ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

早春は花ざかりの予感

2021年01月30日 | 日記

オトメツバキ


 ボランティアで手伝いをしている地域ひろばの、オトメツバキが一輪花を開いているので、側によって見てみると、細い一本の木に、なんと十数個の蕾を持っている。これから4月末まで次々に花開いていくのだろう。
 その傍らにはユキヤナギが植えてある。この灌木も腋芽に沿って蕾がビッシリ。春を代表するのは、このほかにレンギョウ、梅、水仙、さらにはサクラだが、おそらく今春はこうした花が次々と花開き、かつてない色とりどりの満開の花ざかり風景を繰り広げることに違いない。
 草花のこのように春を待ち望んでいる光景は、花芽を付ける昨夏から秋の天候が安定していたためである。思えば関東地方には台風が来なかった。大型の台風は東シナ海から朝鮮半島の方に北上し、日本本土にはあまり影響がなかったことを思い出す。
 今、北陸地区で豪雪が続く。この雪は良質な米を作る水源になるものだ。地球温暖化などと北欧の神がかった少女の軽々な議論などにのらず、身の回りの草花や習俗をじっと見回すことの方が、私たちの生活にとっては数倍重要だ。【彬】

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大学入学共通テストに挑む

2021年01月27日 | 日記

 大学入学共通テストが1月16,17日に実施された。16日は文系科目、17日は理系の科目である。

 僕は、文系の人間だが、数年前から、高校の理系の科目の参考書を読んだりして、自分の足りない部分を埋めようと努めていた。そして、この機会に、資料を入手し共通テストをやってみた。科目は、数学IA、ⅡB、物理、化学、生物、である。ふたを開けてみると、広範囲から大量の問題数、内容も難しい。自分は基本的なものを、回答し、あとは、参考書に頼るが、正解にたどり着くことは困難。正確な知識、その応用、思考力が必要なのだな。数学、物理、化学については、解法手順の解説が、ネットで動画配信されていて、そのおかげで、正解への道筋の微かな光が見えてきた。

 今回テストは、思考力、判断力、表現力、を見るものだそうだが、数学では、陸上競技選手の練習管理、日本の産業構造の時系列分析、生物では、気候温暖化、ウイルス、免疫、ワクチン、など、現実の重要課題をテーマにしている。

 自宅近くに、国立の理系の、東京農工大学の工学部がある。キャンパスは自然豊かで、僕はよく散策したり生協を利用する。学生たちを、いつも真面目そうでかわいい子だな、などと見ていた。彼らは、今回のような試験で選抜された優秀な学生たちなのだ。今や、理系人材が求められている時代。これから社会を支えていく人材なのだ。

 今、緊急事態宣言で大学は閉鎖されている。コロナが収束し、学生たちが普通の学生生活に早く戻れることを願うものである。

 絵は、東京農工大学小金井キャンパス東門。アーチが特徴

  2021年1月26日  岩下賢治

 

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コロナ情報、窓口はどこか

2021年01月22日 | 日記

道端の日本水仙

 東京都のコロナ感染情報、我々がメディアから得るものは、感染者が2000人になったとか、あるいは1200人で先週の火曜日より増えたとか、さらには重傷者が何人増えたとか、そんな情報ばかりだ。メディアにとっては感染者や重傷者が増えることが嬉しくて仕方がないよう。そこに専門家だと称する医者がタレントよろしく得々と喋る。
 こうした感染情報やコメントに私は納得できない。大事なことは感染の実態なのに、その様相がよく伝わってこないからである。
 私たちが知りたいのは、このウィルスの特徴に即した情報であって、一般的な感染症のデータ云々デアはない。伝えられところによると、このウイルスは、潜伏期間が長いと言うこと、弱毒性であること、飛沫感染らしいこと、感染力が強いらしいこと、などが挙げられている。だから、そうした状況を見るためのデータが知りたいのだ。一般的な病状者の数ではない。少なくとも発症者の数以外に、例えば以下のような指標のデータが求められよう。
 陽性者(潜伏者)はどのように発見されているのか、陽性者のうちまだ発症しない人による伝染力はどうなのか、飛沫感染すると言われているが、どういう場所が多いのか、などである。飲食店の営業の自粛、マスク装着など行動規制をしているのであるから、その根拠となるデータ、すなわち上記のような情報は必須のはずである。
 当然のことながら、特定感染症であるから、こうしたデータ情報は保健所が中心になって各自治体が取りまとめているはずだ。東京都の場合は、独特な方法を駆使しているらしく、モニター情報などを加え、特設サイトをウェブ上に設け、公表している。ところがここに発表されているものは、統計学に無知な素人が見てもよくわからない。NHKも同じように特設サイトを設け、独自にデータを集め発表している。ところがここで集約されたデータを、通常のニュースで解説しながら放送することはない。なぜなのだろうか。
 基本データはありながら、メディアで云々されるのは、感染者が増えたとか、重傷者が増えたとか、と言った事ばかりである。これは言ってみればデータの秘匿であり、事態の煽りをしているとの謗りを免れない。
 清水幾太郎の名著「流言蜚語」ではないが、情報が一方的であるとき、噂、現代風に言えばヘイクが蔓延る。せっかくのデータなのだから、東京都はメディアを通じて明瞭にデータの意味することを解説し、伝えてほしい。それが広報というものだ。知事がパネルを片手に自粛自粛というより、ずっと説得的である。私たち都民は無知ではない。知的大衆(関川夏央さんの言い方)なのだ。
 NHKは東京都に対して無料で番組帯を提供すべきである。それこそが公共放送である。【彬】

 

 

 

 

 

 

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跡地に巨大なワンルームマンション

2021年01月14日 | 日記

ツワブキが咲く季節です。

 私の住む都内の、東京ガスの営業所が取り壊され、跡地にはワンルームマンションが建てられることとなって、現在工事中である。都内の一等地で相当広い敷地であるから、100戸から200戸ほどになるのではないか。ワンルームであるから、単身者用か、子供のいない夫婦用か、用途は限られよう。
 都内はこうして人口が増えていく。ワンルームではないが、若い家族のマンションの需要も強く、その反映として保育所があちこちに作られている。もちろん民間の保育所だ。裏通りを歩いていると、色とりどりの帽子を冠った、よちよち歩きの子供たちが保母さんや保育士に引き連れられて散歩しているのに出くわす。
 10年くらい前は、都心の児童数が減少し、小中学校の統廃合が相次いだ。ところが今は児童数が増えて、公立の小中学校は満杯の状態である。
 若い人たちが都心を目指すのは、仕事の関係だろう。地方にいるより、都心に出た方が、職場を見つけやすい。しかも交通も便利で通勤に困らない。育児や教育も都会の方が有利なのかもしれない。
 コロナ禍、都心から地方に出ることが抑制されているが、逆に地方から都心に向かうことは自由だ。こうした動向を見ていると、都市と地方の格差の問題、解決の方向が何かちくはぐなところがある気がしてならない。以前から地方創生とか、地域の活性化などと掛け声は多いのだが、根本的な問題はなんなのだろうか。
 これは、私は地方=農業という位置づけ、あるいは都市と農村の対立だとかいった考えの最大の欠点で、マルクス主義から今日のあらゆる思想の最大の問題点だと思う。だから地方創生とか地域の活性化などと訳のわからないことを言う。こうした考えは、いわば、第二次産業が盛んな時代の残滓に過ぎない。
 私が知事なら近郊に著名な大学病院を誘致し、医療の充実した医療都市を構想する。周辺には各種の高齢者向け団地を作る。同じようにスポーツ施設が整い、いろいろなクラブチームを支援育成している都市、芸術家が制作・発表しやすい都市、色々とあると思う。それらが都市として自立すれば、それに釣られサービス産業や農業が付随してくる。
 文明とはcivilization、言わば都市の別名だが、都市一極化ではなく、文明を分散する方策が求められていよう。空想的だが、未来に一歩でも踏み込むこと大事だ。【彬】

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今年は丑年

2021年01月09日 | 日記

 頂いた年賀状を読む。挨拶の言葉の背景に、様々な牛のイラストが載っている。

 今年は「牛」年なのだな。牛は大変かわいい動物だ。13年間過ごした茨城時代の牛の思い出が懐かしい。

 当時勤めていた事業所は、某メーカーの開発部門で山里の奥にあった。その近くに、黒毛和牛を肥育する農家があり、よく牛を見に訪れていた。最初は警戒するが慣れてくると、実に可愛い顔をみせてくれる。僕の住んでいた常陸大宮市には、市営の牛牧場があり、また、セリ市場がある。そういった牛について社内に紹介しようと、社報に書いたことがある。その一部を抜粋すると、

「今年は丑年。常陸大宮市には、県立畜産研究所、市営牧場、JAのセリ市場といった食肉牛の施設が整えられ、高級黒毛和牛、常陸牛を肥育する畜産農家も多い。これらの施設は一本の道路で結ばれ。なだらかな丘が連なり牧歌的な風景が美しい。・・・・・・

ぼくの知る畜産農家では15頭が肥育され、それぞれ名前をもっている。飼い主は顔で見分けがつく。手塩にかけた牛を手放す時が農家にとって一番つらいという。・・・・・・」

以上一部抜粋。

 セリ市場では自分の運命を悟った牛が、懸命に抵抗する姿もあった。これが最後と観念した表情の牛もあった。実際に目には涙が流れることもあった。それを見た後では、しばらく、罪悪感を感じ牛肉が食べられなかった。

 ともかく、人間は牛に助けられ、牛の上にのって、生きてこられた。これは事実だと思う。今年は丑年。色々大変だが良い年にするよう努力したい。牛に恥じぬように。

 絵は牛のセリ市場。思い出しながら描く。

    2021年1月8日  岩下賢治

 

 

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