就職活動のシーズンがやってきた。語学に進み、商業英語に深入りしたのも、将来目標が「貿易」に携わることだったから、当然商社を目指していた。事実商業英語サークルの先輩達の何人かも商社に入っていた。だが、そういう先輩達の商社話を聞いているうちに考えが変わっていった。変わるポイントは”残業”である。当時の商社マンの給与内訳は残業代と規定給与分がほぼ同じといった具合なのである。そんな世界なのである。もちろん残業は厭わないが、それにしても異常な世界に映った。
方向転換先はすぐ決まった。メーカーの選択。さてどこにするか。この頃は日経新聞を読んでいたので、当時やたらと賑わしていたのが、名物社長と名物かあちゃんで有名だったT繊維メーカーだった。兎に角、この頃のT社は相次ぐ新規事業多角化で何かとニュースになっていた。これだ、と直感した。
大学の企業応募枠を学生課で調べたらT社からの応募要請は無いことが分かった。これは直接当たるしかないと、T社の人事課に面接を受けさせてほしい旨直接電話をし、OKをいただいた。後日内定を頂戴した。
こうして、1971年、大阪本社で行われる入社式に向かうべく、東京駅から新幹線に乗り込んだ。
方向転換先はすぐ決まった。メーカーの選択。さてどこにするか。この頃は日経新聞を読んでいたので、当時やたらと賑わしていたのが、名物社長と名物かあちゃんで有名だったT繊維メーカーだった。兎に角、この頃のT社は相次ぐ新規事業多角化で何かとニュースになっていた。これだ、と直感した。
大学の企業応募枠を学生課で調べたらT社からの応募要請は無いことが分かった。これは直接当たるしかないと、T社の人事課に面接を受けさせてほしい旨直接電話をし、OKをいただいた。後日内定を頂戴した。
こうして、1971年、大阪本社で行われる入社式に向かうべく、東京駅から新幹線に乗り込んだ。