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よし坊のあっちこっち

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映画三昧 - 白い巨塔

2011年09月19日 | 映画
役者、俳優には代表作と呼ばれるものがある。雷蔵の狂四郎であり、勝新の座頭市であるならば、田宮二郎のそれは紛れも無く「白い巨塔」である。

映画の白い巨塔は良かった。田宮が漸く辿り着いた作品であったろう。しかし、同じ田宮の主演で1978年に放映されたテレビドラマの白い巨塔は、映画の巨塔を超える出来映えと言ってもいい、そんなドラマだったと思う。象牙の塔の中で、権力を目指す財前五郎は、大映でトップスターという「権力」を目指しもがいていた田宮の陰影と二重写しとなりドラマに深みを増しているように見える。田宮と反対の極にいる山本学も良い出来だし、愛人役の大地喜和子が、すこぶる良いのだ。その後、他の俳優でリメイクもあったが、田宮の巨塔には迫れない。

田宮二郎が生きた時代がある。
鼻っ柱の田宮が大映のニューフェイスとしてデビューした大映は、時代劇の大映で、看板は雷蔵、勝新。現代劇では川崎敬三、船越栄治などで、所謂文芸路線かそれに近い物が主流であり、彼を活かす企画は、軽い物にならざるを得なかったのであろう。勝新の「悪名」で飄々とした清次を好演しても、主役ではなかった。だから、映画の配役序列にも拘り、暴君永田雅一の逆鱗に触れてしまった。

映画が斜陽に向かう中、トップスターへの階段を上がろうともがき、そして規制の強い映画界で、その場を失ってしまった。不本意ながら、時代の流れがテレビに傾く中で、渾身の力を込めてぶつけたのが、31話にも及ぶ連続ドラマ「白い巨塔」だ。

最終話の放映を待たずに命を絶ったと聞くが、最終話の「最後」の演技が、「最期」の演技にダブルのは考えすぎだろうか。

「白い巨塔」は、間違いなく田宮二郎の代表作である。


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