ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

世界で最も影響のある人たち、100人。

2021年09月28日 | 日記

 米TIME誌、9月27日~10月4日号の特集は、「世界で最も影響のある人たち、100人。」the world most influential people 100.

 世界中あらゆる分野、政治、経済、科学、芸術、スポーツ、エンターテイメント・・・等で活躍する人を選び出している。今回の号で、僕の知っている人は、17人。世界は広く、深い、というか、自分は、狭く、浅い、ということか。こつこと読むことで視野を広げていけばよい。

 TIME誌は、アメリカの雑誌で、アメリカの視点で編集されている。世界を俯瞰するようなこの特集は2004年から続いている。改めて、単純明快で、大胆で、アメリカ的だなと思う。

 ところで、さきの東京オリンピック、パラリンピックのこと。自国開催ということもあり、じっくりと観戦した。競技そのものが素晴らしいのはもちろんだが、世界のあらゆる国や地域から参加するアスリートの出身地のことを調べたり、想像したりすることが楽しみだった。そして思うのは、世界は広く、深い、自分は、狭く、浅いということ。

 さて、TIME誌の100人の中に選ばれている日本人は、建築家の隈研吾氏、テニスの、大坂なおみさん、大リーガの大谷翔平さん。彼は今、大記録に向け活躍中。

 絵は、TIME誌の表紙をスケッチしたもの。100人の中の一人、台湾出身の、起業家ジャンスン・ファン氏、

       2021年9月27日  岩下賢治

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野菜を工場栽培する

2021年09月25日 | 日記

       木に絡み、たくさんの実をつけたムラサキシキブ

 今、60歳台以上の人は実家が多かれ少なかれ農業に関係した職業で、農業が日本を支えたいた時代の子どもたちである。だから農産物がどのように生産され、販売されていたか、その実態を体験として持っている。もちろん私もその一人である。だから果物類は別にして、農産物の品質や価格については、ある程度推測がつく。
 ところでこのところの野菜類、特に葉物の価格の変動は度が過ぎるように思う。例えばレタス、高値は一玉300円以上、安値は同90円とか。しかも出来が一様ではない。一玉300円のものが、巻き大きさが変調で、腑抜けの感じがする。原因は言うまでもなく天候だ。8月に入って雨が多く、露地物が被害を受けたのである。
 作柄が天候に左右されるのは、農産物の宿命だと言えばそれまでだが、今日のような高度な工業社会で、依然として天候に依拠していると言うのは、どこか欠陥があるのではないか、と思わざるを得ない。
 この問題の所在、解決の仕方ははっきりしている。農業を農家から切り離すことだ。ところが農地は農業以外に転用ができないように法律で定められているから、誰も手を出すことができない。戦後の農地改革以来、保守革新とも農業・農家に依拠してきたことが今でも続いているのである。
 昔、東北の篤農家の人と話したことがあって、高度成長期に入ってそろそろ食糧管理法による米価の政府一括買い上げは止めるべき時ではないか、と述べたところ、その社会党系の人に一喝されたことがあった。食糧生産こそ国の要であり、農家の生活を守るためにも絶対に維持すべきだというのである。こうした考えは戦争時の考え方(1942年制定)で、その後も永らく続いた。ムシロ旗を掲げ、国会周辺をデモ行進していた農家の人たちの姿を今でも鮮明に覚えている。
 農業は自由化すべきである。特に農業委員会による農地の支配は廃止すべきである。多少、運用に多様性が生まれているが、税制を含め、農地の優遇は、果てしない。農地を自由に売買できるようにすれば、農業は一変する。都市近郊では農地への大資本の参入で、工業化が一気に進み、葉物類は広大なハウスで電力を使って温度管理がされ、水耕栽培されるようになり、均一な作物が年に二度三度と収穫できるようになるだろう。しかも収穫後の後始末も簡単、価格も一定水準で高品質、高価格で安定するはずである。
 農業というのは労働集約型の季節労働である。農繁期は仕事量が過大だが、農閑期になると、すべき仕事がなくなる。だから、若い働き手が定着できない。その結果、農家は高齢化が進み、後継がいない状態がずっと続いている。それで農業技術研修の名目で外国人労働者に依存するようになっているのも、農業が工業化できないためである。天候や季節性から開放されれば、農業は将来有望な産業になること間違いない。【彬】
 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電気は安く大量に

2021年09月20日 | 日記

                   キンモクセイが花盛り

 自民党の総裁選びが過熱している、ように見える。内部のことは私たちには見えないし、分からない。
 ただ、漏れ伝わることでは、脱炭素化、再生エネルギーへの転換、が大きなテーマになっているようだ。石油や石炭などの化石燃料を使わないこと、これはヨーロッパから始まった社会的・政治的運動で、地球温暖化を止めるために2050年までにCO2の排出量を実質ゼロにするという。この運動、欧州連合の行政機関が一旦を担いでいるらしい。
 私たち生活者にとっては、エネルギー源をどこに求めようと、電気として供給される分にはそれで満足だから、電源については積極的には関心を払わない。原発は事故が生じたら大変だ、くらいの認識だ。大騒ぎをしているのは一部政治家、世界企業、マスコミ界隈だけである。石油であろうが、石炭であろうが、原発であろうが、さては地熱だ、太陽光だ、風力だろうが、電気そのものには色がついていないのだから、消費者として積極的に関わることができない。原発の電気は使わないなどということはできないのだ。
 私たちに問題なのは、どこにいても電気が〈安く〉〈自由に〉〈大量〉に利用できるかどうか、だけである。
 CO2削減運動を受けてか、数年以内には、あらゆる種類の車輌が電動式になるようだ。いずれ蓄電能力が革命的に向上(不可能らしい)すれば、船や飛行機でさえ、電気で動くことになるだろう。地区のゴミ焼却炉も当然電気になる。また、エネルギーとして電気は、その他のエネルギー、例えば火力などに比べ、圧倒的に使い勝手が良いから、大量に安く使えるようになれば、それ以上のものはない。原子力潜水艦のような巨大な乗り物だって原発エネルギーによる電気で動いているのを見れば明らかである。
 だから私はCO2削減ではなく、発電と送電、蓄電能力を圧倒的に向上させることこそ、快適な未来へ踏み込む本命だと考えている。ところが今は電気はガスより高いのだ。家庭内のガスコンロ、湯沸かし器など、全て電気になって欲しいものだ。
 いっとき、ICパネル(集積器)を産業の米、とかといって尊重していたが、あらゆる部門の米となるのは電気である。電気こそ文明・文化の素である。環境に優しい再生可能エネルギーなどではなく、小スペースで、安価で大量の発電ができる装置こそ私は最も望んでいる。理想を言えば、宇宙空間に太陽光発電機を置き、地球に送電できるのが最も望ましいのだが。【彬】

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋のヒマワリ

2021年09月16日 | 日記

 9月中旬の或る日。小金井公園にランニング練習に行った。公園までは歩き。途中、キンモクセイの香、そして彼岸花が秋であることを知らせてくれる。

 公園内の練習コースに使っている歩道沿いは、エゴノキの仲間ハクウンボク(白雲木)の並木道である。初夏の時期は白い花が咲いていたが、今は実をつけている。

 広い芝生の広場の中央はヒマワリ畑のとなっている。この時期、昨年まではコスモス畑だったと思う。「この時期、コスモスの花であってほしいな。」などと思いながらも、練習を終えた後、そちらに脚を運ぶ。背丈1メートルほどのヒマワリの群生。風に揺れる花は、夏の元気を蓄えニコニコ笑っているようだ。カメラを手にした人、ただ座り眺めている人さまざまな景色。

 そのうち、幼稚園児の一団が現れ、「ヒマワリさんこんにちは。」と周りではしゃぎ回る。

 引率する先生が子供たちを花の前に並ばせ写真を撮る。子供たちのはしゃいだ笑い顔は、ヒマワリの花のように明るく元気だ。

 ヒマワリの花は9月いっぱいは咲いているだろう。こんな時節にあって、秋であっても明るいヒマワリの花に元気をもらえる。この日はずいぶん気分の良い日になった。

    2021年9月15日  岩下賢治

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ禍この間

2021年09月13日 | 日記

                    萩

 この間、ユーチューブを良く観て過ごした。普段はほとんど見ないのだが、新聞やテレビがつまらないので、暇に任せてよく観た。と言っても限られていて、私が見たのは囲碁や将棋の解説、それに野球の技術解説(主に古田と五十嵐亮太のコンビによる投げ方、打ち方、など)、為末大の走り方教室、水彩画の描き方、各種ストレッチ・トレーニングの方法など。
 これらの番組で、今まで自分の曖昧だった知識、知らなかったことなど、ずいぶん学ばせてもらった。ネットワーク時代の有り難さが実感できたこの間だった。
 おそらく今の若い人たちはこうした番組を通して新しい知識をどんどん吸収していっているのだろう。知識や技術の伝承伝達が、先生やコーチ、先輩など以外からどんどん広がっていき、従来の学校由来型知識からメディア由来型に発展していくとのだと思うと、私など古いタイプの人間には羨ましい限りである。
 こうした方法で旧来社会を凌駕していって欲しいものである。
 というのも、私など古い世代での、部活の弊害をモロに被ってきたものにとっては、隔世の感があるのだ。極端にいうと、私は学校のクラブ活動は全て廃止すべきなどと考えているので、そんな過激なことよりも実質的に止揚してしまう今の時代が羨ましいのである。
 こうしてユーチューブからの知識を活用し、細々ながら色々トレーニングを試みている。野球にしろ、ランニングにしろ、碁将棋にしろ、絵にしろ、これから上達するわけではないが、基本に立ち返って実践するのも楽しいものである。今はランニングでの足が流れる走り方の改善に取り組んでいる。だからといって速くなるわけではないが、改善のテーマを持ったことは、年寄りの生きがいの一つである。【彬】

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする