ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

地球温暖化って本当なのか

2019年11月27日 | 日記

キンカンが色づき始めた。

 先頃、国連の事務総長が音頭をとって地球温暖化に対する警鐘をならす会議が開催された。ご存知のように、この会議には、スェーデンから年端もいかない少女を招いて議場で演説させた。PR効果は満点で、各国のテレビ、新聞を賑わせたのは周知の通り。
 ところで地球温暖化というのは一体なんなのか。
 化石燃料の吐き出す二酸化炭素が大気圏内に充満し、気温を上げているという、確からしい言説が元になっている。
 しかし地球の温度にもっとも影響を与えているのは、本当は大気ではなく地上より面積の大きい海水の温度である。台風の原因は大気温ではなく、海水温であることを思えば誰でも納得いくだろう。なら、海水温はどうなっているのかというと、深海に冷たい水が滞っていて、水面で温められた海水と入れ替わる対流で一定の温度が保持されている。そして、この対流を促しているのが、海流である。
 気象の方では、偏西風の流れが変わって気温の変化が起こることが良く指摘されているが、元は海流である。だから、以前は盛んにエルニーニョ現象などと、その関連で気象の変化を解説していたのである。
 化石燃料の問題は確かにあるだろう。しかし、だからといって産業革命前の段階まで二酸化炭素の排出量を抑えるなどと、とてつもない宣言にはあきれ返る。
 そんなことより各地で起こる大規模な森林火災の対策を講じた方が、温暖化を抑えるためには、よほど有益だ。歴史的にみて地球上の気温にもっとも影響を与えたのは、火山の大規模な爆発なのだ。
 化石燃料については、現在の所、発電のために有用だということに尽きる。他の有効な発電方法が見つかれば、しぜんと消滅するだろう。車やジェットエンジンの燃料を云々しているアナクロニズムでは、未来は展望しようもない。
 発電法では現在、原子力が有力になっているが、原子力発電の問題はその仕組みの危険性とかではなく、規模が大きすぎるということが問題ではないのか。原子力は莫大な電力を生み出すが、そのシステムを維持するには、大量の水と大規模な施設が必要で、そのため立地場所が限られてしまう。だから小規模な原発ができれば、問題は一気に解決するはずである。
 その可能性の一つは燃料にプルトニウムではなくトリウムを使うこと。その実験は一部で先見的に試みられているはずだが、あまり話題にはならない。
 太陽光発電は宇宙、つまり大気圏外でだけで有効な方法である。【彬】

 

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故郷、日野を巡る旅

2019年11月22日 | 日記

 先日、自分の所属する歴史探訪同好会のメンバーと、東京都日野市の歴史を巡る旅に参加した。テーマは、「日野用水と日野宿界隈探索」。

 僕は、日野市の生まれで、大学を出て就職ししばらくの間まで、ここで暮らしていた。今回の旅のコースは、実家の周辺を巡るもので、なにをいまさらとも思ったが、改めて歴史を勉強しようと考えた。案内は、日野市郷土資料館の学芸員。じつに、丁寧でわかりやすい説明であった。

 日野の稲作を支えた用水路を見る。昔、日野は多摩地区一番のコメ生産地であった。水路は現在もほとんどが建設当時の姿を残している。市役所には水路を管理する専門部署がある。

 神社、仏閣を訪れたのち、日野宿本陣へ。

 日野は、甲州街道の宿場町として栄えたが、現在、日野宿本陣が、江戸時代に建築されたまま現存し市が管理し一般公開されている。東京で本陣が残されているのはここだけである。本陣とは大名や旗本の宿泊を指定された家のこと。僕の子供の頃、この屋敷は普通の住居であり、同級生が住んでいた。その頃を思い出すと懐かしさを超えるもがある。

 さて日野といえば、新選組となる。副長土方歳三、六番隊組長井上源三郎は日野の生まれで、井上の生家は僕の実家のすぐ近く。それぞれ、生家は資料館となっている。

 日野の生まれで日野の育ちの自分であるが、学芸員の話しは、石器時代から始まり、住居の遺跡、稲作の方法の変化、神社や町の中心地の変遷、など、今まで知らないことばかり。

 今改めて思うのは、

①    世の中を考える時に、先ず、己を、己の周りの歴史をよく知ることだ。

②    素晴らしい知恵は、歴史の中に潜んでいるかもしれない。

 昔の住居跡は、川から離れた高い位置にあった。川の氾濫からのがれるためか。台風19号を経験したあと気が付いた、と学芸員はいう。

③    僕は、今、小金井市に住んでいる。図書館で、郷土史の資料を借りて勉強しようか。

 新しいものが見つかるかもしれない。

 絵は、日野宿本陣。

   2019年11月21日  岩下賢治

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成長サイクルということ

2019年11月18日 | 日記

 小菊が咲き始めました。

 首にイボができ、こすったりすると赤くなって痒い。鬱陶しいやら、見てくれも悪いので、皮膚科に行って、切除してもらうことにした。治療は、液体窒素を塗るだけ。塗布するとき、ジーンとした熱い痛みがするが、数日すぎるとイボが後かたなくきれいになる。本来、イボは整形とか美容扱いで、保険外治療になるらしいのだが、痒みがあるというので、病気扱いしてもらい、安く治療してもらえた。
 施術してくれたのは女医さん。なぜか親しみがあって、治療とは関係のないことを雑談風に聞くことができた。
 それは、最近、鼻毛がいやに早く伸びるということである。
 鼻毛を切ると、以前なら一ヶ月ほどは気にならなかった。ところが最近、1週間もたつと鼻毛が伸びてきて、鼻をかむとき、テッシュに引っ掛かるようになった。どうしたものやら、この間切ったばかりなのに、と思うのである。
 鼻毛は吸気の清掃をする役目があり、例えば排ガスの充満している所で作業したりすると、自己防衛として剛毛になるとか、タバコを吸う人は鼻毛が濃いということなどを風評として聞いているのだが、私はタバコは吸わないし、空気のよごれたところで作業するようなことが近年増えたわけではないのである。
 そんなことで、お医者さんに聞いてみたかったのだ。
 すると、「それは成長サイクルが早くなったのです」と。生長サイクル? と思ったが私は「はあ」と応えるほかはなかった。成長サイクルが早くなった、つまり生まれて死ぬまでの期間が短くなったということです。通常は生まれて死ぬまでの期間が30日間だとすると、これが15日間となり、その分、早く成長し、早く終末を迎えるということ。鼻毛の成長サイクルが短くなったので、伸びるのが早くなるということである。
 なるほど、と思う。鼻毛に限らず、髭も年をとると早く伸びる。以前は髭剃りは3日に一度だったものが、今では毎朝剃らないとゾロゾロする。毛が早く伸びるのである。髭だけでなく、最近、爪が早く伸びる。成長サイクルの影響なのだろうか。
 しかし、髪の毛はそうではない。あまり伸びない。同じ身体でも、分野によって成長サイクルが違うのかもしれない。
 髭のことで思うのだが、最近、テレビに登場するタレントや識者がなぜが髭面が多い。成長サイクルの伝でいうと、髭が多いというのは、老人化が進んでいるということではないか。若い人が髭面を誇張するのは、年寄り振ることが近年の風潮なのかな、と思うこの頃。【彬】

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夢の中の絵

2019年11月11日 | 日記

 病を患い、今月5日から5日間入院した。

 手術台に載ることになったが、不安ながらも、ワクワク感があった。初めてのことなので、何か貴重な経験が得られるのではないかと。初めて見る手術室。仰向けになると、周りから天井にかけ自分を取り囲む医療設備が美しい。明るい照明、精密な機器。顔に布が掛けられ、医療スタッフのキビキビした行動を感じながら、麻酔がいよいよ陶酔の世界へ誘う。

 意識が薄れ眠りに入ったようだ。そして、はっきりと、絵、というか写真のように鮮明な画像が現れた。自分は現実には眠っているのだろうが、はっきりと絵をみている、楽しんでいる、という意識がある。その絵は3時間後、病室のベッドに戻るまで鮮明に、目の前、いや、頭の中にあった。真白なタイルに花か何かの植物の模様が、赤、黄、青、緑色を主に施されている。タイルは規則的に並んでいるようで、不規則である。この絵は何を意味しているのだろうか? わからないでいた。

 何日か後に気がついたのだが、手術室の美しさが、僕の感覚を使ってあのような絵を、脳みそのキャンバスに描かせたのではないか。

 僕は、子供の頃、熱を出し寝ているとき、天井のうねうねした木目が動き出し竜などの姿に変わっていった。形のあるようであり、ないようであり、夢うつつ幻覚の中の絵なのだ。そんな夢に出てくるものを、絵に残したいと思うことがあった。

 話は飛ぶが、画家など芸術家は、夢の中で、いいアイデアがひらめく、のようなことがあるらしい。黒澤明は自分の見た夢を「夢」という映画で映像化した。世界の黒澤も夢の世界を現実によみがえらせたかったのだな。それで僕のような凡人でもそのようなことがあってもいいのではないか、と思うのだが・・・・・。

 今度の夢の中の絵。上記のような画像が自分を囲むように見えていた。

   2019年11月11日  岩下賢治

 

 

 

 

 

 

 

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東京オリンピック、マラソン会場移転

2019年11月05日 | 日記

 ナデシコ

 2020東京オリンピックからマラソンの開催が札幌に移転されることになった。
 マラソンをするには、東京の夏は暑すぎるからだという。暑さ対策に色々手を打ってきた東京都としては理解できない。小池知事は、憤懣やる方ない様子。ほとんどの人が同じような気持ちだろう。
 私も同様だ。
 ただ、ひとつ、思うことがある。
 今後、オリンピックは一都市での開催が不可能になり、規模は縮小していくにちがいないだろうということ。
 オリンピックは、当初の理念はアマチュアリズムだった。創始者クーベルタンの一種の貴族趣味だったと思う。そのためもあって、アマチュアという名を借りたステートアマと呼ばれるソ連、東ドイツなど社会主義国の全盛時代があった。その後ユベロス会長がロスアンゼルスの大会を契機に、テレビなどと組んで商業主義を導入、巨大な大会に発展し続けてきた。
 来年2020年の東京オリンピックは、おそらくそうした拡大一途の大会のピークであり、そのターニングポイントになるのではないかと思うのだ。その象徴がマラソンであって、今回の会場の移転は暑さのためだけではない、と想像するのである。今や拡大したオリンピックは東京などメガロポリスでさえ、開催が不可能となっているのだと思う。
 オリンピックは政治と離れたイベントである。だから国家が主催するのではなく、あくまで名目は都市が開催するものである。その都市での開催を趣旨としているオリンピックにとって、その商業主義が、逆に規模の拡大を招き、受け入れる都市がきわめて限定されてしまったのは、思わぬ転倒だったか。
 オリンピックの拡大には以前から疑問視する考えがあった。JOCの理事だった猪谷千春さんはIOCの中でも規模の拡大に疑問視する声が多く出ていたと、以前、講演会などで紹介していたことを思い出す。
 しかし選手や競技団体は、この機を逃すべからずで、次々と参加を申し込んで現在では300を超す種目がオリンピック競技となっている。競技団体としては、この機会に注目を浴び、収入を上げる絶好の機会なのである。
 話は別になるが、今日、日本ではスポーツの花盛りである。先日終了したラグビーの世界選手権を始め、テニス、フィギアスケート、野球、バスケット、バレーボール、卓球、バトミントン、サッカー、などなど日々話題は尽きない。凋落の激しい日刊紙は、今やスポーツ紙になったかのようにスポーツ記事満載である。そして、それぞれに満員の観客を集め、大いに盛り上がっている。その意味では、もはやオリンピックを必要としていないのではないだろうか。
 私たちは今、スポーツを満喫できる環境にある。そんな中、改めてオリンピックの意味を考え直してみたいものである。【彬】 
 

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