ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

残暑に青い波を求める

2022年08月29日 | 日記

 ウォーキングの練習コースはいくつかある。その中に、小金井市内の滄浪泉園(そうろうせいえん)、という庭園を横目に見ながら歩くコースがある。暑い中、この「滄浪」という言葉が涼し気で寄り道を誘う。が、してこなかった。

 8月28日の日曜、夏の終わりと思い、庭園に寄り道した。

 滄浪泉園は、明治、大正期の政治家、波多野承五郎の別荘の一部。滄浪は、青い波、の意味だが、犬養毅元首相が、名付けた。「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々豊かな水の湧き出る泉のある庭。」ということ。

 園内には、木々の緑を映す池、水琴窟、や、湧き水(東京の名湧き水57選)などがある。

 園内に入るとき、受付の人に、「緑が濃いですよ。」と言われた。緑豊かな野川沿いを歩いてきた眼にも確かに、木々の緑が深い、従い、池の水も青さが濃い。この夏もそろそろ終わる。ウォーキングの一区切りとなったな。寄り道もいいものだ。

 絵は、滄浪泉園の入り口。これも気にいっている眺め。

   2022年8月28日  岩下賢治

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高校野球が終わった

2022年08月26日 | 日記

                  コスモス

 2022年、夏の甲子園野球が終わった。仙台育英高校が優勝し、初めて東北に優勝旗が渡った。
 私は甲子園球場を借り切って、テレビが早朝から熱狂する様に異様さを感じるので、テレビ中継は全く見なかった。でもニュースなどで結果が伝えられるから、どんな状況なのか、およそ見当が付けられる。
 気づいたことが一つある。
 それは高校球児たちの体格が、随分とたくましくなったな、ということ。どの選手も体格がいい。痩せた選手はいない。胸まわりから腰回りが大きくなって、しかも動きも悪くない。栄養と訓練が十分に行きどどいている証拠である。私たちが高校生だった、今から50年前では、みんな痩せていた。太っていると練習不足なのではないか、と思われたものである。
 このことは同時に練習環境が格段と良くなったことを暗示している。練習場のグランド状況、用具の整備と管理、指導者の育成、そして有望選手の発掘など。
 スポーツをするには、資金が必要だ。特にチームスポーツの場合は、お金がかかる。甲子園に出場するような学校は、私立で、スポーツに特化している学校が多いから、相当な資金を提供しているはずである。個人負担だけでは、練習さえ出来ないであろう。例えばボール一個でさえ、5~600円する。そのボールもすぐに痛んで、縫い目が切れたり、する。練習試合をするにしても、会場費・移動費を含め、相当にお金がかかるものだ。
 そうしたスポーツ環境ができていると思うので、提案が一つある。
 高校野球の金属バットを禁止してほしい。金属バットだから、打つ時の衝撃が弱まり、つまりながらも、強引に飛ばす打球が目についた。木製バットだと、芯を外れるとバットが折れるというので、もう何十年前に金属に変えたのだが、今の野球環境から見れば、もはや不要だろう。
 そして試合会場を分散し、もっと簡素な大会に出来ないのか、というのが以前からの私の考えである。さらに一県一代表である必要はないと思う。元々は、県代表ではなかったのである。今は、オリンピックでさえ、一国代表などというものはない。参加標準記録が必要なのである。ルールが一つのスポーツはインタナショナルなものだから、国や県などを基準にするというのは、おかしな話のである。【彬】
 
 

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世界に禍が尽きない

2022年08月21日 | 日記

             オクラ

 ウクライナ戦争は露・ウとも決め手が掴めない状況で泥沼化が避けられないようだ。争いは秋口から冬場に持ち越されそう。冬はナポレオン戦争から第二次大戦も含めロシアが勝った歴史あがある。でもそれはウクライナがロシアの一員だったからの戦果。ロシア民族が勝ったわけではない。
 禍は、ウクライナ戦争だけではない。身近なところでは、日本と韓国の間もそうだ。徴用工問題から慰安婦問題、なかなか片がつかない。近隣国との関係には、了解不可解な溝が横たわっている。一国内でもそうだ。アフガンのタリバン政権、中国の一党独裁、アメリカの黒人問題、何の理由で問題が長引いているのか、他人事ながら私たちには理解できない。
 私たち日本人の常識からしたら、なぜだろうか、と思う。俊英な研究者がいろいろコメントしてくれているのだが、本当のところわからない。私たちの想像力に何かがかけているから、現実の世界の動きが理解できないのだろうか。
 ロシア問題については、小泉悠さんが貴重な情報を提供していてくれる。しかし小泉さんにしても、なぜロシアが古めかしい戦争を始めたのか、理解しがたいと言っている。今の時代、プーチンの個人的な野心で、戦争が行われるはずはない。問題は何なのか。
 第二次大戦に突入した日本は、その戦争の発端・理由ははっきりしている。世界の帝国主義の競争の中で、資源を経たれたからである。おおもとは列強を中心とした帝国主義、海外への膨張であり、その中に日本が組み込ままれざるをえなかったことが原因である。その背景には東北地方の農村の疲弊があった。
 しかし、現在の紛争は、そうした列強の海外制覇ではない。ほとんど国内問題のようにも思える。しかしその各国の国内問題が私たちには、よく理解できないのだ。だから人権問題などと言う曖昧な形でしか論評できない。
 問題の核心は何なのか。
 大昔、マルクスはユダヤ人問題について、言っている。ユダヤ人が差別に苦しんでいるのは、宗教の教義の問題ではなく、ユダヤ人が政治的に解放されていないからだ、と。ロシアの人々、中国の人々、アフガンの人々、あるいは世界各国の人々、まず政治的に自由であるかどうか、国家の威厳とかに関わりなく、生活者として個人として自由であるかどうか、問うべきことではある。 
 また例えばロシアや中国では、農村の土地所有や作物の流通問題がどうなっているのか、韓国の異常な対日観では両班など旧華族との繋がりなどがないのかどうか、などなど。口では簡単に言うことができますけど。。。。難しいのですね。【彬】
 
 
 

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北条時子・・・鎌倉殿の13人・・・

2022年08月20日 | 日記

 お盆の墓参り。先祖の墓は、足利市の浄土宗の寺、法玄寺(ほうげんじ)にある。毎年、お施餓鬼(せがき)の法要に合わせ、墓参りをしている。今年は、コロナの為、いつも電車で行く僕は不参加。クルマでいく親族にまかせた。

 さて、この法玄寺は、約800年前の鎌倉時代、北条政子の妹である北条時子を供養するため、御家人、足利義兼が建立した。時子は足利義兼の正室である。

 この足利義兼は、平氏、や、奥州藤原氏との戦にも出陣した有力御家人だが13人のなかには入っていない。高校教科書に載っていないだろうから、一般にはよくしられていないだろう。だが、せっかくNHKの「鎌倉殿の13人」観ているので、義兼を少し調べる、

  • 6代下った直系の子孫は、足利尊氏。北条氏を滅ぼし室町幕府の基礎を作った。
  • 諸説あるが、足利義兼は足利学校を設立したという説もある。

と歴史上重要な人物。

 子供の頃、法事の折り、親せきによってお土産をもらったり、長じては、歴史を感じさせる街を散策し、足利市の小旅行を楽しんだものだ。北条時子が北条政子の妹だということは知っていたが、普段あまり気に留めないものの、何かのきっかけで、歴史などの知識を得ることは楽しいことだ。

 絵は法玄寺のスケッチ。

    2022年8月18日 岩下賢治

 

 

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自転車の便と不便

2022年08月18日 | 日記

               シャインマスカット

 私は東京都の新宿区に住んでいる。その新宿区では、今、自転車の路上駐車の摘発が進んでいる。路上の放置しておくと、すぐ撤去され、取り戻すのに3,000円の手数料がかかる。反面、路上の主要な箇所には駐輪設備が設置され、利用者はほぼ無料で利用することができる。そのせいか、道端に留め散らかっていた自転車はずいぶん少なくなった。
 それでも放置自転車は後を絶たない。せっかく駐輪設備があるのに、その器具を利用せずに、その側に放置する。おそらくその器具の使い方を知らないか、あるいは車輪を器具の上に載せるのが面倒なのか。器具をコンパクトに詰めて設置しているために、利用しにくいのか。
 都市の自転車問題は、時代の変化と関連している。私の住んでいるマンションは築40年と古いものだが、そのマンションには自転車置き場がなかった。その代わりに4台の駐車場があった。なぜそのような設計になったのか、と言うと、交通の利便な都市に生活する上で、自転車は不要なのではないか、との設計思想があったからである。ところが時代が進むにつれて、車を所有する人は皆無になって、駐車場の利用者がいない。反面、自転車置き場がないとの苦情が出ている。この20〜30年の間に、都内で生活する人のライフスタイルが変わったのである。服装を見ればはっきりする。背広やワンピースで自転車を乗る人はいない。
 自転車が普及したのは、電動式になったことが大きい。この電動式がもっと進むと、おそらくボード式の乗り物に取り変わると思う。現に車と同様のナンバーをつけ公道を走るボードを見かける。これに買い物かごをつければ、年配者ばかりか利用者は増えよう。そこで問題になるのがやはり置き場である。
 都市の変化は交通手段の変化によく現れるのだ。コロナのせいもあるが、電車や地下鉄は乗客が少なくなり、各社、減便に踏み切っているようだ。【彬】

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