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最近読み終わった来住英俊(きしひでとし)著「『ふしぎなキリスト教』と対話する」に、「私がずっと持ち続けてきた情熱は、日本の読書家たちの間で、キリスト教の知的な存在感を高めること」である、とあった。私はこれに倣って、「日本の読書家たちの間で、LDS教会の知的な存在感を高めたい」と望んでいる。

それには日頃自分たちの存在が知られるように努める、知的に知る価値があると感じてもらえるように発信活動(アウトプット)に携わることが必要であると思う。ただ、二番目のことはまず自分たちがLDS教会について、その特徴(長)をしっかり知ることが求められる。

ところで、来住氏の本は2011年に始まった「ふしぎなキリスト教」論議の4冊目である。図式化すると次のような展開をたどっている。

 2011年「ふしぎなキリスト教」橋爪大三郎、大澤真幸著
  珍しくこの種の本が店頭に置かれ、異例の好調な売れ行きを示した。
 ↓
 2012年「ふしぎな『ふしぎなキリスト教』」ふツー連 編
  まじめな信徒たちが、痛烈に「間違い」を指摘したもの。
 ↓
 2012年「やっぱりふしぎなキリスト教」大貫隆、高橋源一郎討論を含む、橋爪・大澤著
  元の著者側が専門家の討論を加えて反論。
 ↓
 2013年「『ふしぎなキリスト教』と対話する」来住英俊著
  上の流れを受けとめ、総合的に著者が知見を披歴している。読み応えのある本。

本でもよい出会いがある。この来住氏の本は、私の読書歴と知的関心のあり方において相性がよいと感じた。得るところの多い書物であった。繰り返し読む価値がある。残り少ない余生のよい蔵書の一つとなった。

ここで主な内容のテーマだけ記すと、キリスト教の幾つかのパラドックスが取り上げられている。「イエス・キリストは神であり、また人である」、「神は全能であり、善き方である / この世界には悲惨がある」、「神の全権 / 神と人との対話」、「悪の力と神はどういう関係に立つのか」など。その他、なるほどと思わせる解説に数多く出会った。


コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (教会員R)
2017-03-22 19:18:36
>まじめな信徒たちが、痛烈に「間違い」を指摘したもの。

まじめな信徒の言うところの「間違い」とは往々にして、一般人の視点からはまことに正しいことがあって、信徒側からは単に信じたくないだけであったり、あるいは触れてもらいたくないだけのことだったりしますからね。

知的な態度とは相手の立場からもなるべく妥当に説明できることであるとすれば、自分側の立場を保ちたいあまりに「間違いだ」あるいは「誰々は分かってない」といい続けるならば、外部からは知的態度とは逆の感情的態度、迷信的態度に見えてしまいます。

専門家を招いての討論会という方法を使ったのは賢明(知的)だったと思います。
 
 
 
借りてきましたぁぁ、図書館からぁ (たまWEB)
2017-03-30 07:29:07
来住氏のぉぉ、たまWEB的には、11章のたとえ話のというのが面白そう・・・・
 
 
 
素晴らしい(G.B.ヒンクレーを真似て) (NJ)
2017-03-30 09:52:00
おっ、読書もすなるたまWEBさん。知的に貪欲な人。

11章、ざっと目を通し直しました。興味ある章です。
 
 
 
いや、いや (たまWEB)
2017-03-30 12:14:29
11章以外はおなかいっぱい・あたまいっぱいでスルーかも・・・
11章p324で紹介されてる『現代聖書注解』、都内の図書館どこも所蔵ゼロなんですよねぇぇ・・・・あってもよさそうな・・・
 
 
 
確かに、しかし (NJ)
2017-03-30 16:23:27
1986年以降順次刊行されたこの「現代聖書注解」は全44巻もあって、分厚く、高価なためでしょう。

1巻になった略解(例、「新共同訳 新約聖書略解」2000年)やネット上の注解をご覧になったらいかがでしょう?
 
 
 
うぅぅんん、サンキュー、しっかり (たまWEB)
2017-03-30 22:07:20
借りちゃいましたぁぁ、『新共同訳 新約聖書略解』2000年。で、p210の不正な管理人のたとえ見てまして、’自分の仲間に対して’に目がとまりましたぁぁ。同じ教会員同士にあって憐れみ深くあることがこのたとえのいわんとしてることではと思われましたぁぁ。

「5:1 大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。

5:2 彼は自分自身、弱さを身に負うているので、無知な迷っている人々を、思いやることができると共に、

5:3 その弱さのゆえに、民のためだけではなく自分自身のためにも、罪についてささげものをしなければならないのである。
」(ヘブル人への手紙)とも関係するでしょうか?

いくつか前の日曜学校で、人の価値が神の目に大いなるものであると覚えよとの聖句がありましたぁ。で、その後に贖いと悔い改めと続きます。(d&c19)

同胞の犯す罪(負債)に対しては断罪の前に、基本赦すことであり、贖いの効力が及ぶことを信じ助けるみたいな信仰が試されるということでしょうかぁぁ。

とすれば富は贖いの効力或いは愛、にゃらば不正の富は、正しく理解されてない、贖いや愛とでも。
この主人の財産とは贖いのパワーであり、そこへしっかり教会員として或いは指導的立場にあってしっかとつながってないと、まかされた永遠の価値ある富・貨幣をしっかり賢く使えないということになるのかもと・・・この大いなる霊的、永遠性を持つ財産にあって愛と喜びをもってつながっていたいものではありましょうかぁぁぁ・・・
 
 
 
うぅぅんん、いつつ、むっつのサイト (たまWEB)
2017-03-30 22:38:51
不正な管理人 ルカ
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E3%81%AA%E7%AE%A1%E7%90%86%E4%BA%BA%20%E3%83%AB%E3%82%AB
の検索で数サイトながめてみましたが、赦しと贖いに触れてるのはゼロですかぁぁ、「牧師の書斎」さんで赦しが説かれてますかぁぁ。
いやぁぁ、たまWEBのが正解に近かったらどうしましょ?? 聖典これまで読んできただけで。牧師コースとか他からこのたとえの解釈教わったとかはなしなわけで、いわば霊感みたいなもんで。末日聖徒であることを誇りに思わなくちゃでしょうかぁ??
 
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