ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

なり手のいない地方議会議員

2019年05月30日 | 日記

    ホウノキの花です。

 毎日新聞が高知県大川村での議会議員選挙を取り上げ、人口減・過疎の結果、議員の欠員状況を報じている。5月29日朝刊「記者の目」

 議員不足はこの村だけでなく、全国各地の問題だ。議員がいなければ地方自治は成り立たない。深刻な問題だと思う。所管する総務省も頭を痛めているらしく、有識者で「町村議会のあり方に関する研究会」を設置し、対策を講じているようだ。

 議員のなり手がいないのは、報酬が少ないからである。国の交付税にかろうじて頼って運営している町や村の予算に議員報酬を上げる余地はない。だから議員は名誉職であったり引退者のボランティアまがいの活動に頼ってきたのだが、今では地方の過疎地で、そうした余裕ある人は稀になっているのだ。

 こうした危機的な自治、というのは何も過疎地に限らない。

 大都会でも同じだ。議会議員ではなく、マンションの自治である。住んでいる人は多いが理事を引け受ける人がいない。放置しておけばスラム化するだけである。

 こうした事態は自治の問題というより、もっと大きな、近代社会での共同体のあり方が過渡期にあるからだろうと思われる。共同体というと大げさかもしれないが、誰が住んでいて、誰が生まれ、誰が死んだか、お互いが了解し合うのが共同体のあり方の「もと」である。そこにお互いの利害の調整が行われる。

 ところが、今日、地方でも都会でもまともに葬式は行われていない。家族葬などで済ませている。共同体が崩れていることの証明である。 

 私は自治については、自分達で治めるという考えから抜け出す時期・事態に至っていると、思っている。地方に限らず、委任された代表者が、いろいろ差配するというのは不可能だし、現にそうした差配を行なっているところは皆無である。行政にしろ、議会は後追いで追認しているのがほとんどである。

 おそらく、今後は、地方の行政に限らず、マンションなどでも問題の処理を、追認という形で管理業者への委託という道を取らざる、をえないのではないか。

 もちろん主権は住民にある。そこで問題となるのは、委託業者の能力、資格ということになる。委託方法、委託内容の細目など、法的に整える必要がある。それに、最大の問題は、主権である住民の、条例の施行といったシステムをどのような手続きにすべきか、これが最大の課題となるはずだ。

 自治の問題は、今、大阪で広大な実験の過程にある。都構想の大阪にもっと注目すべきである。【彬】

 

 
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夏に備える

2019年05月26日 | 日記

 まだ5月だというのに、5月25~26日は大変暑かった。いよいよ夏に向け、暑さに備えていこうと思わざるを得ない。

 基本は体力を作っていくことになる。以前から書いてきましたが、僕はランニングを通じて鍛えているのだがこの、25日(土)は、20kmを目途にしたが、不調で12~13kmで止めた。やはり暑さが影響したのだろう。走り足りないので、翌26日(日)は、小金井公園で200m×10本の短距離走をした。暑いときは短距離がいい。そしてその後、公園内の体育館プールで水泳をして整えた。

 若いころから走り続けてきて、今、振り返る。

 若いころは、夏でも40km走の練習を毎週のようにやっていた。北海道マラソン(42.195km)では、スタート時の気温30度で大変暑かったことがあった、が、それが快感であったな。時は経て、今、体力の低下はいかんともしがたい。夏の暑さはつらい、体がついていかない。

 昨年、ちょっとした病を患い、それによる体力低下もあるようなのだ。

 しかし、頭の中は、昔のことを、暑さの中を走る快感をよくおぼえている。工夫が必要なのだ。短距離は夏でも走れる。そして最近は、水泳を加えている。実は、昔、マラソンを始める前は、水泳を盛んにやっていたものだ。

   最近の夏は猛暑となる日が多い。今年も夏を乗り切る備えをしなければならない。不器用な僕は、ランニングが基本なのだ。そして、水泳が暑さを忘れさせてくれる。

  絵は、5月26日の200m×10本と、水泳の様子。

      2019年5月26日  岩下賢治

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対面交通だから起こる交通事故

2019年05月17日 | 日記

エゴノキの花、雑な絵で恐縮 

 最近、立て続けて交通事故に巻き込まれ死亡する事故が起こった。大津の事故では保育園の園児が死亡し大きな反響が沸き起こっている。池袋の事故では高齢者の運転が問題になっている。いずれも高齢者や女性ドライバーの不注意から大事故が起こっているのだが、メディア上では免許返上の規制や車自体の制御技術などが取りざたされている。
 車社会の悲劇をなんとか食い止めるための方策は、私たち自身も直接関わる問題だけに喫緊の課題だ。
 交通問題については、私は以前から関心があって、免許や車の技術革新とは別に、道路自体のあり方についていくつか問題提起している。前々回だったかは、舗装技術について問題にした。
 が、それ以上に、道路の根本的な在り方として、一方通行化を提案したことがある。
 交通事故がどうして起こるかといえば、対面交通だからだ。高齢者や飲酒者といえども、一方通行ならば、他人を巻き込む大事故は起こらない。せいぜい自身が大けがをするだけである。なぜか。改めていうまでもなく、車が右折や左折をしようとした場合、対向車がいなければ自在だ。右に行こうが左に行こうが、車を片側に寄せていけば、信号など見る必要がない。中央を直進、左側を左折、右側を右折で済む。こうした単純運行に判断ミスはない。
 では、なぜ一方通行が実現できないのか。
 一方通行というと、細い路地の通行のことしか考えられないのが、現実だ。しかし、Aという方向に対する、Bという反対方向の道が確保できれば、大通りでも実現できるはずだ。今日のように道路が整備された時代、A路線とB路線の2つの対抗路線は、都市部なら簡単に見つけることができるように思う。
 一方通行化のメリットはたくさんある。第一に渋滞を防げる。渋滞の原因の多くは、交差点の右折が絡んでいる。一方通行なら左右とちらに行くにしても自在である。そして目的地まで迂回したとしても、渋滞分のガス代や待機時間に相当する対価は得られるはずだ。
 一方通行の利点はもっとある。道路で街の機能が左右に分断されないことである。対向車線の場合、右側の街並みと左側の街並みは情景が異なることが多い。納品する車が、片側に偏るからだ。そして利用者も道路を横断することが面倒になる。
 また、交通事故を振り返る時、道路というのはどういうものか、もっとはっきりとした位置付けが必要ではないのか。
 道路というのは元々は人の道だ。ここに馬車や自動車が入り込むのが近代社会。そうすると、法的には人優先は確保されるが、パワーの面から、どうしても人は退けられる。人車一体は実質的に車上位なのだ。
 今日の車社会を考えれば、私は、道は車優位で良いと思う。道は車優先の場所なのだ。だから車の移動の効率性・利便性をもっと考えるべきなのだ。一方通行というのは、そうした考えに沿っている。言って見れば車優先の思想である。
 そうした道路を前提として、人の歩く快適な道を模索すべきではないのか。一方通行の道を車がスムースに運行する、その脇を並木に覆われた緑豊かな歩行のための道が整備されている、そうした理想像が描かれるのである。【彬】

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18世紀ドイツへの旅

2019年05月10日 | 日記

 この10連休。海外旅行に出かけた人も多かったようだ。

 僕もドイツへの旅に出た。だが、帰国は何時になるかわからない。・・・・つまり、ドイツの文豪ゲーテの「若きウェルテルの悩み」Die leiden des jungen Werher 、をドイツ語の原典で読み始めたの、ということです。

 ゲーテ自身の実体験を基にした私小説、また、心理小説だが、かなり難しい文章。じっくり読むと何時読み終わるか予想できない。外国の文学書などを原書で読むのは、まさにその国を旅行するかのような経験になると思う。より深くその文化に入り込める。

 何故、「若きウェルテルの悩み」なのか。翻訳は高校生のころから幾度かよんでいるが、内容がキビシク愛読書にはならなかった。だが、ゲーテの代表作であり、1774年発表当時ヨーロッパで大評判となり、多くの自殺事件が起きたという。ふだん読書をしないナポレオンもフランス語版を戦場に持ち込み、愛読したという。日本では明治時代に紹介された後、実に多くの文学者達が翻訳発表している(20をこえるほど)。あくまでも想像だが、詩的、で、格調高いドイツ語が、彼らに自分自身の日本語で翻訳表現したい、と思わせたのではないだろうか。

 ゲーテ自身「・・・自分の胸の血で養った作品だ、あの中には、私の心の内面のものがたくさん盛られている。・・・私は、生き、愛し、悩んだ。・・・」と強く語る。

 ということで、ドイツ語を少し学んだ自分としては、いつか読もうと思っていた。読み始めて10日あまり、18世紀のドイツの雰囲気、難しくも美しいドイツ語にも少し慣れてきた。コツコツとだがこの旅を進んでいけそうだ。帰国する時には、胸いっぱいのお土産を抱いていたい。

   絵は、主人公(ゲーテ)が最初の赴任地、ライン地方の村で、美しい風景と人情に触れ、スケッチを楽しんでいるところ。小説の最初の部分。

                2019年5月9日  岩下賢治

 

 

 

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鍼灸治療のその後

2019年05月06日 | 日記

新宿御苑のユリノキ

 

 バネ指の治療のために鍼灸院にやっかいになっているが、そこで気がついたこと1、2を。
 私のバネ指の原因は、薬指の第一関節の炎症である。これは整形外科でレントゲン検査の診察を受けており、はっきりしている。指の腱を束ねている筋肉が、過度に使いすぎたか、あるいは何かの原因で炎症を起こした結果、指の動きに自由度が減ったのである。西洋医学だとこの炎症を抑えることが治療方法である。最終的には手術して炎症している筋肉を取り除くことになるそうだ。
 鍼灸医では炎症に直接手を加えることはしない。炎症部の神経を司っている神経の結節点らしき部分、いわゆるツボを探り当て、刺激し、滞っている血流を正常に戻すのである。私の場合、触診の結果、指の炎症は肩からきているのではないかと診断され、肩に鍼治療を行っている。
 指と肩との間には、二の腕から肘、手首を挟んで相当に距離がある。原因はそんなに遠方にあるものなのだろうか。
 ところが不思議、肩に鍼を刺すと、指の炎症部がほんの少し熱くなったようで、若干だが指が動くようになった。もちろん完治したわけではない。はあ、これがツボというものなのか、と得心した次第。
 肩に問題があるらしいのは、自分自身でも感じていた。指の治療がうまくいかなくとも、ついでだから肩を見てもらおうと思っていたものだから、この診断、腑に落ちたのである。肩に問題があることが分かると、その遠因として、足の脹脛(ふくらはぎ)も施術してくれた。これにはびっくり。しかし、このことについても自分で納得できた。最近、運動した後、脹脛が張るようになっていたからである。
 週1回、いままで4回通院したが、まだ完治はしていない。今後、治療も徐々に強さを増す、つまり鍼を深く刺すことになるのだろう。鍼を刺される時の感覚は嫌いであるが、好き嫌いを言っている場合ではない。早く完治したいものだ。
 ところで、この治療で気がついたこと。
 老齢になると、膝が痛い、腰が痛い、首が痛い、といろいろと痛みだす。その原因として軟骨がすり減ったからとか、よく言われることである。それを防ぐために、何を食べろ、このサプリを飲め、とかいろいろ情報が錯綜している。しかし大元は体のバランスが崩れることで発症することが多いのではないか。例えば歩く時右に傾く癖があるとか、膝が内側に曲がるとか、猫背で上目づかいをするとか、などなど。
 若いうちはバランスが崩れていても柔軟性などで補強できるが、歳をとるとこれができなくなり、そうしたアンバランスが痛みを引き起こしているのではないか、と。
 私は若い頃からランニングをしているが、ランニングフォームに癖がある。これを正すことが怪我や疲弊を除去するはずと、歳をとるごとに理想的なフォームをもとめるようにしている。走る時だけでなく、歩くときもそうしている。
 今回、バネ指になったのは、そうした日頃の矯正が、逆に負担となり災いしたと言えなくもない。指に肩の問題が関わっていたことが分かったのは、そのバランスの崩れからだ。
 この治療が終われば、私の体は歳に似合わないくらいスムースになっていると確信しているのだ……。【彬】

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