ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

指先の湿り気

2022年10月28日 | 日記

              イヌタデ

 ゴミ用のポリ袋を開けようと、親指と人差し指で、袋を擦るのだが、表面をスルスルと滑るだけで、口が開けられない。イライラする。指先をキレイにすればと、ズボンで擦って滑り止めにしようとも、全然効果がない。
 指先に湿り気がないのだ。濡れたフキンに触れ、ほんの少し指を湿らせる。するとどうだろう。指に吸い付くようにポリ袋が反応し、何んの力を加えずとも、重なったポリがずれて、口が開けられる。
 こんな経験は歳とってからのものである。同年輩の女性が嘆いていた。ポリ袋が開けられない、指紋がすり減ったのかしら、と。
 ポリ袋だけではない。新聞や本などの薄い紙でも同じである。うまくめくれない。
 昔、年配の人が書類をめくったり、紙幣を数えるとき、指先をペロペロ舐めていたことを思い出す。変な癖だなと思っていたのだが、癖ではなく、滑り止めだったのだと、改めて知る次第。
 高血圧とか、高コレストロールとか、各種癌とか、歳を重ねると様々な病害が出てくるが、本当は皮膚の劣化が問題ではないか。イボができたりシミができたり、シワシワになったりと。私は医者から皮膚が弱いと言われていて、最近は乾燥肌の上に、赤い斑点が脚中に拡がって、往生した。
 病ではないが、高齢化による身体の劣化とどう付き合うか、難問である。【彬】

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飛行場を眺める

2022年10月26日 | 日記

 ウォーキングの練習日。今日は、久しぶりに、自宅から調布飛行場往復のコースとした。

 飛行場というのはロマンを感じさせる何かがある。眺めていると些細なことを忘れ、どこか別の世界に飛んでいけるような気分になる。現在放映中の、NHKの朝ドラ「舞い上がれ」。子供の頃ひ弱だった女の子が、父の夢を引き継ぐ形で、今大学生となり航空工学を学びつつ、サークル活動では、人力飛行機を制作し、飛行記録に挑もうとしている。これから先、飛行機の設計をするのか、パイロットになるのか楽しみなところだが・・・・。

 人は誰でも、子供の頃は、飛行機に興味を持ち、模型飛行機を作ったりして、自分が空を飛んでいるような気になるものだろうか。僕もよくゴム動力の模型飛行機を作り楽しんだものだ。

 朝ドラを観ていて、子供の頃の感覚が戻ってきて、飛行場にいってみたくなった訳だが、これからの、ウォーキング練習コースとして天気の良い日は採用しよう。精神衛生上もいいもではないかな。

   2022年10月25日   岩下賢治

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呉座勇一・学問の通弊化

2022年10月19日 | 日記

            秋のハナミズキ

 呉座勇一さんが各所で活躍している。新しいところでは、アゴラ(net media)に投稿した梅原猛の「水底の歌ーー柿本人麿論」批判が説得的。
 梅原さんはもう亡くなって数年になろうか。いっとき、『隠された十字架 法隆寺論」『神々の流竄(るざん)』『水底の歌ー柿本人麿論』の3部作を献じ、一世を風靡した哲学者=評論家である。「水底の歌」はタイトルの通り、柿本人麻呂の評伝である。人麻呂は多くの著名な作品を残した、王朝時代の代表的歌人であるが、残念なことにその人となりが伝わっていない。朝鮮からの帰化人だという説もある。その人麻呂について梅原は、律令体制の藤原氏に睨まれ左遷されたあげく、海に投げ捨てられたと述べている。その根拠が、日本書紀に登場する「柿本臣猨」「柿本朝臣佐留」だと比定し、それを根拠に論を立てている。物証はないが、そのような風評があったとしたとした上で、その風評の中に事実を読み取ることが、歴史家の本義だとしたのである。
 当時から国文学の間では、物議を醸し、批判されていたのだが、梅原のとった方法が、文献主義・事実主義を越える手法とされ、評価を呼んだのである。
 呉座さんはこうした経緯をたどり、梅原の中に当時の近代主義批判が背景にあったとしている。確かに、1970〜80年代の左翼運動の中に、技術の進歩に促された経済の発展は、社会の矛盾を覆い隠す悪しき近代主義だとして、強い批判があった。梅原の方法はそうした思潮に乗った学問だと、呉座さんは断定している。
 学問の本義は原因=結果の関連を事実や証拠に基づいて論述するものであるが、時として時代の風潮に流され、実証を軽んずる傾向もあることは確かだろう。
 今日のロシア問題、中国問題、国葬問題、統一教会問題などで、ジャーナリズムに登場している学者の方々、啓蒙に重きをなすあまり、学問の本義を逸脱していないだろうか。自覚してほしいものだ。
 なお、柿本人麻呂の歌で、私の記憶にあるのは、
   東(ひんがし)の野に炎(かぎろい)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
である。政権の盛衰を読んだ歌だとされていて、人麻呂は政治と近かったのは、確かなようだ。【彬】

 

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読書を熟読す。

2022年10月17日 | 日記

 7月26日付けの、「この夏の読書」の続きになります。

 この度、アンドレ・ジッドの「狭き門」、la porte etroiteを読み終わりました。夏の間にと思いましたが、少し時間がかかりました。最近、今までやってきた事柄を振り返り、総括しようとしている、そんな流れの中で、高校時代からの愛読書を読み返したもの。

 この作品は、愛と信仰との相克を描いたもので、読むたびに感動する。フランス語でじっくり読むと、百年以上前の、中流社会の情景、匂い、息遣い、等が感じられる・・・・気がする。

 最後の部分は涙をさそうものがある。それは・・・

 主人公ジェロームとアリサは愛し合っていたが、アリサは信仰のため独り神への道をすすむ。そして病で亡くなる。死後10年経ち、ジェロームがアリサの妹、ジュリエットを訪れる。その二人の会話・・・・

 Si je comprends bien, c’est au souvenir dAlissa que tu prends rester fidele.

 Je fus un instant sans responder.

 Peut-etre plutot a l’idee qu’ elle se faisait de moi…Non, ne m’en fais pas un merite.

 Je cruneois que je ne puis faire autrement. Si j’epousais une autre femme, je ne pourrais faire que semblant de l’aimer.

……………………………………

……………………………………

 Allons! Fit-elle enfin; il faut se reveiller……

 Je la vis lever, faire un pas avant, retomber comme sans force sur une chaise voisine; elle passe ses mains sur son visage et il me parut q’elle pleurait……

  Une servant entra, qui apportait la lampe.

 私の理解するところ、貴方はアリサの思い出によって、独身を貫いているのね。僕はしばらく返事をしないでいた。むしろ、アリサの僕への考えに対してなんだ。いや、僕をそんなに貞節な人と見ないでくれないか。僕はそれ以外のやり方ができないんだ。もしほかの女性と結婚していたら、その人を愛しているふりをしているだけになるんだ。

 ..........

 .........

「さあ!」ようやく彼女が言った。「目を覚まさなければ。」

 彼女が立ち上がるのを見た。一歩前に進み、力なく近くの椅子に倒れ込んだ。彼女は顔に手を当てた。僕には泣いているように思えた。・・・・・

 女中がランプを持って、部屋に入ってきた。

   日本語は岩下訳

   2022年10月17日  岩下賢治

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ソ連というのはなんだったのか

2022年10月13日 | 日記

             白い花のフヨウ

 ロシア・ウクライナの戦争が気になって仕方ない。私だけではないだろう。日本人のほとんどが気にかけているに違いない。
 気の掛け方には、人それぞれだろう。祖先にシベリアで抑留された人がいる、千島やサハリン、北方地域に関係がある人、ソ連を理想の国家と勘違いして様々な活動をした人、ロシア語を勉強した人、ロシア文学を学んだ人、その他さまざま。そんな中、日露戦争の頃ならいざ知らず、昭和以降では、将来社会の理想だとされたロシア=ソ連の果たした役割はあまりにも大きかったように思う。私たちは、その大きさに身を小さくしてきたようにも思う。
 そのソ連が崩壊して、その反省・総括というのが、思想の側でも、学問の側からでも、いまだしっかりした議論が聞こえてこない。単に資本主義経済力に負けた、というだけでは、答えになっていない。かつて新左翼たちは、反帝反スタのスローガンを掲げたが、それだけで片がついたとは到底思えない。そのことが気になるのである。
 現今の戦争も、私にはロシア=ソ連の延長線上にあるように思う。プーチンの個性、ロシアの国民性の問題だけではない。プーチンはソ連時代にはKGBに属し、一定の地位にいた人である。
 そのプーチンが唱えているのは、傲慢なロシアの民族主義だけなのか。そうではないだろう。私には、ロシア=ソ連が提起した社会主義インタナショナリズムの残滓を感じる。
 アフガンや中東、東欧に介入するロシア、あるいは中国の一帯一路というのも、その流れのように思える。プロリタリア独裁=専制主義が、インタナショナリズムとなって、世界に武力侵攻している。この流れを徹底的に分析、解体しないと、この世界から軍事紛争の終わりを見ることができない。【彬】

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