ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

特措法、延長なんてありえない

2020年04月30日 | 日記

ヒメジオンとハルジオン

 報道によると官邸内部の動向は今日の特措法、1ヶ月の延長でほぼ内定のようだ。 なんということか!
 特措法は通常の行政行為ではなく、特別な超政治的決断だ。現状がそんな特別なことをする緊急事態なのか。コロナはインフルエンザよりちょっと強力な感染症で、日本ではほぼ終息している。死者数や日々の感染者数を見れば明らかである。ゼロにならないと終わらないなどとのたまっている輩がいるが、社会のあり方知らない大ぼけ者だ。このコロナ、人口の三分の一が死んだペストや、スペイン風邪、コレラ、さらには結核などとは訳が違うのである。
 加えて、行政を司る人がソーシャルディスタンスとかステイホームとか、三密とか、訳もわからないキャッチフレーズを引っ張り出して、私たちの日常生活を政治的に差配しようとしている。これによって、どんなに生活が破綻をきたしているのか、官邸や知事たちは考えたこともないのか。コロナより私たちの生活のほうが、数段も大切なのである。また私たちの日々の暮らしを阻害する行政は、民主主義ばかりか、敗戦を通じて学んだ私たち日本の生活原理を知らなすぎる。
 いま、こうした対策が辛うじて維持できているのは、私たちの資産が幾分か余裕を蓄えているからである。そうでなければ悲惨である。フランスの路上生活者が、医療も受けられずに路端で憤死したとか、アメリカの医療弱者が大量に死んでいるとか、それは彼の国に経済が、想像以上に貧富が広がっているからである。
 大部分の人たちがまだ幾分か余裕のあるうちに、早くこの事態を脱しよう。なによりこの特措法を廃止することである。「命」が大切などと、誰もが反対できない高みから、やいのやいのと触れ回る識者ぶったメディア人間を早く放擲したい。【彬】

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ後の社会変化を占う

2020年04月27日 | 日記

ハナミズキ

このところ、絵の描き方を変えています。しばらく醜い画像が続きますが、ご容赦の程を。

 日本のコロナ騒ぎの終焉は間近。この間の政治的社会的な動きで従来の社会制度の色々な問題が浮き上がってきた。以下、思いつくままで列挙するが、これらのことは現行の高度な資本主義社会の、次なる展開への指針になるに違いない。

①テレワークの普及
 産業の管理部門はテレワークが進んだ。コロナ後はもっと進み、都心などへの出社する社員は激減するだろう。

②ソーシャルディスタンス
 居酒屋などで大声で盛り上っていた人たちは、ソーシャルディスタンスの経験によって、コンパなどでは、密を避ける新たなマナーが育っていくだろう。

③散歩・ジョギングの人気
 不要不急の外出を控えたせいで、自宅での筋トレを含め、散歩やジョギングをする人が増えた。この経験から、糖尿予防などを含め健康に気を配る人がいっそう増えるだろう。コロナの死者は持病との合併症が多かった。

④男の料理
 外食が控えられた結果、自宅で料理する男性が増えた。今後は男の料理が人気になるだろう。

⑤医療崩壊=医療の分散
 医療制度のあり方が問題になった。感染症対策として、現在の大学病院、総合病院のあり方が見直されるに違いない。遠隔診断・診療、さらには手術などのロボット化が進み、病院が都心にある欠点が出てきた。地方への分散が進むだろう。特に介護を伴う施設などは尚更である。

⑥印鑑の廃止
 公文書あるいは重要書類での押印の慣習がなくなるだろう。面接制限のおかげである。

 そのほか、クルーズ船、満員電車、航空機、様々な乗り物・移動分野、さらには配送業務にも変革がおよぶに違いない。これらのことは、高密度社会=メガロポリスの終わりを意味している、と私は確信している。これからは地方分散の時代だ。【彬】

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日常を保持することの大切さ

2020年04月22日 | 日記

シロヤマブキ

 不要不急の外出を控える通達で街中は閑散としている。混んでいるのは、わずかスーパーと薬局だけ。
 私自身はなにをしているのか、といえば、このブログを書き描くこと、囲碁をやること(コンピュータ相手)、読書、そして隔日のジョギングである。退屈はしないが、なんとも張り合いがない。早くこの事態から抜け出したいものである。
 気になるのは報道やネット上での、識者とか芸人たちの言辞。マスクをしないでジョギングをしている人に、芸人のなんとかと言う人がマスクをしろと怒鳴りつけたという画像が出回っている。この間、ジョギングをする人が多くなっているから、目についたのだろう。わたしも走るから一言、言っておきたい。走って気分がいいのは人のいない公園や緑道であり、なるべく人を遠ざけるようにコースを選び、走っている。人混みの中で走ったりする人はにわかランナーである。
 それに対し、正義を振りかざすがごとく意気がって過剰に反応することが、もっともまずいことだ。異常時こそ日常をくずさないこと、これが大事であることは、戦争を体験をしてきた先人たちの説くところである。私たちの日々の暮らしこそ価値があり、尊ばれるのである。
 コロナを怖がらず平静を保つようにメディアではリードしているが、平静というのは意味不明で、具体的にどういう行動を指すのか。
 いつものように普段通りの生活を行う以外に私たちの進む道はない。【彬】

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルベール・カミュの「ペスト」

2020年04月20日 | 日記

 今、フランスのノーベル賞作家、アルベール・カミユの「ペスト」が大変売れている。新型コロナウルスがその背景にある。

 1947年発表の70年以上前の作品だが、アルジェリアの港町で発生したぺストが平穏な市民社会を襲う。町は封鎖され逃れられない。この「不条理」に対し、いかに人間は、戦い、連帯を深めていったか、を描いている。

 僕は、フランス語を勉強していて、若い頃、その一環で、カミユのL‘etrange(異邦人)を読んだ。これは、人間個人の「不条理」を描いている。

 今、コロナウルスという、市民生活を襲う不条理との戦いで湧き上がるエネルギーを使い、la peste「ペスト」を読みたいと思う。この作品は、長編で、L‘etrangeの3倍以上のボリュームがあり、体力、気力、が必要だ。今、L‘etrangeを読み返し、カミユのフランス語に慣れようとしている。

 ところで、2008年の、リーマンショックの時、イギリスの経済学者ケインズの「一般理論」がよく売れていた。多くの人が資本主義経済とはどういうものなのかという疑問を抱いた。僕は学生時代、経済学を勉強していたので、原書の初版、the general theory of employment, interest and money の 完全復刻版を入手し、いつか読もうと思っていた。しかし出来ずにいた。そして、リーマンショックが起きた時に、現状の「不条理」への怒りをエネルギーに変えて読むことができた。怒りというのは大きなエネルギーになるものだ、とその時思ったものだ。ただし、この書物は大変難しく、経済学者の、宇沢弘文氏の丁寧な解説書に導かれながらではあったが。何とか通読し部分的にしか理解できなかったが、いまは当時が懐かしい。

 さて、事態が好転し、余裕が戻り、そして、体力、気力があるようであれば東京丸善の洋書売場に、la peste を求めに行こうか。

  絵はアルベール・カミュ

    2020年4月20日  岩下賢治

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊急事態宣言からの出口

2020年04月18日 | 日記

 シャガ

 4月17日、武漢ウイルスに対する非常事態宣言の施行が1都6県から全国に拡大された。NHKのアナウンサーは「感染の急激な拡大を防ぐ」ためにと報じている。
 しかし、感染者はそんなに拡大しているのか、そしてそんなに急激な勢いなのか、よく事実を確認してほしい。各都道府県から報告されてくる感染者の数は、全国をまとめても8500人どまり、東京都でさえ、2500人を超えていない。岩手県などは感染者が0である。なにをそんなに慌てているのか。東京都知事などは感染者が1日で200人を超えたなどと深刻な表情で訴えているが、記者に囲まれてテレビ発表している姿からは心が弾んでいるようにも見える。東京都の人口1千万人のうちの累積感染者は高々2500人なのに、なにをそんなに恐れるのか。しかも大多数は感染しても軽症ですみ、重症化して死するわけではない。
 毎年冬場にインフルエンザが流行するが、これに罹るのは全国で1万人をはるかに超えるはずだ。それと比較したらよく分かると思う。
 ところが武漢ウイルスは未知のコロナウイルスだから、どんな悪さをするかも分からない。諸外国を見ればわかるだろう、などと言う。しかしどんなにがんばったて、どんなに医療を充実させても、あるいはワクチンを開発しても、このウイルスを絶滅することはできないのである。せいぜい感染を遅らせるだけ。というのも、ウイルスは宿主を求めて、宿主が存在する限り、死滅することはないからである。前にこのブログでも紹介したが、ドーキンスという生物学者は、ウイルスは世界最強であり、これを殺すには宿主が死滅する以外にない、と言っている。
 だから私たちはこれと共存する以外にないのである。共存するとは免疫を持つことである。軽い症状、あるいは気がつかないままに感染し、自然と免疫を作る。インフルエンザがそうである。
 現在の封鎖や自粛は、せいざい感染のスピードを遅くするをだけだ。
 だからもう放置しよう。そしてインフルエンザのように自然と免疫ができるように、体力を整え、衛生管理を強めよう。それが、この武漢ウイルスの一番の対処の仕方であり、この問題の出口だとおもう。【彬】

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする