に晒されて来ているのだが、いずれも正義を盾に取ったものばかりで、心底納得できるものではないのである。個人的な感想を言うと、復興にしろ、廃棄物の議論にしろ、なにか「たまったものではないな!」という心の痼りがだけが残るのだ。そのことについては、前回の「その判決に異議あり」として、一部述べてみた。この2年ほどは、つまり東北の大震災を契機に、様々なことが私たちの考え方の根底を問いただしているように思うのである。

 ブランショだって?、カフカだって?、直接関係ないだろうが? とういう揶揄も聞こえそうだが、人の考えることは数千年来の積み重ねの上にしかありえないのである。そして私たちは、この現実から少しでも先に抜け出る方途を、法的な言語(国家に支配されている普遍的な言語)に抗して、探しあぐねているのである。【彬】

 

 

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