ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

なにが政治なのか、私の知ったこと

2012年11月27日 | 日記

 

 

12月に国政選挙です。

保守だか、革新だか、改革だか、なんにせよ、世の中の動きが前のめりになって、危うい感じがします。あまり踏み込みたくない分野ですが、小生の思う最低限のことを書いておきます。

政治ということで、私が知識として、体験として学んだことは、次の3つです。

①政治は経済活動に多大な影響を与えるということ。

当たり前かもしれません。でも、経済活動の自律性を前提にしないかぎり経済学は成立しません。古典経済学の時代は、それで済んでいましたが、経済と政治の関係をダイナミックに連動させ、思想としてはっきり体系立てたのはマルクスです。金融が金本位制から離れ、技術が高度に進んだ現代では、政治と経済はそれこそ一体です。身近なことでは、池田勇人内閣の「所得倍増」、田中角栄内閣の「日本列島改造インフレ論」、中曽根康弘内閣の「公共投資バブル景気」、小泉純一郎内閣の「郵政民営化と規制緩和」などを思い出すだけで十分でしょう。

選挙は政権党を選ぶわけですから、経済の動向を見極められる政治家を選ぶこと、これが第一の選択肢になります。でも、現在の情況で、誰が、どの政党が経済情況(デフレとか、TTPとか、言いますが)の本質を理解しているのか、まったく判断がつきません。資本主義が高度になり、なにをどうしたら景気が上向くのか、わからないというのが正直なところだと思います。

大情況は無理でも、私が気にかかるのは、若い人の生活が安定すること、だと思います。若者の失業をなくすこと、そして相応の給与を支給することが最大の問題だと思います。自分の若い時もそうでしたが、若い時に経済的に惨めなのは最悪です。

②政治は利害の調整機関であること。

森鴎外の歴史小説、たとえば「阿部一族」などによく表現されているように、政治は昔も今も利害の調整機関です。古くは土地の区画争い、近くは資本家と労働者の利害関係など、です。最近「決められない政治」などと言いますが、この利害関係の調整機能が働かないのです。というのも、何と何が利害関係で対立しているのか、錯綜して不分明になっているからです。観念的な対立ではなく、具体的に問題を提起してほしいと思います。例えば原発です。文明の支えである電力は、安価で十分に確保できること、これが根本です。ほかに、対立軸はありません。私は高価な再生なんとかより原発エネルギーを選択します。

③政治権限はできるだけ縮小した方がよいということ。

国家の権力は、使う気なら軍隊を含め圧倒的な力を発揮します。ほうっておけば、どんどん強くなっていって、私たち国民の上にのしかかります。そうすると、寄らば大樹の木で、権力の傘の下におさまろうという動きが強まります。政治や行政にすがるのではなく、できるだけ自分たち自身で自前に生活できるようにすることのほうが、まともです。

小生の尊敬する吉本隆明さんは、政治の最終的なゴールはゴミの収集=町会のゴミ当番のようなものだといっています。 

それで思い出すのですが、高校生活などでやむを得ずクラス委員になってくれる人がいます。学校=教師側との連絡係なようなもので、たいした役目ではないのですが、この役割をする人がいないと、授業の準備などで支障がおきます。こういう人にはほんとうに感謝ですが、その一方で、つまらぬ目標を掲げ生徒会の会長などに進んで立候補する人がいます。いわゆる政治家の卵みたいな人=意識なのでしょうね。こういう人が、社会をだいなしにしているように思うのです、、、。【彬】

 

 

 

 

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大きなかかし

2012年11月17日 | 日記

先週の日曜日(11日)、お仲間で茨城県坂東市の「いわい将門ハーフマラソン」を走ってきた。
4千人くらい参加した。調子は上々だったが残り2kmぐらいで足が棒になりやっとの思いでゴールした。
途中畑の中をはしる。いつもはなにもないところを通るのだが、今年はなんと「おっきなかかし」をつくり、中に人が入って選手を応援してくれた。開催するにあたり、いろいろアイデアをだしてがんばってる。ゴールすると地場のレタスをもらえる。新鮮でおいしかった。パリパリ感がある。
それと震災前にはなかったコースには、コスモスが多く植えられちょうどピンクの花が元気づけてくれた。帰りはお風呂に入り、サロンバスで一杯飲んで楽しい1日をすごせた。(か)
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11月の那珂川あたり

2012年11月17日 | 日記

私の勤務する茨城の会社の前に、那珂川が流れる。

両岸に風光明媚な景色をみせる川だが、初夏は鮎、秋は鮭の遡上、でも季節を感じる。

晩秋の一つの風物詩は、川霧とその上空を遊ぶ熱気球、であろうか。気温の低い朝方は、川周辺が霧に包まれることが多い。そして、11月中旬~下旬にかけ、隣町、茂木市の、ツインリングモテギ(自動車レース場)の敷地を基点とする国際的な熱気球大会が開かれる。色とりどりで個性的な模様のたくさんの気球が浮かび、中には会社のすぐ近くにまで流れてきて高度を下げてくるものもある。

川霧の神秘的な風景、巨大な熱気球を目の前に見る、ワクワク感。それぞれ晩秋の、那珂川あたりの楽しみである。   【岩下賢治】

 

 

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リンゴの葉摘み

2012年11月12日 | 日記

 

福島県・松川町の、あるリンゴ農園に援農に行ってきた。

援農というとカッコいいが、実働は5時間ほどで、果たして援助したことになるのかどうか。作業は、リンゴの葉摘み。葉摘みというのは、果実が日の光を存分に吸収し艶やかな赤みを得るために行う、余分な葉取りである。

リンゴの果実は葉などの陰になっていると色づきが悪い。そして、陰の部分だけが斑になって、市場に出た場合の品質等級に大きなハンデとなるので、農家は、収穫の最後の仕上げとして葉摘み=陰を除去するのである。同時に玉まわしといって、枝などに絡まっている部分を回転させ、色むらを無くす操作をする。この作業を終えると約2週間くらいで、ようやく収穫となる。こうした作業は商品価値と直結するために、欠くことのできない作業なのである。ところが、これが機械化できない。これこそ農業の、農業たるところである。

リンゴにかぎらず、野菜、穀物などの農産物には、生育から収穫までに、私たちが思い描いている以上の作業が加わっている。昔だと、稲の場合など、夏場に信じられないような除草作業があった。今では除草剤や機械化が進んで、過酷な作業から解放されているわけだが、無農薬作物などと気安く言う人がいるが、農法の近代化=農薬や化学肥料による恩恵は、その収穫量をとってだけでも雲泥の差があることだけは知っておくべきである。

作物というのは品種改良が進んで、原生種からまったく離れた植物種であるから、これが育つためには、どうしても人間の関与が必要となる。ほっとくと原生種に返っていく傾向がある。ですから、作物を育てることをcultivate、つまり耕すことであり文化と言っている。自然志向とか、科学万能への警鐘とか、という風説が盛んだが、もっとも身近な食品の世界が、どのように栽培されているのか、なまじの風潮では解せないことが、作業を通じてよくよく理解できた数時間であった。【彬】

 

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実った柿、収穫する喜び

2012年11月02日 | 日記

 

 

我が家のほんの狭い、文字通り猫の額の地面に植えた柿の木に、なんと十数個の実がついた。甘柿である。「収穫」が待ち遠しい。早くもぎりたいのだが、家内がまだまだと許さない。

毎日、柿の色づきの変化を観察している。楽しいものである。植物を育てること、精神の安定剤としてこれに勝るものはない。

おそらく結果が予測できるからであろう。育てた結果が化け物になるような不安があるならこうした安心感は生まれないに違いない。

四方田犬彦氏に「先生とわたし」という興味深い書物がある。これは先生である由良君美氏が優秀な弟子である四方田氏に嫉妬する話である。先生の喜びというのは、弟子が成長していく姿であろうが、その結果、弟子が先生を凌駕していくとどういうことになるのか……、とういう人間臭い話である。

育てるというのは簡単なことではない。

育てている柿から、とんでもない脇道に入ってしまった。  【彬】

 
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