よし坊のあっちこっち

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我が街 アトランタ (4) 一路アトランタへ

2016年02月15日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
4月の新年度に合わせて3月末までにはアトランタへ赴任すべく準備が始まったのだが、すべてはビザ次第である。一か月もあれば取得出来るだろうと思われたEビザ申請、これがなかなか下りない。人事では遅くとも3月末までには下りるだろうと、早々と3月末付けで人事発令を出してしまった。人事発令を急いだもうひとつの理由は3月末で事務所を移転し、組織も新体制になる予定であった。そして、ビザが下りないまま4月に突入した。この時点で本社でのよし坊のデスクは無くなったのである。

4月からビザの下りる6月までの約2か月半、よし坊は宿無しとなった。会社に行っても席が無いから、空いている会議室を転々とする有様で、それはまるで窓際族のような味わいであった。あ~窓際族とはこういう雰囲気なのだな、と。お陰でいい体験をさせてもらったと思っている。

思えばこの年、1995年は記憶に残る年である。年明けの1月17日は関西淡路大震災を奈良の家で体験し、3月20日には東京で地下鉄サリン事件を目の当たりにした。

出発日を6月14日に決め、引っ越しその他の段取りの為奈良へ戻った。アトランタへ送る物の準備をし、家族の段取りを確認した。長女は高校3年になっていたので来年の卒業後の来ることにした。次女はこの年高校に進学したが、進学の際、一学期で辞めてアメリカに来ることにしていた。日本の高校を一学期だけでも味わう方がよいと判断した。こうして、ワイフと次女は7月29日にアトランタに来ることになった。

6月14日水曜日、JALで成田を飛び立ち、同日午後3時過ぎ、森の中に浮き上がるようなアトランタ周辺を眼下に見ながら空港にタッチダウンした。南部ニューサウスの旗手、アトランタでの長い生活の始まりである。その第一歩、いや第一夜は、翌年のオリンピックに合わせて開業した日航ホテルアトランタを予約。この支配人が大学の後輩であることを赴任前に知ったからである。


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