ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

ロシアへの小さな旅

2015年08月28日 | 日記

  

 この夏、僕はロシアへの小さな旅をした。ロシア第二の都市、サンクトペテルブルクへ。それも、150年ほど前の、帝政ロシアの時代へ。

 旅に携帯するのは数冊の本と、テレビの語学教材。・・・・・

 つまりこういうことです。現在NHKテレビのロシア語講座の舞台は帝政ロシア時代の首都サンクトペテルブルグですが、番組中で、プーシキン、ゴーゴリー、ドストエフスキーなど帝政時代に当地で活躍した文芸作家と作品の紹介があるのです。僕は、文豪たちの作品を読み、その作品の舞台・現場をテレビで辿る旅をしたのです。

  プーシキンは近代ロシア語、文学の祖で、今でも国民から敬愛されている。ゴーゴリーは当時の社会や人々の暮らしを皮肉とユーモアを込め生き生きと描く。さて、ドストエフスキーは「罪と罰」を高校生いらい久しぶりに読みました。この作品は、当時のロシアの社会状況を背景に、人間の傲慢さ、良心、宗教心などの深層心理をサスペンス風に描いたものです。テレビでは、主人公ラスコーリニコフや恋人のソーニャが住んでいた家、その他作品に登場する橋、建物が紹介されます。さらに主人公の家から犯行現場への道筋、凶器となる斧の置いてあった場所まで映し出されます。日本人的感覚で文章から受ける風景と、現実の風景は違うように思う。つまり現実のロシアは広く大きい。 

 今回のロシアの「小さな旅」は大変充実したものでした。 

 今思うことは、

①    ロシアは常に、西欧、EUが意識の中にある。進んだ西欧文化を取り入れると同時に、対峙してきた。そもそも、1703年、ロシアの近代化を目的に、西欧との窓口として、何もなかった沼地の上にサンクトペテルブルグが首都として建設された。

②    ロシア人は、西欧的な合理性では計り切れない心情がある。これは、或るロシアの詩人の言葉でもある。

③    ロシア語という言語。語尾変化がきわめて多様。繊細で複雑な表現。ロシア人の思考も繊細で複雑? 

 絵は「罪と罰」の冒頭に出てくる、K橋です。   

               8月28日   岩下賢治

 

 

 

 

 

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憲法前文に2つの疑問点

2015年08月17日 | 日記

 

                              azami=入澤光世

 

 終戦記念日のある8月は夏の休暇の時期であり、国のあり方を見直す勉強する期間になっているように思う。普段、気にも留めない憲法を読むのにはちょうど良い。

 重要なのは前文だ。ここには国民主権=代表民主制と、平和的生存権が明記されている。この前文で私が問題提起したいことが2点ある。

❶国民主権の由来について

 イギリスやフランスの場合は、長きにわたる王権との闘いの結果、王権神授の思想から、革命によって、国民主権に変わった、その由来ははっきりしている。ところで日本の場合は、明治憲法の天皇主権からの今日の昭和憲法への移行は前文で次のように説明されている。

「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と。

 敗戦によって簡単に主権の移行ができるものなのだろうか。誰がどのような根拠によって、どのように移行したのか。もっと明確にすべきである。憲法草案にはいろいろが経緯があることは承知しているが、肝心要のことである主権の移行については、前文においてもっと明確にすべきである。占領軍によってといえば簡単だろうが、本当にそうなのか。

 問題は制定にあたって国民の意思をどのように反映させたかだろう。私は国民主権の考えに異存があるわけではないが、何かというと民主主義の危機だとか、議会制をないがしろにしているなどという、言辞がまかり通るのは、この国民主権の根拠のあり方が理由していると思っている。日本における国民主権の根拠をもっと明確に示す必要がある。そのためには、前文だけでも国民投票にかけ、国民の意思決定の過程を経るべきだと思う。国民の意思としてこの憲法を発布するということがはっきりすれば、様々な疑念はすっ飛ぶというものだ。

 そして、たとえばこの箇所は「われら日本国民は、無残な敗戦の結果、明治憲法における政治上の権威や法令及び詔勅が壊滅したことを確認し、新たに国民の意思が憲法及び一切の法令の礎であることを宣言する」にしたい。

 また国民主権を「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」というのはおかしい。国民主権は、たかだかこ数百年間の政治的な思想である。人類普遍と確定することはできない。

❷平和的生存権について

 憲法の平和宣言は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しようと決意した」としている。つまり日本をとりまく諸国・諸国民への依存を表明しているわけである。平和への希求は相手によるものではなく、日本の意思であることを明記すれば足りる。いつまでも相手の意向を汲んでいたのでは、汲々とするばかりである。「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」といった状況認識は、いかにも能天気すぎる。世界は支配と服従、迫害と抵抗の坩堝であるのだ。だから政治が発生する。

 ところで、憲法を最上位の権威で、不可侵の大典だと思いがちだが、そんなことはない。英語ではconstitutionであり、いわば仕組みくらいの意味である。つまり、日本のあり方、組織の形を決めたものが憲法なのである。もちろん法令ではないから違反したからといって、罰則はない。付帯する法律で罰則が規定されているわけである。その分、条文の解釈が多様となるわけだ。だからといって文学のように多義的な表現方法はとらない。つまり指針なのである。

 現在、安保法案に絡めて、憲法を含めた各種の論議がなされているが、私は上記のようのように日本における国民主権のよってきたるところを明確にすれば、それらの論議は片がつくと思っている。【彬】

 
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夏の暑さを楽しむ

2015年08月12日 | 日記

 今年の夏の暑さはキビシイものだが、この暑さを避けるのではなく楽しむことはできないものか。そんなことを模索、夢想している中で・・・・・。

 またもや、趣味ランニングの話で恐縮です。

 今春、住まいを茨城県某市から自宅のある東京都小金井市に移してから、夏場の練習は、日差しを避け玉川上水沿いの雑木林の木陰がある散策路を走っていた。一方、茨城に住んでいた時分は、日蔭の長距離コースがとれないので、社宅近くの森の広場で単距離インターバル走の練習をやっていた。昨年9月の私のブログ「夏に鍛える」で書きましたが、夏場の単距離走の練習は、中学、高校生時代3流だがトラック陸上選手だった私には、青春の躍動感を今でも体感できるもので、いわば、夏の暑さを楽しむものなのですね。 その躍動感が忘れられず、猛暑のゆるんだ8月9日(日)から、自宅近くの小金井公園内の直線200メートルの道を使い練習を始めた。内容は、200mを80%の力で走り、つなぎはジョグまたはウォーク。これを10本繰り返す。このコースは木陰は少ないが、距離が短いので、呼吸は苦しいものの、暑さはそれほど辛くない。身体のシビレは快感に変わっていく。それが青春時代の感覚を引き出してくれるんですね。

 ここまではいいのですが、気温が35度以上の猛暑ではどうか。暑さが快感となるかどうか。茨城では気温は高いものの、湿度は低めで、森の空気も澄んでいて夏の暑さは痛快であった。 

 NHKなどのテレビで東京の猛暑35度以上を伝えるニュースのバック映像に、皇居の回りをジョギングする市民ランナーの姿が出てくる。35度を超えると外に出ることさえツライのだが、単距離走では違った世界が見えるかもしれない。

              8月11日  岩下賢治

 

 

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夏山に登る

2015年08月10日 | 日記

 このところ、年に一度、夏山に登っている。天候が最も安定した時期を選び、安全なことを確かめたうえでの登山である。今年は上高地から前穂岳をめざした。

 ただし、私たちの登山は山小屋を利用しないという条件をつけている。というのは、歳をとってレジャーとして楽しむには、山小屋は食事、トイレとあまりにも窮屈だからである。だから登ってすぐに引き返すという、いわゆるピストン登山になる。肉体的にはもっともきつい登山である。3,000メートルを越す今回の前穂岳も、だからピークに到着しなくても、引き返すというもので、残念ながら途中下山ということになった。といっても、通称「紀美子平」の、2,900メートル近くまで登った。

 その登ってきた岩山から見下ろすと、すぐ足元にはカール(巨大な谷合)状になった雄大な風景が、人を引き込むように広がっている。岩に這いつくばって、ハシゴやクサリにつかまりながら登ったはいいものの、さてどうやって帰るか、それを思うと身がすくむほど急峻な山であった。

 辛い思いをしてなぜ山に登るのか。登頂してなにかいいことがあるのか。古くから登山への問いが発せられているが、なかなかいい答えが得られない。私は、何かを求めるというより、ここまで来ちゃった、という感慨を強く持つ。岩場にへばりつき、這いつくばって上に出る。ああ、ここまで来ちゃった、という感覚である。それを続けていると頂上にいたる。頂上がなくとも、ここまで来れた、という自覚への恐れと喜びの高揚感、と言ったものだろうか。

 そんな言辞はともかく、老若男女が次々と登っていく。下界にはない、山の魅力があるのも確かである。【彬】

 絵は岩の隙間に咲いていた一輪のミヤマリンドウ。

 
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