ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

ギンリュウソウ(銀竜草)・・・僕にとって珍しい植物

2020年06月26日 | 日記

 6月の或る日、梅雨の合間、友人に誘われハイキングに出掛けた。埼玉県秩父市の、美の山辺り。美の山公園は紫陽花の名所。梅雨の季節の花といえば、紫陽花ということでそれを愛でるのが主たる目的ということになる。はたして、公園の紫陽花の群落はさすが美しくこの日は多くの人が訪れていた。

 美の山公園までの、ハイキングコースは、日陰でジメジメしている。すると、コース脇に、ギンリュウソウを見つける。高さ7~8cmの茎の先に竜の頭の形の花のようなものをつけている。葉緑素を持たず、白っぽく半透明で蝋細工のよう。樹木に寄生する菌類から養分をえる腐生植物。道ぞいに点々と見られ、この植物に適した環境なのだろう。僕にとっては珍しい植物で、この日の収穫の一つとなった。

 ところで、ギンリュウソウは、以前にも一度だけみたことがある。茨城時代に、或る墓地につながる道沿でのこと。数日後また見に行ったが、姿を消していた。別名、幽霊茸(ゆうれいたけ)ともいう。茸の一種とみられたこともあったらしく、言われてみれば、幽霊の姿にも見える。

 梅雨の時期の花といえば、一般には、紫陽花ということかもしれないが、僕には、ドクダミに美を感じる。コップに一輪挿しが、梅雨時の風情である。たまたま、この日に、ドクダミの珍しい八重の花を見つけた。これもラッキーであった。

 さて、普段の生活のなかでも、ある目的に向かい行動していて、その途中で思いもかけない、出会いや発見というものがある。そういうのが楽しいものだ。

    絵はギンリュウソウ。

    2020年6月25日  岩下賢治

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政治に無関心でいられること

2020年06月24日 | 日記

 日々草

 東京都の知事選挙が始まった。小池百合子現知事に対して、宇都宮健児、山本太郎、小野泰輔氏らが争うことになる。世評では小池さんが圧倒的に優位らしい。現職が有利なことは、地方選挙の通例である。
 ところで地方自治体の首長というのは、実際にどういう権限をもって、どういう行政を行っているのだろうか。私はその仕事の具体的な活動を思い浮かべることができないので、どんな人が知事にふさわしいのか、判断することができずにいる。ところが候補者達は途方もないことを口走っていて、都民に100万円を給付するのだの、オリンピックを中止するのだの、都政を改革するだの、何か壮大な志があるようなことを平気で言う。
 地方自治ということで思いつくことといえば、教育関係だ。教師は地方公務員だ。保健所や図書館、公営住宅も地方の所管。でもこうした分野は民間の進出が目立ち、学校はいまや私立を目指す人が多数をしめるようになっている。
 普段の生活の中で自治体の恩恵を感じとることは稀のようになっていると思う。自治と言いながら、自分たちの生活と直接つながる部分が相当に希薄なのではないかと思うのである。
 だがら、首長の選挙では無関心な人が多くなる。地域によっては投票率も20とか30%である。今回の都知事選挙、顔ぶれは賑やかだが、事情は同じだろう。
 人々の政治的な無関心を問題視する人がいるが、私は反対に、政治に無関心であるような生活環境は好ましいことだと思っている。政治的に盛り上がっている状況は一種の社会不安を反映している。改革だなんとか、訳もわからない標語を振り回す政治には、関わり合わない方が本当はいいのだ。それよりも目立たず、すべきことをスムースにこなしている行政を望みたい。【彬】

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コロナが終わらない

2020年06月18日 | 日記

ヤマボウシ

 緊急事態宣言が発せられたのは、4月の7日。終息宣言がでたものの、かれこれ3ヶ月にならんというのに、自治体によっては未だに収束という事態に至らない。いい加減うんざりだ。それだけコロナウイルスという病原菌が根強いといえばそれまでだが、本当にそうなのか。
 東京都の人口は1000万人を超える。そのうちの20~30人が感染したと言っては、拡大したのと大騒ぎしているのは、冷静にみればどこかが可笑しい。しかも死者はそのうち数人足らず。交通事故の死者に等しい。
 後から思うに、あれは冗談だったというには、あまりにも経済をはじめ、日常生活への弊害が大きすぎる。

 世の中、重大なトラブルが発生し、危機状況に至った時に、行政が取るべき手段は、なんなのだろうか。このことが今回の一番大きな問題提起になっている。

 10年前の東日本の大震災の時だった。このパニックの時、行政の行ったことは、公共機関の閉鎖である。図書館、公民館、学校、各種施設、みな閉鎖。これと同じことが今回も行われた訳だ。私はこうした対策は、方向が逆だと思う。危機状況の時こそ公共機関は開放すべきだと思う。それが住民の不安を払拭し、行政と住民が一体化できるのだ。まさに自治である。
 皆が集まれば、3密になり、感染をさらに拡大するではないか、と心配するむきもあろうが、みんなが集まればそれこそ集団で予防ができるのだ。感染が拡大するのは、適切な予防措置を取らないからではないのか。そういう場所でこそ、マスク、手洗い、うがいなどの衛生措置の効果が出るのだと思う。【彬】

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営業という仕事

2020年06月15日 | 日記

 キキョウ

 コロナ給付金をめぐり電通が不当に介入したのではないか、と野党が息巻いている。電通と言えば広告業界を仕切るビッグビジネスの牙城。オリンピックとか巨大ビジネスは電通なしには話は進まないようになっている。日本だけではなく、世界的なビジネスには、事業を推進するマネージャー、仲介者というのは不可欠な職種、つまり営業という重要な役目を負った仕事なのである。
 電通というと大袈裟になるが、どんな会社にも営業という職種がある。コロナ禍のなか、自宅勤務・テレワークという仕事のあり方が注目を集めたが、営業というのは自宅では仕事ができない仕組みになっているようで、本社勤務の大多数が営業関係、だから緊急事態が解除されれば、そうした営業関係の社員は何がなんでも東京の本社に一目散ということになる。
 営業というのは大昔はセールスマンとか言って、言わば卑下された職業だった。劇作家のテニシー・ウイリアムスに「セールスマンの死」という著名な作品があるほどだ。でも取引額が何億とかという話になると、セールスマンどころではない。つまり優秀な営業マンの出番なのである。
 かれこれ40年前のことだが、交通安全の仕事をしていた折、必要があってトヨタ自動車に出向いていたことがあった。ある日の早朝、トヨタの担当者に面会に行ったら、驚いたことにトヨタの社員よりも早く電通マンが担当者のテーブルを占拠、女性社員やらと何やら打ち合わせをしていたことだった。おいおい電通マンはいつからトヨタの社員になったのだ、、、。
 私のような社会の端で生活する者にとっては、自動車などという巨大なビジネスの仕組みは想像だにできないのだが、産業社会をスムースに進めるためのは、こうした営業=悪く言えば口利きの仕事が円滑剤になっているのだろう。
 ある時から一般の営業種は下火になり、代わりにセールスエンジニアという職種が注目を集めるようになったが、通信システムの圧倒的な進展の今日、この職種も下降線模様。
 吉本隆明さんが嘗て産業構成で、第三次産業の従事者・生産額が国内の過半数に達する時代の経済を予測していたが、何が私たちの生活の根拠としているのかが、本当にあやふやになっているように思う。
 コロナ禍による生活不安は、第三次産業の不安でもある。【彬】

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田植えの季節

2020年06月13日 | 日記

 6月初めの日曜日、野川公園を抜け野川沿いをランニングした。公園を抜けた辺りは、三鷹市大沢の里。水田あり、水生植物あり、古民家あり、水車小屋あり、といった、農村風景を残す行政の管理する地域。毎年、田植えは近隣の子供たちが参加しているのだが、既に何日も前に終わっていた。この日は、年配の人たちが会食の準備をしている。田植えもすみ一段落といった雰囲気が伝わる。

 しばし眺めていると、これから梅雨の時期に入ってくのだな、としみじみ思う。そしてまたもや5年前まで住んでいた茨城の田んぼを思い起こす。茨城では5月連休が田植えの時期になる。僕自身は何もしないで見ているだけだが、稲作に参加しているようで何か楽しかったな。吹く風は独特の青く甘い香りがする。シラサギがいる、アオサギも飛んできた。

 こちら、野川でも、シラサギ、アオサギをよく見るが、鴨が主のように住み着いている。鴨といえば、茨城では、合鴨農法が行われていたな。

 田植えがすむと合鴨を放つ。合鴨は雑草の芽や、害虫を食べる。水かきが肥料分を拡散させる。だが、合鴨農法は環境保全というしっかりした理由目的がなければ運営を続けるのは容易でないようだ。僕は、毎年その季節になるとクルマで合鴨の田んぼにでかけていったが、13年間の茨城時代にも徐々に合鴨農法を行う田んぼは減っていった。

 予定のランニングを終え戻ると、皆さん田んぼの脇で、食事会をしている。この時期、コロナ対策をしながら、田んぼに関わりながら楽しんでいるのだな。今、自宅から徒歩圏で「観光」「教育」のためのものであろうと田んぼがあることはうれしいことだと思う。

  絵は、三鷹市大沢の里

    2020年6月11日   岩下賢治

 

 

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