ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

年の瀬に‥‥年金制度について

2016年12月26日 | 日記

 カンアオイ。林床の崩れた土手などに、土から直に目を出すように筒状の花を咲かせる全く地味な冬の花。

正業を持たず、貧しさを凌いでいた友人が、ある時訪ねてきて、

 「日本の社会保障って、捨てたものじゃないね」と言う。曰くに、社会保険庁から連絡があって、保険が支給されるので手続きをするようにとのこと。なんだろうと尋ねると、昔、長期のアルバイトをしていた会社が、社会保険を掛けていてくれていたというのだ。それが支給年齢になったという。友人の安心した様子が忘れられない。

 会社は善意で年金を掛けていたわけではなく、法的に義務付けられていたのだから、年限が来て支給が開始されるのは当然のことなのだが、アルバイト時代の友人はそんな社会保険制度など、一顧だになく保険料を給料から天引きされていたわけである。

 保険の有難さは給付を受けて初めて知る。給付額が少ないとか喚いている政治家もいるが、この保険制度は戦後の日本が確立した最も成果のある制度であることは間違いない。ところが今、この制度が医療保険と相まって危機に瀕している。少子高齢化の流れで、負担者より給付を受ける人たちの割合が圧倒的に多くなっているからである。2017年の国の一般会計予算案によると、歳出総額96兆円のうち、社会保険関係(医療、年金など)が32兆円で、全体の33%を占めるようになっている。この分野の費用がいかに国の財政を圧迫しているかが想像出来よう。このまま放置していけば、赤字は際限なく膨らみ、若い世代の重荷になっていく。

 この問題解決の方向として、前回紹介した自民党の小泉世代が提言しているわけだ。彼らの考えは、結局のところ、世代間負担の現状を、家族負担の割合を増やしていって凌ごうとするものである。ますます高齢化が進めば、現役世代では支えきれないことは明らかであるから、一理ある方策ではある。

 私は逆に世代間負担の考えを根本から廃棄すべきだと考える。負担する人と受給する人を分けるのは嘗ての産業社会の思考を引きずりすぎている。特定の世代に負担を強いる現状は是認できない。だから、雇用者である会社も保険料の負担せざるをえない正社員の雇用を控えるし、また保険料を支払わない人達も相当数にのぼるのだ。リタイアした老人だけが生活困窮するわけではなく、若い人でも受給を受けるべき人は多数いるのが今日の格差社会だ。

 ではどうすべきか。所得額とか、年齢とか、家族とか、そういう社会的な枠組みをすべて廃棄し、税の仕組みを個人を単位とする消費税社会にすべきだと、私は考える。議員の投票では投票権に区別はない。若い人、老人、障害者も一律に一票を行使する。保険制度も同じだとおもう。消費税というのは税としてもっとも公平な制度・仕組みだと思う。今日、生活を送っていく上で、ものを購買しないで済ますことはできない。無尽蔵だとされる水や空気でさえ、購買の対象となっている。だから、お金持ちは大量の物に大金を消費するだろうし、質素に暮らさざるを得ない人はなるべく少ない消費をしているに違いない。その税の一定割合を給付額として分離し、年齢関係なく所得の少ない人に医療費や社会保障費として分配する。

 こうした考えは単なるアイディアではなく、理想的な将来社会を想定するうえから生ずるものだ。マルクス風に言えば家族の廃止、つまり社会制度の揚棄という展望でもある。【彬】


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チェインジ

2016年12月21日 | 日記

 米タイム誌の、12月19日の号は、年末恒例の、person of the year の特集号である。

 2016年に、世界に最も影響を与えた人物。ことしは、次期アメリカ大統領の、トランプ氏を選えらんだ。タイム誌は今年に入ってから、5回もトランプ氏の特集記事を組み、批判的な立場の論調であった。編集長の巻頭言は、いい意味でも、悪い意味でも、大きな影響を与えたが、大変難しい選択であった、のように書いている。

 それだからこそ、今回号は、従来の民主党側、また、反トランプ側だった多くの有権者が、いかに彼への投票に替えたかを個別にレポートしている。さらに、クリントンの選挙活動の不備をあげ、ただし、女性大統領への道筋は示したとの論調。

 また、大衆迎合という点で、1820~30年代の第七代大統領ジャクソン氏と類似性があり、ポピュリストとしての前例がある、との話も。

 世界的に保護主義の動きのなかで、イギリスのUE離脱の指導者の話等々・・・・幅広く中身の濃い記事である。

 これら記事は、今日、多くの人々に、チェインジを求める強い意思があるということを炙り出しているのだろう。政治のチェインジは、つまり、個人のチェインジでもある。チェインジは進歩をもたらすものだろう。

 年末を迎え、来年に向かい、僕自身チェインジを意識しなければ、と思う次第。 

 絵は、トランプタワー自宅の応接室に立つ、トランプ氏 

     2016年12月21日  岩下賢治

 

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小泉進次郎氏ら、2020改革の提言

2016年12月12日 | 日記

  鉢植えの金柑がたわわに実をつけています。

 2020年以降の経済財政構想小委員会というのがある。小泉進次郎氏ら自民党の若手議員を中心に構成された、財政再建特命委員会傘下の小委員会である。

「人生100年の時代をどうすれば安心して過ごせるのか。そう考えたとき、私たちは3つの柱を立てました」
 10月26日、自由民主党本部での記者会見。会見席に座った小泉進次郎衆院議員はそう切り出した。横に並んだのは村井英樹、小林史明の両衆院議員と、山下雄平、吉川有美、両参院議員。5人の若手議員は、社会保険や年金で新しい制度を構想したと発表した。
主な柱は3つ。1)正社員と非正規雇用を問わない「勤労者皆社会保険制度」の創設、2)「人生100年型年金」(年金受給年齢の柔軟化)、3)健康ゴールド免許(自助を促す自己負担割合の設定)。
 具体的な中身については後述するが、今回発表されたこの構想は、いくつかの点で異例なものだ。」
 以上、森健/Yahoo!ニュース編集部より。

 民主国家の政治的な眼目は国民の平等ということにつきるから、社会を分析する視点というのは、まずは年齢階級的分類、そして農業、工業、サービス業など職業分類、年収分類、さらには地域分類といった社会学的な基礎的分類の上に立っている。医療や社会福祉、税制など、すべてがそうした観点から補助などが制度化されている。
 小泉氏らの構想はそうした旧来の分類では、2020年以降の人生100年時代には対応できないというものだ。そこで社会的な階層より、個的な実質生活を基礎に置いた政策を構想しようというのである。こうした考えが現実の行政の中にどう反映されいくのかは全くの未知だが、保守勢力とされる自民党の中から将来を展望する考えが出てきたことに感銘を受ける。いわゆる右からの改革である。
 漠然とだが、これはいわゆる西欧的な福祉国家論の破綻からの脱出へのひとつの模索であることは間違いない。トランプ現象などに振り回されることなく、未来への方途を見定めたいものだ。

 本来、左からの提言が待たれるのだが、それは絶望的。わたしは原発を含め気がついたことを随時、書きとめることにしたい。【彬】

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初冬の小金井公園

2016年12月09日 | 日記

 この11月末から12月初めに、久しぶりに小金井公園を訪れた。

 夏の間、ランニングの短距離練習でよく来ていた。夏には青々と隆盛を極めた木々は、今、紅葉が進み、そして落葉していく。同じ場所に立ってみると頭の中の風景がはげ落ちていく。季節は変っていく。

 数匹の雪虫が、粉雪が舞うように浮遊していた。普段は気にも留めないのだが、この時は、掬い取るように手に取った。体長3~4ミリほど、白い綿毛を着たような羽虫のような生き物。じっくり観察しようと、小箱に収め懐に入れ、帰宅して開けてみると、雪が解けるように消えて無くなっていた。不思議だが、気にしないようにした。儚い虫なのだ。

 北海道では、雪虫は初雪の到来を告げるものだそうだ。東京でいえば、冬の訪れを知らせる、ということだろう。

 冬は僕の好きな季節だ。2年前まで、茨城県北西部住んでいた。冬は東京よりかなり寒いが、山里を巡るランニングではこの季節が一番気に入っていた。寒気の中、豊かな自然の中を走ると、凛としたものを体内に感じていた。

 東京の自然豊かな小金井公園。冬の季節、寒々と葉を落とした木々を見ると、寂寥感を覚えるが、それは冬の風情である。一方、自分の中には何か暖かいものを感じる。今、その自分に気にいった季節の入り口にいる。

  絵は、12月初めの小金井公園。ユリノキの並木道ランニングコース。

    2016年12月8日  岩下賢治

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皇居でカイツブリを観る

2016年12月02日 | 日記

 小春日和の一日、皇居二重橋前のお堀でカルガモやカワウに混じってカイツブリの番を観ることができた。既に冬羽に生え変わったのだろう、黒々とした羽で、その丸っこい体を水面に浮かばせていた。

 カイツブリは一見すると鴨のように見えるが、嘴を見れば、違いがはっきりする。鴨はヘラべったい嘴で水面をグチュグチュいわせて漁る。カイツブリは尖っていて、餌は水中に潜って獲る。鵜も潜るが、こちらは本職で、バサッと潜ると1分ほどたっても出てこない。そして潜った位置からだいぶ離れたところに浮上する。カイツブリは潜ってもせいぜい10数秒ほど。そして同じところに出てくる。そして潜る時の音がかわいらしく、ボコッ。。。だ。

 今の時期は、木々の葉が落ち、渡りの時期と重なるせいか、鳥たちの動きが活発に思える。疲れた時には、川辺に行って水鳥を観察するのもよい。【彬】


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